洞察索引  

                      

 Ⅰ伏見宮と散所商業網 3 結核とハンセン病
       (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)10月15日第391号)

●小学時代の記憶は成長につれて大半は消えるが、篩い別けられて残ったものは終生忘れないようだ。わが小学時代の昭和二〇年代は、結核は国民病であった。学校行事の記憶は歳月と共に薄れたが、今でも忘れないのがツベルクリン皮下注射とBCG接種である。大正八年に改正された結核予防法により、すべての乳幼児と小中学生はこれを受ける義務があったからである。
 ツベルクリンは結核感染の判断に用いられる抗原で、結核菌に感染していた場合にはアレルギーによる陽性反応が起きることを利用する。これによって陽性と陰性に別けられたが、皮膚の発赤部分に定規を当てて、たしか一センチほどあれば陽性であったが、五〇人余りのクラスのほとんどが陽性で、陰性はわずか数人だった。
 陰性及び偽陽性と判った学童は必ずBCG接種、すなわちワクチン注射を受けなければならない。私はいつも発赤部分が小さくて色も薄く、偽陽性であったから、BCGを注射されることとなったが、何とかごまかして嫌いな注射を逃れたことが何度かある。BCGはウシ型結核菌を実験室で培養したワクチンで、長期間培養を繰り返すうちに人体に対する毒性が失われて、抗原性だけが残った細菌を人為的に接種して感染させることで、病気を起こすことなく結核菌に対する免疫を獲得させるのである。稀有な種類の結核として自然感染する皮膚結核があるが、BCGは人為的な皮膚結核である。
 その後、結核予防法が廃止されるに伴い、ツベルクリン反応検査もなくなったが、BCGは唯一の結核予防ワクチンとして、生後六ヶ月以前の乳幼児に対して直接接種を行なう形となっている。成人結核に対する効果には地域による差異が大きいため、接種を実施するかどうか各国で判断が分かれている。
 わが少年時代には世間は学術用語の「結核」を用いず「肺病」と呼んでいた。当時の文芸作品には必ず「肺病」が出てきたが、ハッキリとは書かない。「母が病気で……」などと出てきたら、それだけで肺病と察するのが作家と読者の約束事だった。明治三一年に国民新聞が掲載した徳富蘆花の小説『不如帰』は単行本がベストセラーとなり社会現象ともなったが、メインテーマは結核と嫁いびりの封建的風俗である。今日では『不如帰』が結核のもたらした悲劇を描いた小説として、テレビのクイズに出題されるくらいで実際に読む者はいないと思うが、「結核モノ」の文芸作品はこれだけではなかった。少年読書家として知られた私も、家庭事情から家族モノが嫌いで『不如帰』を読んでいないが、肺病の何たるかは浪曲『天保水滸伝』の剣客平手造酒を通じて知った。
 今日の国民は、結核と聞いても特に感じるところがないようだが、わが少年時代は、耳にするだけで子供心にも恐ろしかった。その頃は市営長屋に住んでいたが、合壁の三棟一二軒のうち一、二軒にはそれらしい噂があり、その家には近寄らないようにと、父から厳しく申し渡された。
 当時の国民が結核の何たるかを知ったのは、見聞や伝承よりも文芸によるところが大きかったことを、私は経験によって確信する。二九歳で病死した近親の死因が大腸カタルと聞かされた私は、六〇年もの間それを信じていたが、父は九七歳にもなってから、死ぬ前に「ありゃ結核やった」と漏らした。外聞を憚って病名を偽った父が、他人事となると風評の発信を敢えて厭わなかったのは、わが子が感染すると困るからで、ことほど左様に、見聞と家伝にもウラがあるのである。
 養父の膀胱癌の治療に際して昭和医大病院は、生理的食塩水で希釈したBCGワクチンを膀胱内に注入する治療を採用してくれた。これによって細胞性免疫が誘導されると同時に腫瘍細胞が排除されると聞いたが、結果は極めて有効で、養父はその後も長生きすることができた。
●長々と結核について語ったのは他でもない。実はその時にBCGワクチンが結核だけでなく結核菌と同類の癩菌によるハンセン病に対しても、顕著な予防効果を示すと教わったことを覚えているからである。
