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 みょうがの旅 51 おしほい 45 古事記と胎児の世界
        (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)5月15日第404号)

●わが国の先祖たちは、人間も自然界の一部であることを常に意識し、自然界の精緻な観察によって得た情報に基づく信仰思想を醸成させ、他の動植物同様に食べ物などを可能なかぎり自給する自立的な生き方に務めてきた。
 わが国の人間の生活意識にまだまだ自然が豊かに存在していた時代に全国を歩き回った民俗学者の宮本常一は、農村ではそれほど遠くない昔まで金銭をあまり必要とせぬ自給自足の生活が続いていたことを確認している。現代でも野菜は買う必要がないという農村地域があると時折耳にするので、宮本の結論は当時の実情を反映していたと思う。電気調理器具を多用した即席加工食品が普及した現代と比べ、当時の人心はまだ穏やかで、「堪忍袋の緒」も省いた「キレる」という言葉が頻繁に聞かれることはなかった。食のあり方が心の有り様に影響することは、心は腸管に始まる内臓に宿るという西原克成医学博士の説を知って再認識した。
 西原博士はまた、人類はサメが上陸して進化したとの説も唱えているが、世界で最古最長の皇統初代、神武天皇の御祖母、豐玉毘賣命(とよたまびめのみこと)の本然のお姿が鰐(サメの古名)だと、『古事記』は千三百年以上も前から語ってきた。人類の祖先を遡れば海洋生物に辿り着く。その数多の海洋生物のうちで、よりによって、現代科学が人類の祖と突き止めたサメに豐玉毘賣のお姿を認める『古事記』に、時空を超越した普遍性を改めて垣間見た次第であった。
●『古事記』に代表される、時空を超越したわが国の自然崇拝の信仰思想は、環境問題が深刻化、広域化し、異常気象が地球規模で頻発しつつある現代を見つめ直す、則ち禊祓う上で益々必要となろう。そして、わが国の文明地政学上の使命と役割を考える上でも、『古事記』を神話=自然の摂理を物語るものとして読み直すことから始めねばなるまい。『古事記』は個々の時代の政体や国際秩序に限定されるものではない。読誦する度に新鮮な示唆と叡智をもたらす「常若(とこわか)」の書である。
 国や民族の枠を超えても通用する普遍性は、人皇初代の御祖母のお姿が、諸民族をひっくるめた人類の祖であるサメだと語ることにも窺われる。これは同時に、神武天皇に始まる皇統を護持し、『古事記』を今に伝え来たったわが国には、人類に対して重大な責任があることも意味する。なぜならば、西原博士は自著『内蔵が生み出す心』(NHK出版、平成二三年)でこうも指摘しているからだ。

 哺乳動物の胎児の形を遡ると、ひとしく原始の軟骨魚類型になります。… ヒトの胎児で三二日から三四日の形に似ている原始の軟骨魚類を探してみましょう。こうしてすぐに見つかるのがネコザメで、学名がHeterodontas japonicusです。(六九頁)

 人類の祖と思われるネコザメの学名にjaponicus=「日本の」が含まれる。人皇初代の御祖母がサメであることは、わが国の皇統と『古事記』が抱える人類史的な意義を暗示してはいないか。
●前号に記した通り、筆者がこの貴重な情報に導かれたのは、亀山信夫氏のブログ『人生は冥土までの暇潰し』の中の「サメの話」という記事で、そこには西原博士は三木成夫派だとあり、ジャーナリストの高野孟氏が三木成夫(大正一四~昭和六二年)の学説の概略をまとめた記事がリンク先(http://www.smn.co.jp/takano/taiji.html)にある。
 同記事に転載された三木成夫の著書『胎児の世界 人類の生命記憶』(中央公論新社、初版一九八三年、二九版二〇一二年刊)に載る、受胎三二日~四〇日の胎児の顔がまさにサメから哺乳動物へと変化していく様がよく判る。

 そして受胎七〇日頃に人間の赤ん坊の顔になる(『胎児の世界』一〇八~一一七頁)。
 受胎二か月半では舌の輪郭が定まり、受胎三ヶ月では舌なめずりや舌鼓を打つことを始め、以後羊水を飲み続けていく(同書六二頁)。

 舌の動きと羊水を飲むことが胎児の動作として最初に記されている。ヒトの発生も腸管に始まるので当然なのかもしれないが、この頃に母親がつわりなどで妊娠に気づくことが多いという時期的な一致も興味深い。胎児の動作が体外の栄養を口から取り込むことに始まり、逆に老衰という自然死が、本稿に以前書いた通り、食べ物の拒絶に始まることを思うと、人間にとっての食の意味の深遠さに驚くばかりだ。
 食は生命維持に必要なエネルギーを摂取することだ。エネルギーといえばすぐ石油、ガス、石炭、原子力などが頭に浮かぶが、それらは人間の生活や活動を補助する機械・機器類の使用に必要なもの。他方、人間自身の体温と生命を維持して活動するにもエネルギーは必要で、その源は食糧なのだ。
 エネルギー自給率の向上は誰もが重要と口にはするが、食糧こそが最重要エネルギーとの意識が希薄ではないか。人間の生命と活動を外から補助する文明の利器に必要なエネルギーばかりに目を奪われ、肝心の人間自身を心身の内から維持して動かすエネルギーの源=食糧の自給をおろそかにするのは、本末転倒の悲喜劇というべきである。(つづく)