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 みょうがの旅 42 おしほい 36 競わず争わずの関係
        (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)12月15日第395号)

●陰陽が不二一体の宝珠となるのは、各々の凹凸の差違を組み合わせて結合し、長い時間と多くの段階に亘る営みを経て、いつしか陰陽二物がもはや分離不可能な不二の状態になることだ。
 陰陽不二の宝珠として生まれる人が、今度は自らが新たに陰陽不二の宝珠たる子を作るため、男女いずれかの特徴を著しくした大人に成長し、夫婦として結ばれる。そして、夫婦が各々の役割を果たしながら、子を大人に育てる長い年月と多くの段階を経ていくと、今度は父母が精神的な意味での不二一体の宝珠へと成長する。
 だが現代のわが国は、男女が互いの領分に入り込み、相互の役割が混迷化し、男が男として、女が女として成長しにくく、男女の中性化が進んでいる。
 陰陽結合に必要な接合部である凹凸の差違が縮小すれば、陰陽の結合(結婚)も宝珠の形成(子作り)も難しくなる。陰陽不二の宝珠たる人の子は、次の宝珠を生み出すために、男または女の身体を得て生まれる。しかし、その身体機能を活かすには、精神的にも男か女の大人に成長せねばならない。精神や心の状態が身体に大きく影響することは誰も否定しまい。例えば、男は精神的にも男でなければ、女性を口説く気力が萎えたり、性的不能に悩まされたり、中には自分が男であることに違和感を覚え、女装や同性愛に傾き、外科手術で違和感を解消しようとする。
 どうしてこのようなことになるのか、その原因の見直してみよう。

禊祓とは「見直し・聞き直し」です。

●こう筆者にご教示下さった、日本三大八幡の一つ、筥崎宮(福岡市東区箱崎)の田村邦明権宮司は、次のような実に示唆に富む一言も口にされた。

男の内面は女、女の内面は男です

 この視点は、前号で列挙した、伊邪那岐命や建速須佐之男命、大國主神、山佐知毘古に「女々しさ」が垣間見える理由を考える上で非常に興味深い。
 人は父母不二の宝珠として生まれるので、身体は男でも女性性を宿し、女もその逆であることはむしろ自然だ。
 ただ、自らが新たに宝珠たる子を作り育てるには、精神面も身体に応じて男か女の大人に成長せねばならない。そして、男は女を主導し、女はそれに随う「夫唱婦随」の関係が求められる。
『古事記』では伊邪那岐命が伊邪那美命に対して「吾(あ)が身(み)の成(な)り餘(あま)れる處(ところ)を、汝(な)が身(み)の成(な)り合(あ)はざる處(ところ)に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、國土(くに)生(う)み成(な)さむ」と誘われる。ここまでは男神の主導だが、次に、図らずも伊邪那美命が先に声を掛けられ、これに伊邪那岐命は「女人(をみな)を言(こと)先(さき)だちて良(ふさ)はず」と告げられるも、そのまま「みとのまぐはひ」を続けられた処、水蛭子(ひるご)と淡嶋(あはしま)が生まれてしまい、国土としては不十分なためか、棄てられる。天神(あまつかみ)も、「女(をみな)を言(こと)先(さき)だちしに因(よ)りて良(ふさ)はず」と占断される。そこで、男神が言先だつことに改めると、次々と国土と神々の誕生につながった。
 これは男尊女卑の思想ではない。宝珠が生まれるには陰と陽の両方が大切であり、陰陽が不二一体化して新たな宝珠が次々と生まれ続けていくことを願う信仰だ。陰陽不二の宝珠=子孫が存続し、自然界の中で人間が種として滅亡しないためには、男が主導的立場にあることが必要だとの叡智である。
●葉室賴昭春日大社元宮司の著書『神道 夫婦のきずな』(春秋社)には、次のとおりの解説がある。

 最初の無性生殖では、親と同じ子供ばかりが産まれてしまう。いわばクローンのようなものです。そうすると、地球上のいろいろな環境の変化に堪えることができずに、一人の子供が死ぬと、同じクローンですから全部死んでしまう。そこで、どんな変化があっても、子孫を残そうという自然の知恵から、男女の結合によって子供が産まれるようになったわけです。
 …そして今までの無性生殖を女性と名づけました。(六八頁)
 男性というのは…女性から分かれたものです。つまり女性が変化したのが男性なのです。
(七〇頁)。

 女から派生する男は、弱気になると内面の女性的な受動性が容易に表面化するのだろうか。それでは、結果的に子作りも難しくなり、子孫が絶える。内面に勇猛さを宿す女との間に、何が目標や尺度か実は不明な「互いを高め合う」などの美辞麗句で飾った競争を男に強要せず、弱音を吐きがちな男を励まし奮い立たせるため、「女が男を立てる」智慧が生まれたのではないか。相手に先を譲り、自らは穏やかでいるのは、内面に強さを秘めた者にして可能なことだ。他方、先を譲られた者は、それに伴う責任を果たしていくことで内面に強さを養う魂の修行に努め、子孫と家系、種の存続を図る。そのためにこそ、わが国の先祖たちは「競わず争わず」の温和な男女関係を尊ぶ、現実的な選択をしたのではないか。
 すると、「競わず争わず」の男女の陰陽混交で子孫=宝珠が次々と生まれ、世代が長く続くほど家系も宝珠として磨かれる。ならば、女神の天照大御神を祖とする男系により、二六七三年もの間続いてきたわが国の皇統と國體は、宝珠の中の宝珠である。癸巳の歳の末、御皇室の悠久の弥栄を願う心をまた新たにした次第である。
(つづく)