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 みょうがの旅 25 おしほい 19 宇賀弁才天
      (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)3月15日第378号)

●天照(あまて)らし、海照(あまて)らし、雨垂(あまた)らす太陽神の天照大御神=雨宝童子を母とする宗像三女神は、海の神と同時に川の神として大地を潤して除塩し、稲作の環境整備をされる。そのことが、長女神の多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)(田心姫神(たごりひめのかみ)とも)が国土神の大國主神の妃となられ、稗の神とも思われる日枝大神=大國主神の御魂を和め鎮める形で、稗に成育が障礙されがちな稲の神の天孫をお助けし、それが為に天孫に祭られよ、との天照大御神のご神勅をいただかれたのだと思われる。平面図が田の字形の出雲大社のご本殿に大國主神が西向きに祀られたのも、すぐ西隣の筑紫社(つくしのやしろ)に坐す美しい妻=多紀理比売命(たぎりひめのみこと)を常々愛でられて、御魂が文字通り和め鎮められることが祈念されているのではないか。
 大國主神と宗像神との関係は、日本仏教でも踏襲されている。拙稿で後々取り上げる摩多羅神の研究に欠かせない名著、『異神 中世日本の秘教的世界』(山本ひろ子著、ちくま学芸文庫、上下巻)では、宗像神と習合した宇賀弁才天にも一章が割かれている(下巻第三章「宇賀神―異貌の弁才天女」)。山本氏は、「偽経」と呼ばれる日本で作られた経典類など主に天台宗の資料に基づいて中世の宇賀弁才天信仰の様相を考察していく中で、弁才天と大黒天との極めて深い関わりを発見し、その背景を、天台宗における「宇賀弁才天最大の担い手は「戒家(かいけ)」というシューレであったし、大黒天は戒家の本尊というべき存在であったから」としている(同書下巻一四〇頁)。
 同書下巻から大黒・弁才の深い関係を示す例を拾ってみると、山本氏の弁才天修法考察の基本資料である『最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠王修儀』によれば、本尊=宇賀弁才天の他に大黒天も祀られ、修法の最後の締め括りが実は大黒天の印明であるとの指摘や(九四頁)、「大黒天を行者自身とし、本尊弁才天と夫妻になると観じよ」との弁才天修儀の秘口伝(一四一頁)、疾走する大黒天が背負う袋の中に弁才天と眷属十五童子並びに白狐に乗る荼枳尼(だきに)天が描かれた走大黒天像(室町時代)の引用(一四二頁)などが興味深い。
 しかしそれらは同時に、これまでの大國主神=大黒天と宗像神=弁才天の関わりを思い起こせば、むしろ当然にも思われる。日本に請来された大黒天と弁才天の大國主神と宗像神との習合は、大國を音読みすればダイコク=大黒に通じるなどのレベルに止まらない。わが国の神話とその基底にある自然観に即して深く受け入れられ、日本独自の展開を遂げていったことを示すものだと思われる。
●大黒天と弁才天の日本的展開の鍵とも、回転軸とも思われるのが宇賀神だ。大弁才天は、元来インドのサラスヴァティー河を神格化した、様々な器杖を持ち、或いは琵琶を弾く姿の女天で妙音弁才天と呼ばれる。「ところが日本にはこの妙音弁才天のほかに、もう一種の弁才天が存在した。こちらの弁才天は頭の上に「宇(う)賀(が)神(じん)」という奇妙な神を乗せており、そのために「宇賀弁才天」と呼ばれた」と、山本氏は第三章を書き起こす(一〇頁)。
 しかし宇賀神の捉え方は一様ではない。白蛇を頭に載せた弁才天とを合わせた神とイメージされたり(二一頁)、或いは老翁の顔をしたこの白蛇は大黒天神であり、大黒・弁才は陰陽の父母とも考えられていた(一八〇頁)。
 もっと興味深いのは、宇賀神が愛染明王とも習合したことだ。比叡山には「田夫愛染」の奇譚や、「愛染田夫」という蛇体の愛染明王という尊形も伝わる(一一九~一三一頁に詳述)。田夫愛染とはそもそも真言密教行者の小野仁海僧正にまつわる愛染明王の秘印明で、天台密教でも密かに相伝されていた。仁海の師は田夫愛染印を出し惜しみして、秘匿したまま相伝せずに入滅したせいで閻魔庁に堕ちたが、印明伝授のために田夫に蘇らされていた処、印明を求めて諸国行脚中の仁海と出会い、印明を伝えた途端に地に倒れて姿を消した、というあらすじだ。さらに見逃せないのは、仁海と田夫姿の師の再会の舞台を出雲國とする異伝もある点だ(一二五頁)。ここには明瞭に、神話や出雲大社の社殿配置の影響が認められるではないか。宗像神と習合した弁才天が頭に載せる宇賀神=田夫愛染の印明が相伝された地は、宗像神=弁才天の夫の大黒天=大國主神が田の字形の社殿に鎮まられる出雲國のはずだという神道由来の発想なくして、この仏教伝説は誕生しえただろうか?
 田夫愛染または愛染田夫に関する史料には、高野大師御筆也(一二二~一二三頁)とか、弘法大師最秘口決(一三〇頁)などの文言が出てくるのも、高野大師=弘法大師=空海が宗像大神を篤く崇敬し、唐から帰朝後すぐに現在の宗像大社に礼参して鎮国寺を開いた事績などが背景にあるかもしれない。
 以上は山本氏が伝えようとしたのとは異なる捉え方だろうが、宇賀弁才天信仰には、神道の影響を認めざるを得ない。だが『異神』を読み返して得た根本的に重要な気づきは、いかなる時代にあっても不易のわが国の信仰とは何かを、神仏習合思想はむしろ効果的に浮かび上がらせる、ありがたい遺産でもあるということだ。(つづく)