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 みょうがの旅 35 おしほい 29 陰陽不二の宝珠
        (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)9月1日第388号)

●宝珠とは陰陽二気を等しく内包し、陰陽いずれの力も放ちうるものと仮定し、桃、蛇、米、未敷蓮華(みふれんげ)をその例として考えてきた。しかもそれらは各々が個別に宝珠と崇められただけでなく、互いに密接に繋がり合い、もはや別々のものではない、『広辞苑』が「二つのものに見えて実は一つであること」と解説する「不二」の関係に結ばれていったことを前号ではみてきた。
「不二」はわが国の重要な信仰思想なので、山本ひろ子著『異神 中世日本の秘教的世界』(ちくま学芸文庫)下巻、第三章「異貌の弁才天女」を借りて、やや視点を変えてさらに考察したい。
 同書下巻の六五~六六頁には宇賀神の字釈、則ち「宇」「賀」「神」の三文字の相関関係を示す天台宗の教説が、判りやすく一覧にまとめられている―

 宇……天  父  金剛界(陽)
 賀……地  母  胎蔵界(陰)
 神……人  子  蘇悉地   (以上、一部省略転載)

 宇賀神の別名が如意宝珠王たる由縁は、「天」「父」「金剛界」の陽気と、「地」「母」「胎蔵界」の陰気を共に備える点にあると、右の一覧からも言えよう。宇賀神とは、一つの神格の中に陰陽二気を同時に内包する宝珠なのだ。
●宝珠が陰陽いずれの力も放つには、陰陽両気が境をなくして完全に一つになってはならない。両気が一体をなしつつも、ある程度各々の独自性を保って併存する必要がある。それには両気の間に絶縁体となる一定の境界が要る。
 宝珠の桃は実の中央にすじ=境界があり、それが「桃」の「兆」で表されるほど、最大の特徴と意識されている。
 同じく宝珠とされる米の栽培期間、それと蛇の地上生活期間は、春分~秋分や春から秋の彼岸の間に重なり、それらは一年の気が陰陽二気に等分され、両気の間の境界性が意識される時期だ。
 宝珠と観じられる未敷蓮華の印は、衆生が煩悩に迷々としていた状態に開悟の兆しが顕れたこと、則ち煩悩と悟りの境界を挟んだ併存を象徴する。
 宝珠の中の陰陽二気各々の働きを担保する境界は、如意宝珠王=「宇賀神」の中では陽気のウと陰気のガの音が一文字に一体化せず、「宇」「賀」と別々の二文字で表記される点にも窺われる。そのことにより、「宇賀神」の一神格に陰陽二気が境界を挟んで併存することが示されているのではないか。
●「宇賀神」には、陽=「宇」と陰=「賀」の結合で生まれる「人」「子」「蘇悉地」に対応する「神」も含まれる。「神」は、「宇」と「賀」の陰陽二気が境界をある程度残したまま一体となった、則ち不二となったものだ。
 同様に「天」と「地」両方の働きと恵みによって生きる「人」においては、「天」と「地」が不二となっている。
「父」と「母」の=陰陽の交わりで生まれた「子」には、両方の遺伝子が受け継がれ、各々の特徴が顕れて併存するが、それらはもはや不可分の新たな一人の人間の遺伝子全体を構成する。
『広辞苑』の云う「大日如来を智慧の方面から明らかにした部門」である「金剛界」と、「大日如来を慈悲または理(真理)の方面から説いた部門」の「胎蔵界」が一つになり「蘇悉地」となる、と前掲の一覧は示すと思うが、「蘇悉地」の説明が見つからない。
『広辞苑』に見つけた「蘇悉地経」は、「持誦、灌頂、祈請、護摩、成就、時分などの法を説く」もの。「悉地」は「…(梵語Siddhi成就の意)密教の修行により成就した妙果」とあるので、大日如来=大宇宙の智慧と慈悲・真理の両方に通じることが修行成就の意味なのか?また、密教修行の妙果を得た行者は、衆生済度のために大日如来の金胎両部の法力を発揮しうるのか?
「蘇悉地」を通じて「不二」の概念に近づくのは、仏道修行未経験の筆者には迷路に入るも同然に思われるので、やはり自分に今可能な道行(みちゆき)をしよう。
●今夏のある日、地下鉄車内で筆者の真向かいに親子四人連れが座った。父親は色白の細面に眼鏡を掛け、上顎より下顎が前に出る。母親は小麦色の丸顔で、眼鏡はせず、下顎は上顎の後に収まる。小学生の息子は母親似で浅黒い丸顔だが、父親のように眼鏡を掛け、下顎が上顎より前に出る。その妹は父親似の細面だが、母親同様に眼鏡は掛けず、下顎も上顎の奥にある。兄妹とも両親の特徴を複雑に分け、対照的に受け継いでいる。他の身体部位や臓器、性格、得手不得手等も同様だろう。
 子供達の中で併存する両親の特徴の間には境界がありそうだが、両者はすでに一連不可分のものとなっている。息子にとり、母親似の輪郭も父親似の口元も自分自身のものであり、口元も含めて顔全体の輪郭が形成される。娘も、両親と似ている部分が兄と逆転しているだけで本質的には同じだ。父母の特徴=陰陽二気が細分され、複雑な組合せで配分され、二者の特徴が一身に併存する子は、正に不二の宝珠だ。
 父母もまた、各々の父母から生まれた宝珠だ。世代を遡っていくと人間は海の生物=自然に通じる。自然神信仰の論理でいけば、人は神に通じることになる。神と人と子が陰陽不二の宝珠として相通じると示す宇賀神の字釈には、自然も祖霊も神と観じる日本古来の信仰思想が窺われる。(つづく)