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 みょうがの旅 48 おしほい 42 自給と自立の伝統
        (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)4月1日第401号)

●父母不二の宝珠である我々人間が、男女いずれかの身体を天与の人生の形として得て誕生し、精神的にも男女いずれかの大人に成長することで生得の身体的機能を十分に活かして男女二人の人格が結ばれる。そして、結ばれた男女=夫婦が不二一体となった子が誕生し、今度はその子が次の陰陽不二の宝珠を生み育てるべく成長していく。このようにして各世代がその生を全うし、子孫が存続することこそ、わが国の信仰が最も重視してきたものと思う。
 そして、自らの生を全うし、子孫の生命を育むことが、魂の修行=禊祓でもあると気づかされた。禊祓が現世(うつしよ)に生きている間でこそ可能なことは、伊邪那岐命の禊祓が黄泉國(よもつくに)から蘇られた後に始まることが示している。現世で自らと子孫の生命を維持するには食が不可欠である。それは『古事記』に食を重視する記述が繰り返されることや、『大祓詞(おほはらへのことば)』の中の「知(し)ろし食(め)せ」や「聞(き)こし食(め)せ」の表現にも示される。
 本来陰陽不二の宝珠として生まれる人間には、栽培や成長に手間暇を要するも、それ故にやはり陰陽不二の宝珠を象徴しうる食べ物が大切だ。米や桃がその代表例である。他方、黄泉國の荒神はすぐに食べられるものを好むことが『古事記』から窺われたが、現代のわが国でも調理をせずに、いつでもすぐに食べることのできる即席加工食品が急増している。これは黄泉國の荒神のような食生活に変わってきたことを示している。その故か、現代人は「堪忍袋」は忘れて、すぐに「キレる」生ける荒神と化しつつある。
●黄泉國のよもつしこめや八雷神(やくさのいかづちがみ)や黄泉軍(よもついくさ)のほかに、伊邪那岐命の禊祓の末に誕生された建速須佐之男命も荒ぶる神として描かれる。実に意味深長な描写だが、ここではとりあえず次の点に注目したい。則ち、伊邪那岐命から「海原(うなはら)を知(しら)せ」と命じられたものの、「僕(あ)は妣(はは)の國(くに)根之堅洲國(ねのかたすくに)に罷(まか)らむと欲(おも)ふ」と、自らの使命を果たす魂の修行を避け、自ら黄泉國に去りたいと泣き続けた結果、伊邪那岐命から追い払われた須佐之男命は、姉の天照大御神との誓約(うけひ)で悪意の無いことが認められると一転して有頂天となり、勢い余って粗暴な行為に及び、その故に今度は高天原を追放される。忍耐を要する魂の修行=禊祓を避けようとすると、気枯れが自殺願望などに極端化し易く、何か自分の願いが叶うと逆に有頂天の興奮状態に感情が昂揚し、行動の自制も効かず、周りの迷惑になっていることも見えなくなる。荒ぶる神も人も、感情の落ち込みと高揚が極端だが、どちらの場合も徒に周囲の者を巻き込んで迷惑をかけ、社会を混乱させる。このことは、心の病を患う人々が急増する現代を禊祓う上でも極めて意味深長ではないか。精神疾患の治療には医薬が不可欠と思われがちだが、『古事記』に鑑みれば、食の摂り方を改善する方がはるかに重要だ。心を荒ぶらせるのは、食べ物の調理の手間暇を惜しみ、食べ物の入手にもひたすら簡便さを求める心だ。それが昂じると、自らに課された役割を果たすこともなく、食にありつこうとする。だが、そうして得た食べ物や食べ物の提供者への感謝の気持ちは薄く、欠如しがちになる。
 高天原を追放された須佐之男命も、大氣津比賣神(おほげつひめのかみ)に食べ物を乞われるが、比賣が鼻や口や尻から様々な食べ物を取り出して調理して進められると、感謝どころか、「穢汚(きたな)きもの奉進(たてまつ)る」と断じて比賣を殺される。このくだりも一義的な解釈で済むものではまったくないが、右のような含意もあると思う。
 黄泉國の荒神が好む安易な食の摂取や入手の極端な例は、他人が生産した食べ物を暴力で奪うことだ。よもつしこめを蒲子(えびかづらのみ)と笋(たかむな)という即席の食べ物で和められた伊邪那岐命を、今度は八雷神とともに黄泉軍が追い駆ける『古事記』の内容は、他人の生産した食べ物を強奪しようとすることの象徴だろう。食べ物やその入手手段の金品を強奪することは古今東西犯罪とされてきたが、ある国や勢力が自らの経済的問題を他者を犠牲にして「解決」し、利益を拡大するために武力を用いる戦争も、黄泉軍同様の所業である。
●生命の維持に食べ物が不可欠ならば、食べ物を他者から強奪せずに済み、また強奪される不安もない状態、或いは誰もが自給自足の生活が可能な状態が理想かもしれないが、現実にはそうはいかず、わが国の歴史にも数多の紛争や戦乱があった。それでも日本の人口は大まかに言えば、弥生時代以降近世、若しくは近代まで漸増してきた。
 民俗学者の宮本常一は、「明治初年、三千四百万の人口のうち、二千四百万ほどはまったく農業を主にし自給生活を主体にして生きてきた…(中略)…そして自給度が高いほど誇りを持っていた」と指摘する(宮本著『生きていく民俗 生業の推移』河出書房新社刊、九〇~九二頁)。各自できる限りの自給自足と自立に努め、罪穢を祓って心を穏やかにし、徒に他者に迷惑を掛けず、諍いも避け、一見素朴だが実は容易ならぬ、いのちを伝えていくという、自然界の生命体の根本的な課題を全うしようとする庶民の生き方が、日本の人口の推移を穏やかならしめるに大きく寄与したと思う。  (つづく)