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 みょうがの旅 37 おしほい 31 大年神と宇賀神
        (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)10月1日第390号)

●宝珠には次の特徴が認められた。

一、一体の中に陰陽二気が一定の境界をもって併存し、不二となっている
二、陰陽二気各々の力を発揮しうる
三、宝珠の例=桃、蛇、米、未敷蓮華(みふれんげ)
四、桃、蛇、米、未敷蓮華も各個相互に不二となる
五、宇賀神の字釈では、神は宇賀不二、人は天地不二、子は父母不二の宝珠
六、宝珠は悠久の営みの賜物

 中でも前号で考察した最後の特徴は、太陽神にして雨宝童子の天照大御神を皇祖とし、稲魂でもあらせられる天孫=天邇岐志(あめにぎし)國邇岐志(くににぎし)天津(あまつ)日高(ひだか)日子(ひこ)番能(ほの)邇邇藝命(ににぎのみこと)の降臨、命のさらに御曾孫の神武天皇を初代として今日まで連綿と天皇を拝戴してきた、わが国の古来の信仰の特徴を考える上で重要だ。
 記紀神話は天地開闢から稲作が可能となるまでの自然界の過程が、いかに人間界の営みに通じているかを物語っているようにも思われるが、米という宝珠が長大な年月に亘る自然界の営みの賜物であることの示唆を、前号では『古事記』と宇賀弁才天信仰から次のように読み取った──。

自然界 …… 蛇行する河川による土壌除塩の悠久の営みの結果、稲作が可能となる
『古事記』……国土神の大國主神の御魂を和められる蛇形の大年神の次に稲荷神がご誕生
宇賀弁才天信仰……無量劫の施福の功徳で翁相となった蛇形の宇賀神は稲魂を掌る神

 宝珠を得るに至るには長い時間を要すること、逆に言えば長い時間と手間暇をかけたものが宝珠たり得ることは、『古事記』の中で伊邪那岐命が黄泉國(よもつくに)のよもつしこめを蒲子(えびかづらのみ)と笋(たかむな)で和められ、八雷神(やくさのいかづちがみ)と黄泉軍(よもついくさ)を桃子(もものみ)で撃退されたことの違いに示唆を受けたものだった。伊邪那岐命が投げられた黒御鬘(くろみかづら)からは蒲子が、湯津津間櫛(ゆつつまぐし)からは笋がすぐに生った。それぞれの形状から蒲子を陰、笋を陽と位置づけると、この陰陽の組合せがよもつしこめを和めたのに対し、実の中央にすじがあるのが最大の特徴の桃子は、陰陽二物が一つになりかけているか、逆に一つのものが陰陽二物に分かれ始めているかのように見え、それは黄泉國の荒神を和めるのではなく、撃退したのである。
 しかも、速成の蒲子と笋に対して、桃子は黄泉比良坂(よもつひらさか)という黄泉國と現世の境界にいつのころからか生っていたものだ。「桃栗三年柿八年」と言うように、桃もそれなりの時間と手間暇を掛けないと果実は得られない。だからこそ桃は宝珠であり、古来わが国では絵や菓子などにおける桃は、しばしば宝珠形に象られてきた。
 山本ひろ子著『異神 中世日本の秘教的世界』(ちくま学芸文庫)下巻、第三章「異貌の弁才天女」所収の、山形県正善院所蔵の桃形の覆いの中に鎮座する翁頭白蛇姿の宇賀神像には中世の宇賀弁才天信仰と伊邪那岐命の禊祓の信仰が凝縮されていると前に書いた。
●水神とも信じられてきた蛇は地中に棲み、「蛇穴を出づ」「蛇穴に入る」の言葉があるように、春の彼岸から秋の彼岸まで地上に姿を見せるとの観念がある。この期間が稲作の期間とも重り、水稲耕作には淡水が必要なので、稲魂を掌る神は蛇形をとる。地中から湧き出て蛇行しつつ大地を潤し、池や湖、海へと絶え間なく流れ続ける河川は、悠久の営みにより土壌の塩分濃度を低下させ、また淡水を水田に供給し続けて水稲耕作を可能にしている。
 水稲耕作が可能な土地は実に長大な年月に亘る蛇形の河川水の働きの賜物であるが故に宝珠とも言いうる。前掲の『異神』でも、弁才天修儀の祭壇の本尊の前には「籾珠・土珠・銭珠」という三種の宝珠が供えられる点が重視され、『如意宝珠王修儀』(叡山文庫・理性院蔵)の「修儀口伝書」が引用されている(下巻、五七頁)。

土珠ハ福人ノ田ノ土ヲ取テ宝珠ノ如ク紙ニ裏(ツヽム)也。(原文書き下しは筆者)

 水田が、雨水や河川水による除塩という長大な年月の働きの賜物であり、宝珠もまた悠久の営みの賜物であるとの認識を経て、田の土が宝珠形に包まれて宇賀神への供物となる意味が、今少し明らかとなった。
 春の彼岸に穴から地上に出て、秋の彼岸に冬眠のため穴に入ると考えられてきた蛇は、祖霊の化身とも信じられてきた。一年の中で陰陽二気が相半ばするこれらの時期は、現世と冥界の間の往来や交流が最も可能なのだろうか。また、死者は土葬だけでなく、火葬でも遺骨や遺灰は土に還り、水葬にしても遺体は底土に沈み、鳥葬でも鳥がいずれ死ぬことでやはり土に還る。
 神道において冥界が「根の國」や「底の國」とも呼ばれるのは、人間はいずれにせよ土に還っていくという事実に基づく、草木が根を張る土中や水底の土中には死霊が棲んでいる、との観念があるからではないか。
 人も子も自然=神に通じる宝珠だと、「宇賀神」の字釈は示す。神代から現代まで無数の世代の先祖たちが生を営み、特に禊祓に通じる稲作に明け暮れて還っていった土。その土からお彼岸に出入りする蛇に祖霊を観じ、白蛇姿の宇賀神を稲魂の如意宝珠王と崇める信仰は実に幽遠だ。  (つづく)