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 みょうがの旅 40 おしほい 34 男女の役割と宝珠
        (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)11月15日第393号)

●罪穢の禊祓とは、陰や陽に繰り返し傾く心の有り様をじっくり見つめ直す反省のことであり、その結果、思わぬ形で禍が福に転ずるのだという思想が、伊邪那岐命が禊祓の末に三貴子(みはしらのうずのみこ)という、いわば宝珠を得られたことに示されるのではないかと思い至った。
 伊邪那岐命が禊をされたのは、中瀬(なかつせ)という、人間の生命維持に必要な淡水と、遠い祖先が住んでいた海の水が交じり合う汽水域であり、『大祓詞(おほはらへのことば)』では

 荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の八百合(やほあひ)

と表現される。仮に、海水を陽、淡水を陰とすれば、まさに陰陽が複雑多様に混交する場であり、そのような場だからこそ、陰陽交々の心の諸相を見つめ直すに相応しいのだろう。
 罪穢の禊祓は実に長い時間を要する。伊邪那岐命が阿波岐原で祓い棄てられた衣服や装飾品などの人工物とそれらに化成された神々、それから中瀬で禊された場とそこに化成された神々の対応関係が、記紀神話では逐一詳細に語られるが、例えば『古事記』では、禊祓で最後に三貴子を得られるまでに、計二三柱もの神々が必要とされている。『古事記』でこの数を上回る神々が一連の過程で誕生されるのは、伊邪那岐・伊邪那美二神の「みとのまぐはひ」による「参拾伍神(みそぢまりいつはしら)」だけだ。これも逆に言えば、心中の陰陽二気の消長と混交を見直す禊祓が長い時間と多くの段階を要することを暗示していよう。
●しかし同時に、「みとのまぐはひ」という万物生成のための陰陽の混交もまた、悠久の年月と数多の段階を経なければならないことが窺われる。
 そして、この雛形にしたがって生命を紡いでいく人間にとっても、男女の交わりは、長い時間と多くの段階を経て、子という陰陽不二の宝珠を生み育て、男女自身も一生涯を掛けて精神的に不二の宝珠になりゆく禊祓=魂の修行でもある。葉室賴昭春日大社元宮司も自著『神道 夫婦のきずな』(春秋社)でこう強調される。

 夫婦というのは、一つになっていのちを伝えていくものです。だから、男女が一つになれば、子供が生まれてきますが、ただ生んだだけというのでは動物と同じです。一生かかって夫婦が一つになっていくことによって、人間のいのちが生まれてくる。それを子供が見て、子供に伝わっていく。それが、人間の本当のいのちを伝える姿ではないかと思います。
 そこに徳というものが出てきます。徳というのは、ほかから与えられるものではなくて、神さまはもともと徳というものを人間に与えられたのだから、それを夫婦が一生かかって磨く。お互いが一つになって磨き合うところに、夫婦の徳が現れてくると思うのです。それを子供が見て、子供に伝わっていく。これが、人間のいのちが伝わっていくということなのです。(七八頁)

「徳」を「宝珠」と見なすと、夫婦は陰陽不二の宝珠=子を作り、その宝珠を長い年月を掛けて磨き育て、その過程で夫婦自身も精神的に陰陽不二の一つの宝珠となっていくとも言える。

 神様のお導きで結婚させていただき、そして一生涯神さまに近づくという目的に向かって夫婦が一つになっていく。お互いのバランスを作ることによって徳というものが現れてくるのです。

とも葉室宮司は言われる(一一四頁)。 これは、「人」も「子」も「神」も、同じ陰陽不二の宝珠とする「宇賀神」の字釈に通じる。男女の陰陽のいずれかを偏重せず、夫婦が各々の異なる役割の陰陽バランスを取りつつ生活し、父母の陰陽不二を体現した子=宝珠を育てることによって、父母も精神的に陰陽不二の宝珠=神に近づいていく。
●この過程では、男女の役割が異なる点に注意したい。現代は女性の社会進出と男性の家事育児の分担増を求める風潮が強く、それが先進的、進歩的な価値観とさえ考えられている。
 だが、男女が互いに異性の領分に進出するのは、陽と陰の中性化でもある。陽と陰は互いに凸と凹の違いある故に結合できるのに、どちらも中性化して凹凸の違いが消えていくと、結合が難しくなり、陰と陽が各々の存在と役割を保ちながら一体化した、陰陽不二の宝珠には結実しにくくなる。則ち結婚や子作りが困難になるのではないか。仮に子が生まれても、父母が本来とは逆の役割を演じる姿を見て育つ子は陰陽不二の宝珠として磨かれず、父母もまた精神的に陰陽不二の宝珠に成長せず、離婚も増加しているのではないか。
 真言宗御室派総本山仁和寺の立部祐道門跡(福岡県宗像市の鎮国寺名誉住職)は今年一〇月の鎮国寺奥の院護摩供法要で、鎮国寺の水子地蔵縁日の参列者が年々増える一方で、育児祈願の子安大師縁日の方は激減している現状を少子化の一例としてお話された。
 伊邪那岐・伊邪那美二神の「みとのまぐはひ」は男神が主導すべき処、最初は「女人(をみな)を言先(ことさき)だちしに因(よ)りて」、水蛭子(ひるご)と淡嶋(あはしま)が生まれるも、将来的に宝珠=土珠へと成長すべき国土としては脆弱なためか、「子(みこ)の例(かず)に入(い)らず」と『古事記』は記す。非婚や離婚、不妊や流死産が増加して少子化が進行する現代を禊祓うには一三〇〇年前に編纂された『古事記』を素直に誦み直すことが肝要と思われる。(つづく)