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 みょうがの旅 55 おしほい 49 桜とサメの雄々しさ
         (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)7月15日第408号)

●いかなる困難をもひたむきに超克していく、遠祖ネコザメ由来の力を現代の日本人も腸(はらわた)に宿していることは、大東亜戦争の敗北後、そして東日本大震災後の日本人、特に戦災、被災者たちの行動で明らかとなった。
 個人のレベルでも、本誌読者の飯山一郎氏が福島原発事故と放射能汚染の現状下、生き残ることが大事であり、それには良く咀嚼して食べることで免疫力を高め、健康維持を図るべきだと覚り実践している。これも、汽水域に閉じ込められたネコザメがやむなく水棲と陸棲を交互に繰り返す中、干潮の度に環境の激変に苦しみのたうち回りつつも、良く咀嚼して食べて栄養をとり続けた結果陸棲に対応する呼吸システムを生み出したことに相通じる。
 日本人は危機に際してネコザメ由来の力を自らに発揮してきたが、史上稀に見る非常事態で茫然自失となりかねない時に日本人の魂を奮い立たせて、この力を蘇らせてきたものもあった。昭和天皇の大東亜戦争敗戦後の国民を「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」と励まされ、また東日本大震災の被災者達の姿を今上陛下が「雄々しさ」と呼ばれた玉音の言霊がその好例であった。畏れ多くも、両帝のお言葉を拝借した「堪え難きを耐え忍び難きを忍ぶ雄々しさ」と、日本人がネコザメから今に受け継いできたものを表現できよう。
 Heterodontas japonicusという学名がネコザメに付けられたのも、こうしてみると神計らいに思われる。
●これもまた「雄々しさ」だと筆者が認識を新たにしたのは、本稿に以前も書いた、台風並みの暴風にも花を散らさぬ桜を目にした時だった。花が美しいまま散ることも桜の特徴の一つだが、それは桜が弱いのではない。桜の花は散るべき時が来ると自ら散る。それまでは枝が暴風に翻弄されても散らない。だが、散るべき時が来れば、雨風がなくとも美しいまま穏やかに散る。詩人の宮沢賢治曰く「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」さながら、寿命を迎えるまで艱難辛苦にもめげずに己の本分を尽くして生を全うする人の姿にも通じる。日本人が桜をこよなく愛でるのは、美しいままに散る姿に潔さを認めるだけではない。雨風にも負けずに咲き続け、己の本分を全うして後、最早自力で養分を吸収する力さえ無いのに枝にしがみついて醜態をさらすのではなく、魂の修行によって本懐を遂げ、天与の形に内面が充実した直後の清々しい姿で散りゆくからだろう。その桜に、政治勢力同士の争いや時代の激変をもものともせず、子孫の存続のためひたむきに生き、かといって地位や財産、生命への不自然なまでの固執を恥じた先祖代々の雄々しさを無意識に認め、自分もまたかくありたいと心の奥底で願っているからではないか。植物は人の感情や声に反応を示すという。花見というわが国独特の伝統は、互いの生き様に相通じる雄々しさを感じ合う、桜と日本人の魂の共振現象でもあろう。
●桜は、例えば木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る甲斐国一宮浅間神社の御神紋でもある。『古事記』で木花之佐久咲夜毘賣(このはなのさくやびめ)、亦の名を神阿多都比賣(かむたつひめ)と申し上げるこの女神は大山津見神(おほやまつみのかみ)の娘で、高千穂に降臨された天津日高日子番能邇邇藝命(あまつひだかひこほのににぎのみこと)の后となられて、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほをりのみこと)=天津日高日子穂穂手見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)の三柱の御子をお産みになられた。
 邇邇藝命に一夜での妊娠を疑われた木花之佐久夜毘賣命は、疑いを晴らすべく、天神(あまつかみ)の御子ならば火中での出産でも無事なはずと、「戸(と)無(な)き八尋殿(やひろどの)を作(つく)りて、其(そ)の殿内(とのぬち)に入(い)りまして、土(はに)以(も)て塗(ぬ)り塞(ふた)ぎて、産(う)ます時(とき)に方(あた)りて、其(そ)の殿(との)に火(ひ)を著(つ)けてなも産(う)ましける」、と『古事記』は語る。
「火事場の馬鹿力」さながらの凄絶なお産であるが、本稿では以前、女性が内面に宿す強烈な力や男性性について述べてきた。戦争の最中に女性が出産することがある。戦時下で自身の生活も極端に苦しく、出征した夫が生還するかも不明でも、産後の養育も怠らず、自身が危険に直面しても、また死んでも尚、我が子の手を放さぬものと聞く。母親はまさに「堪え難きを耐え忍び難きを忍ぶ雄々しさ」を内に秘めている。
●木花之佐久夜毘賣はご出産を前に、「是(こ)の天神(あまつかみ)の御子(みこ)、私(わたくし)に産(う)みまつる可(べ)きにあらず」と申されるが、その第三子、火遠理命と結ばれる海神(わたのかみ)の娘の豐玉毘賣(とよたまびめ)もまた、「天神(あまつかみ)の御子(みこ)を、海原(うなはら)に生(う)みまつる可(べ)きにあらず。故(かれ)参出到(まゐでき)つとまをしたまひ」、見知らぬ異界の地へ敢然と旅立たれ、そこで天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひだかひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)をお産みになる。さらに、「妾(あれ)恒(つね)は海道(うみつぢ)を通(とほ)して、往來(かよ)はむとこそ欲(おも)ひしを」と、自らは海中生活の身でありながら、御子の養育のため陸上に通い、その際の環境激変に苦しむことも覚悟されていた。しかしこの難業は、お産の際にサメに戻った姿を火遠理命に見られた豐玉毘賣に代わり、妹の玉依毘賣(たまよりびめ)が担われ、さらには鵜葺草葺不合命の御子、神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)をお産みになる。その神倭伊波禮毘古命も長い艱難辛苦を経て、大和國で初代天皇となられる。
 神代の桜とサメから受け継いできた、いのちを伝えるために堪え難きを堪え忍び難きを忍ぶ雄々しさこそ、大和魂の本義ではないか。(つづく)