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 みょうがの旅 26 おしほい 20 宇賀神と宝珠
       (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)4月1日第379号)

●稲作との関わりが強い宗像大神と習合した弁才天、とりわけ頭頂に宇賀神という白蛇を載せた宇賀弁才天もまた米との関わりが濃厚である。前号でも取り上げた山本ひろ子著『異神』下巻(ちくま学芸文庫)には、それを示唆する情報が盛りだくさんである。
 例えば江戸中期の国学者天野信景(さだかげ)の随筆『塩尻』巻四九から、「宇加耶」とは梵語で白蛇を意味し、人首蛇身や蛇首人身の他に、俵の上に蛇を作る像も宇賀神と呼び、「山城国稲荷の社」や「熱田の宝蔵」にもこの像がある、との記述が引用されている(一二頁)。
 因みに、以前にご紹介した山口県岩国市の錦川中流の白崎(しらさき)八幡宮の境内にある白蛇社にも同様のご由緒がある──

御祭神(白蛇大神)宇賀御魂神
  宇賀御魂神は弁財天などと同じ佛説に因れる神名で古来より稲魂を掌られる福徳の神様で  す。「宇賀耶」という語が梵語で「白蛇」を意味するため、この神様の使いが白蛇様であると  云われ財宝守護神として白崎山に奉斎申し上げました(以下略)

『異神』の中で弁才天修儀の基本資料となる『最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠王修儀』では、「宇賀耶」は梵語で「如意宝珠王」を意味し(五三~五四頁)、修儀の壇に祀る宇賀神像は「老人の蛇形」か、あるいは宇賀弁才天を象徴する種(しゆ)字(じ)を書いた四八粒の米が本尊とされた(五六頁)。
 修儀に用いる壇具にも、例えば散杖の裏を少し割ったところや、箸も「稲ノハラミタルゴトク」削ったところに、宇賀弁才天の種字を書いた紙に米一粒を包んだものを挟みこむなど、「宝珠(米)の呪的用法」が随所に見られる(五七頁)。
 本尊宇賀神の前には「籾珠(ちゆうじゆ)、土珠、銭珠」の三珠が置かれ、銭珠は銭を、土珠は福人の田の土を、籾珠は「ヒツチノ籾」または福人の俵から取った籾を、各々種字を書いた紙で宝珠形に包んだものである(五七頁)。「ヒツチノ籾」は「ヒツジハエ」という二度生りの籾との注釈があり(一九二頁)、インターネットや電子辞書で、刈り取った後に再生する稲=ヒツジ(ヒツチ、ヒヅチとも)が一面に生えた田をヒツジ田と呼ぶことも知った。ならば、「ヒツチ」は「肥土」でもあろうか。
 弁才天修儀に入る門前作法でも、米は重要な力を発揮する。即ち、行者は三宝荒神の方位=巽の虚空に「米、米、米」と三つの米の字が三角形をなすように指で書いて三弁の如意宝珠を象ることで、障礙神の三宝荒神に「如意珠」=米を奉り、「荒神のもたらす「障礙の難」を免れ、ひるがえって荒神の加護を仰ぎ修儀の成就を祈念する」のである(六〇頁)。
 また、修儀の中で焚かれる六種類の香の一つ「多羅香」は、「多伽羅香」とも呼ばれ、その材料もこれまた「ヒツヂ米の抹」である(七六頁)。前述の「ヒツチノ籾」を包んだ籾珠が宝珠の一つだったことからすると、「多伽羅香」には「宝香」の含意もあると筆者は考える。
 さらに、前号で触れた宇賀神と習合した愛染明王が「田夫愛染」や「愛染田夫」と呼ばれ、真言密教行者の小野仁海僧正の師が「田夫愛染」の秘印明を相伝せぬまま入滅したせいで閻魔庁に堕ち、改めて印明を仁海に伝えるべく蘇らされた姿も「田夫」だったことを思い出すと(一二三頁)、弁才天=宗像大神と稲作とのつながりの強さは益々際立ってくる。
●こうしてみると、宇賀神=白蛇=如意宝珠王=稲霊であり、米や田の土、銭の三つの宝を掌る神と信仰され、中でも決定的に重要な宝が、心身を体の内側から支える米であるのは明白だ。本来は、自給できないものを交易で得る手段であるお金という補完的な宝と、宇賀弁才天=宗像大神との関係については、後で取り上げたいと思う。
 もう一つの宝珠=土珠は「福人の田の土」であるが、宗像大社の鎮座地の宗像市田島の南に隣接する地名が奇しくも福田である。宇賀弁才天修儀との関係は不明だが、興味深い一致である。
 また宗像大社の釣川を挟んだ東隣には弘法大師空海が開いた鎮国寺があり、その地名は吉田。ヨシとも読む葦が茂る豐葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)に通じる葦田という宝に由来するのだろうか。また、釣川を北西に下ると深田、牟田尻の地名もある。田の付く地名に囲まれた宗像大社の周辺は、宝=田が宝=米を産みだす農業が、今もしっかり続いている。
 現在、宗像三女神の一柱、田心姫神(たごりひめのかみ)が鎮座される沖ノ島と関連遺産の世界遺産登録運動が進められている。実は、登録に伴いがちな商業主義が聖地宗像を蝕む事態になりはしないかと、自分の煩悩を棚に上げた不安を抱いていた。
 だが先月宗像大社を参拝した折、世界遺産登録を契機とした、例えば賽銭や初穂料の急増や、社地の周囲に土産物屋や飲食店が数々立ち並ぶような「経済効果」には、宗像大社は些かの関心もないと聞き及んだ。これは、地元の参拝者が自ら唐突に、筆者に語り出したこと故に真の情報だと思うのだ。天孫=米の神をお助けになる宗像大神は、何が最も尊ぶべき宝なのかにも気づかせてくださる、人生の道主貴(みちぬしのむち)でもあらせられる。(つづく)