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 みょうがの旅 27 おしほい 21 弁才天修儀と禊祓
          (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)4月15日第380号)

●前号まで宗像大神=弁才天と稲作との関わりを様々な観点からみてきた。
 宗像大神が天照大御神=雨宝童子の子、即ち雨水が大地を経て湧出する川の神として国土を潤して除塩し、耐塩性の高い稗の神=日枝大神=大國主神の御魂を和め鎮めて、稲作の環境整備をされるご神徳をお持ちであり、それが三女神の長女の田心姫神(たごりひめのかみ)の御名や、宗像大社邊津宮(へつぐう)の鎮座地の田島をはじめ、近隣に田の付く地名が多いことにも窺え、また宗像大社では米に関する祭典が多いことにも気づいてきた。
 そして、宗像大神と米との深いつながりは、弁才天の信仰にも踏襲されていることを、山本ひろ子著『異神』下巻の第三章「宇賀神 異貌の弁才天女」(ちくま学芸文庫)を読みながら確認してきた。宇賀弁才天の種字(しゆうじ)を書いた米四八粒が弁才天修儀の本尊となりえたこと、壇具の作り方の随所に米の呪的用法がみられ、壇に安置する三つの宝珠のうち二つが籾と田の土であること、修儀の門前作法でも米の字を三つ巽の虚空に書いて荒神に捧げ加護を祈念すること、宇賀神が愛染明王と習合して「田夫愛染」や「愛染田夫」と呼ばれていたこと等々である。
●一方、稲作自体が禊祓に通じるのではないかと昨年来考えてきた。それ故に、大祓詞(おほはらへのことば)は天照大御神の「我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は豐葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)を安(やす)國(くに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)せと事(こと)依(よ)さし奉(まつ)りき」と始まり、稲作に不可欠な淡水の供給源=川に関わる瀬織津比賣(せおりつひめ)、速(はや)開都比賣(あきつひめ)、速佐須良比賣(はやさすらひめ)の三女神を含む祓戸大神(はらへどのおほかみ)のご神徳に与ることで「罪(つみ)と言(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を…」と締めくくられる。その祓戸の川の三女神は、やはり川の神の弁才天とも習合した宗像三女神と通じるのではないかとも前に述べた。
 改めて稲作が禊祓に通じると考えたきっかけを思い起こしてみよう。稲作が自然界の陰陽二気相半ばする春分の頃に始まり、その実りもまた陰陽相半ばする秋分の頃なのに対して、人間の感情の陰陽の状態は秋の収穫後に喜びという陽気が極まり、自然界の陰陽二気の状態とズレが生じる。豊作であれば尚更このズレは大きい。豊作に有頂天となり飽食に陥ると、知らぬ間に心に貪りや瞋り、愚痴邪見の罪(つみ)穢(けがれ)、即ち陰気の感情が急速に増長する。しかしやがて、周囲の自然も冬至に向けて陰気が極まりゆくのに気づかされる。
 冬至という自然界からの戒めのおかげで人間は自らの心の陰陽を調えるべく禊祓の神事や祭事を重ね、再び陰陽相半ばする春分の頃に稲作を始める。
 以上は『古事記』にヒントを得た仮説だ。伊邪那岐命と伊邪那美命の陰陽の交わりによる国生みと神生みが順調に連続する営みの最後にご誕生になるのが食物神の大宜都比賣神(おほげつひめのかみ)で、しかもその直後に火神の火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)のご誕生が原因で伊邪那美命が身罷られる。伊邪那岐命は悲憤のあまり火神を斬り殺し、自らも黄泉國(よもつくに)へ愛妻を追われたが、愛妻との約束を破ってそのお姿を覗かれると、変わり果てたお姿に恐怖のあまり現世に逃げ戻られ、黄泉國との境界では愛妻と言い争いまでされる。食物神のご誕生から一転、火神のご誕生で陰気が増長し、陰気極まるときに禊祓の運びとなることが、前述の稲作を通じた人間の営みと通じると考えた。
 伊邪那岐命の禊祓が稲作に通じるならば、それは一年のうちで陰気極まる冬至であり、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばなの)小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)」の日向とは、陰気極まる冬至に東南から立ち昇る太陽に向かい、再び陽気の伸長が始まることを願い感謝する一陽来復の信仰に通じるのではないか。筆者が住む筑紫国の福岡県の糟屋郡新宮町に立花山があり、立花山が「竺紫の日向の橘」に通じるのではと考えて、立花山から概ね北西に流れる湊川沿いの社寺の由緒や地名などで検証してきた。詳細は繰り返さないが、例えば、冬至の頃に客死した平景清(たひらのかげきよ)の娘の人丸姫が、父景清の流刑先の日向に向けて葬ってほしいと遺言したことに由来する人丸神社と立花山を結ぶ、西北から東南に延びる直線を延長すると、確かに宮崎県=日向國に達する。
 この冬至の日向の線上にはわが国の稲作開始年代の特定に重要な意味を持つ夜臼(ゆうす)式土器の標識遺跡の夜臼貝塚があり、その産土神の大市姫命が大年神と稲荷神の母であらせられ、この線上にはまた玉嶋稲荷神社が鎮座することも、冬至の日向の禊祓と稲作との関わりを如実に示すものではないか。
●『異神』に戻ると、稲魂を掌る白蛇を頭頂に載せる「宇賀神の方位とは「戌亥」(乾=西北)」(三一頁)。それは、宇賀神の福徳に与らない「障礙神」は「対面「辰巳」(巽=東南)の方にいる三悪神」なので(三五頁)、宇賀神は「三悪神の在所=巽の対面=乾に止住し、対峙していることで三神の障礙の働きを封じ」るためであり(三六頁)、宇賀弁才天修儀の門前作法でも荒神の障礙を防ぐべく巽の虚空に米の字が三つ書かれる(六〇頁)。
 障礙の三悪神の降伏(ごうぶく)と伊邪那岐命の禊祓のどちらもが、冬至の日が昇る巽に向かい、しかも米や稲作に通じる点でも同じならば、障礙神が依りつくとされる貪瞋癡(とんじんち)とは、やはり神道で云う罪(つみ)穢(けがれ)に相当するだろう。(つづく)