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 みょうがの旅 49 おしほい 43 不自然な貨幣経済
        (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)4月15日第402号)

●父母不二の宝珠である我々人間が、男女いずれかの身体を天与の人生の形として得て誕生し、精神的にも男女いずれかの大人に成長して夫婦になり、夫婦が不二一体となった子が誕生して、今度はその子が次の陰陽不二の宝珠を生み育てるべく成長していく。それに不可欠な食が、わが国の信仰と生活において極めて重視されてきたことは、『大祓詞』(おほはらへのことば)や『古事記』などから例を挙げて繰り返し強調してきた。
 わが国の信仰が自然崇拝に基づいている以上、自然に素直な眼差しを向けるだけでも食の重要性に気がつく。
 近代科学が「下等」と見なす原腸動物は、食べ物を口から入れて肛門から出すためだけに存在するかのようにも見えるが、より複雑な構造の「高等」動物も、例えば社寺でよく見る鳩も、飛んだり、日光浴をしている時以外は餌を探しては食べている。求愛でさえ、餌を探しては食べるついでの行為のようにさえ見える。自然界の一部である人間も、本来は食糧を獲得して食べるのが生命活動の中心のはずだ。
●自然界の動植物は自らの生命維持に必要な餌や養分を自給している。幼少期の動物は親から餌をもらうが、自ら狩りなどをして食べ物を自給できるようになって一人前となる。また、親の役割もその段階で終わる。こうして動物のいのちが伝わっていく。
 自然界の一部である人間も、農業や漁業、狩猟などで食糧を自給する生活こそが最も自然に適う生き方の基本である。事実、自然崇拝に基づく信仰と神話を継承してきたわが国も、太古よりほんの六十年ほど前までは、農漁業などのいわゆる第一次産業に従事する人口が最も多かった。
 明治初年の総人口三四〇〇万のうち二四〇〇万は農業中心の自給生活を主体としていたとの民俗学者宮本常一の推測は前号でも触れたが、就中「自給度が高いほど誇りを持っていた」との指摘に注目したい。(宮本常一著『生きていく民俗 生業の推移』河出書房新社刊、九二頁)。以下、同書に描かれる自給経済中心の農民と交換経済に頼る人々について簡単にまとめよう。
 農民は食糧だけでなく、農作業や衣類など生活に必要な様々な道具も自給していた。「農民は同時に職人でもあった」(九一頁)。木工品や鉄器、陶器などは自給が難しかったが、家屋は木挽きや大工の力を借りて、実質村人たちが協力しあって建てていた。
 金銭で購入したり、大工や鍛冶屋に作ってもらう必要のある物は、それらを所有する裕福な農家との貸し借りで済まされる場合が多かった。
 その他、農作物を鳥獣の害から守る狩人、鉄器の製作や修繕をする鍛冶屋、農家の機織に使う木綿糸を染める紺屋、専門技術が要る桶屋、死穢の処理にあたる僧侶など、百姓には技術がなかったり、厭われる仕事に専門に携わる者も、その必要性から農村に住んでいた。それでも不足する物は行商との交易で得ていたが、農民は個々の世帯として、また村落共同体として、できる限り自給度の高い生活を目指していた。
 他方、穀物を始めとする食糧の自給ができない人々、則ち漁業や林業の従事者、寒冷地の故に農耕にあまり適さない土地に住む人々は、交換経済によらざるを得なかった。町人や武士も含む交換経済を主にした人々の合計は、前述の明治初年の三四〇〇万の人口から二四〇〇万ほどの農民を除いた一〇〇〇万人内外と宮本は試算する。
 これら交換経済で生きる人々の拠点は主に町で、奈良、京都、鎌倉などの政治の中心地や、有名社寺の門前町、港や陸上交通の宿駅から発達した町だ。だが、これら有名な都市は別として、明治以前の町は細々とした存在で、「町の文化が農村を支配するようなものではなかった」(一六五頁)。宮本の著作のまとめはひとまず以上に留める。農村生活の実態や様々な職業の誕生と衰退、各職業に就いた人々の様相がよく描かれており、興味が尽きない名著である。
●明治以降、経済の資本主義化、貨幣経済化で農村の状況は大きく変わる。明治政府は税収の安定を米の収穫量ではなく金銭を基準にして達成すべく、納税方式を物納から金納に変えたが、従来自給や物々交換で暮らし、金銭は必要最小限の利用で済んでいた農民は、納税にも生産物を金銭に換えねばならず、作物の価格変動に生活が大きく左右されていくことになる。
 貨幣は抑も交換経済の利便に人為的に創出されたのであり、貨幣経済化は食糧の自給できない都市住人に有利だ。さらに食糧調達コストは低いほど良いが、農民には当然不利な仕組だ。この貨幣創出の背景を認識すれば、短期的な作況や需給による農産物価格の上昇はあれ、貨幣経済化が長期的、構造的には一国の都市化、農産物の低価格化、農村の疲弊、食糧自給率の低下をもたらすのは必然だ。自然には生まれない人工物の貨幣が、自然界の生物である人間の生活の要を押さえ、自然=神々に感謝すべき五穀豊穣が農産物の価格下落を招いて農家を困窮させる状況は、自然界の生物のあり方からして、また自然崇拝のわが国の信仰からしても、本来は異常なのだ。(つづく)