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 みょうがの旅 33 おしほい 27 如意宝珠王の役割
         (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)7月15日第386号)

●宝珠とは、一身の中に陰陽二気を等しく内包し、両者の併存を示す境界があり、そして両者の力を等しく発揮しうる故に、降魔の霊力を有すると信仰されてきたものであった。
 そして、宝珠と崇められてきた次のものについて愚考を巡らしてきた。

①桃の実……『古事記』で伊邪那岐命が黄泉國(よもつくに)と現世(うつしよ)の境界の黄泉津比 良坂(よもつひらさか)で得られて、八雷神(やくさのいかづちがみ)と黄泉軍(よもついくさ)を撃 退された。絵や菓子などの人工物では実際の球形ではなく宝珠形に象られる。
②蛇……一年の中で陰陽二気が相半ばする春の彼岸から秋の彼岸まで地上に姿を見せ、蛇  体とされる稲魂の宇賀神は別名を如意宝珠王と申しあげる。
③米……一年の陰陽相半ばする春分の頃と秋分の頃が栽培の始めと終わりにあたる。如意宝 珠王=宇賀神の種字を書いた四八粒の米が弁才天修儀の本尊=翁頭蛇体の宇賀神像の代 りとなる。
④未敷蓮華……一切衆生が迷々と苦しむ煩悩からの脱却を祈った末、開悟の兆しを得、合掌 の両手中指のみ微かに開く弁才天修儀の秘印が宝珠を表わす。

●わが国の伝統的な思考では、桃、蛇、米、未敷蓮華の各々が宝珠であるだけでなく、蛇=米、米=桃、桃=蛇との観念へ発展するのは当然だったようだ。
 山本ひろ子著『異神 中世日本の秘教的世界』(ちくま学芸文庫)下巻、第三章「異貌の弁才天女」から、弁才天修儀の本尊である宇賀神=如意宝珠王を翁頭蛇体に作らない場合は、宇賀神の種字を書いた米粒が本尊の代わりとなったことは繰り返し引用してきた。
 また、同書二六頁に写真が掲載された山形県の正善院所蔵の桃形の覆いの中の稲魂の宇賀神像は、弁才天修儀の門前作法で荒神の障礙を防ぐために捧げる三つの「米」の字を「三弁の如意宝珠」と見なす信仰と、やはり宝珠とされてきた桃の実で伊邪那岐命が黄泉國の障礙神を撃退されたとの信仰が、一体に凝縮された神像だとも指摘した。宝珠=米を掌る蛇体の宇賀神=如意宝珠王が、宝珠=桃の中にいて、宝珠形=桃形の窓から顔を覗かせているのだ。
●正善院の宇賀神像はさらに、蛇と桃が不二一体であるとことを、「桃割(ももわれ)」と思われる蝶結びの髪型でも示しているようだ。一般に「桃割」は髷の毛先を左右二つに輪形に結って並べた髪型で、江戸時代の末期から普及した未婚女性の髪型とされ、桃を二つに割った様を連想させるからこう呼ばれるそうだ。球形のものは他にもあるのに、二つ左右に並んだ髪の輪を敢えて桃の実に擬える必然性は何なのか?
「桃割」のような髪型自体は相当古くからあり、例えば東京国立博物館所蔵の埴輪「腰かける巫女」(六世紀、群馬県出土)にも認められる。これは、頭頂に長方形の板か座布団ようなものを載せ、その上に頭髪が半円形の輪になって左右二つ並ぶ。また、何が契機なのか不勉強で知らないが、現代では「桃割」が天女の髪型の定番のように受け止められるに至っている。これだけ古い歴史を持つ髪型が、ようやく江戸時代末期になって唐突に「桃割」と呼ばれ出したわけではなかろう。
 二つの輪が左右に並んだ髪型と桃との間には深い関係がある故に、「桃割」と呼ばれたのではないか?その「桃割」が桃形の殻に覆われた蛇体の宇賀神の翁頭にもあるので、この髪型と桃を介するものが蛇だと仮定しよう。
●蛇と桃の密接な関係を暗示するものが他にもある。蟠桃である。蟠桃は全体に扁平な形が特徴で、しかもその様が「蟠(わだかま)る」と形容される。
 『広辞苑』によると「蟠る」は、

①輪状にかがまりまがる。渦状にまがる。蛇などがとぐろをまく。宇治拾遺物語(4)「此の蛇も   のぼりてかたはらに―・り伏したれど」
②複雑にまがりくねる。蛇行している。とある<傍点筆者、以下略>。

 つまり、「蟠る」は何よりも先ず蛇の姿態をイメージした言葉なのである。扁平な桃を「蟠」と形容するのは、蟠桃の中には蛇がいて、その蛇が蟠る様が外見に顕れていると見なされたのか。或いは桃自体が蛇なのか。
●蛇と「桃割」の関連を直接示す伝説もある。現在の滋賀県近江八幡市の繖山(きぬがさやま)の麓の豪族の娘、お茶子姫は、近江源氏の佐々木氏が繖山に築いた観音寺城に仕え、城主から大変な寵愛を受けたが、嫉妬に狂う他の女たちから岩屋に閉じ込められ、そこで蛇に殺された。お茶子姫の怨霊はブト(=吸血虫の蚋(ぶゆ))に化けたため、繖山のブトの頭は「桃割」の形をしていると伝わる。
 自分より大きな物を咬み、呑みこむことが特徴の一つである蛇に殺されたお茶子姫が、ハエの一種でありながらも吸血するのにやはり噛むという特徴を持つブトに化ける。しかもそう信じられた理由が、繖山のブトの頭が「桃割」だからとの発想は、蛇と「桃割」との間に相通じるものが意識されていたことを示唆しているのではないか。
 頭髪の輪が二つ左右に並ぶ髪型に、体を八の字にした蛇が連想されるのか。或いは桃の中には蛇がいて、割れると蛇が現れると信じられたのか。どちらにせよ、桃形の覆いを外すと蛇体を顕す正善院の宇賀神像は、髪型も蛇体に通じる「桃割」であり、蛇と桃は不二一体だと示している。(つづく)