 考えてみれば、結核とハンセン病には、実に多くの類似点があるが、これを博識の諸兄姉に説くのは釈迦に説法の類いであろう。モノにはすべて類似点があると同時に相違点もあるが、ハンセン病と結核の最も顕著な相違点はその症状である。ハンセン病の症状が主として皮膚に出るのは、癩菌の特性によるもので、すなわち癩菌の適温が三一度と低いため、常に体温より温度が低い皮膚を好むことと、末梢神経に親和性があるために皮膚に寄生したがるからである。
 癩菌による運動障害は、筋肉を支配する神経の障害で筋肉が萎縮して手足の指趾が曲がったままになる。顔面では、眼輪筋が機能せず常時開眼状態になるため、外傷を起こして失明する。口輪筋が機能せず、下口唇が垂れて口が開いたまま絶えず涎が流れる。さらに表在神経の肥厚や圧痛が生じ、脱毛や発汗低下がおこり、鼻粘膜の炎症から鼻詰まりになる。
 このような神経障害が皮膚と筋肉に生じるが、心臓や肺・肝臓などの内臓が侵されることは稀で、ハンセン病が原因で死に至ることはない。
 このようにハンセン病と結核とでは決定的に違う症状が外観にもハッキリ顕れることは想像に余る。概していえば、痩せて色が白くなり眼が大きく潤いを湛える結核とは対照的な外観を呈することが多いハンセン病は、古来文芸作品の材料としてはおろか、史書に於いても特殊な扱いを受けてきたのである。
 例えば、豊臣秀吉の参謀だった大谷刑部少輔吉隆を描いた一恵齊芳幾筆の浮世絵『太平記英勇伝』には「病により盲目となり……白布の袋を以て顔を覆い」とあり、病名を明らかにしていない。しなくとも、当時の人には判ったのである。
 となれば、武田信玄の参謀山本勘助はどうか。勘助は「色黒で容貌醜く、隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で、指もそろっていなかった」と伝えられている。これは誰が見ても典型的なハンセン病の症状である。私は今日偶々これに想到したが、四〇〇年余りも世上に流布されたこの伝承を耳にした人士は無慮何百万にも及ぶであろうが、ハンセン病を思わなかった者なぞ昔はいなかったのである。今日の史家が勘助の病名を詮議しないのを無知とは思いたくない私は、後学のために、せめて誰に義理立てしているのかだけでも、教わりたいと願う。
 ならば秀吉の参謀黒田官兵衛孝高はどうか。信長に反抗して有岡城に立て籠もる荒木村重を説得に行った軍使の官兵衛が村重に幽閉された場所は、有岡城の西北にあり、後方は深い沼沢で三方を竹藪に囲まれ、日も差し込まなく湿気が多かった。孝高の頭部の醜い瘡はこの投獄により患ったのである。劣悪な環境の土牢に年余押し込められていたため、左脚の関節に障害が残り、歩行や騎行が不自由になり、以後は合戦の指揮も輿に乗って行なうようになったが、この説の最も古い出典は大正時代の『黒田如水傳』だが、江戸時代なら誰が聞いてもハンセン病と判ったからそれとは露骨に書かなかった文筆慣習を、大正時代になって破ったのである。
 さて、ハンセン病の感染源は未治療の多菌性患者で、飛沫感染するが感染経路は人間から人間へと限られており、鼻または気道から感染する。感染時期は、免疫機能が弱い乳幼児期で、この時期に濃厚且つ頻回の感染機会がなければ発病に繋がらないとされているが、感染から発病までには他にも個人的な諸要因が関与する。
 そもそも個人の癩菌に対する免疫能・栄養状態・吸入菌量には著しい差があり、その他にも衛生・住環境・経済状況など個人が置かれた環境差もあるが、発病までの過程には概して低体温などの個人的体質と食習慣・過密居住などの社会環境が影響するところが大きい。
 以上が一応の通説であるが、米国ルイジアナ・アーカンソー・ミシシッピ・テキサス各州の低地に住むココノオビアルマジロから癩菌が検出されているのは、アルマジロの体温が三二度と極めて低いからである。アルマジロの外にも、自然界とくに低地の河川水に存在している癩菌が、経鼻感染によって人間に感染する経路についても研究されている。
 人為的に創られた悪環境の典型は土牢である。学生の時に見たシネマスコープの『ベン・ハー』で、主人公の母と妹がローマの将軍に土牢に入れられ、数年後にベン・ハーが救出した時には二人ともハンセン病に罹っていて、キリストが出てきてこれを治療する。隔離された土牢で感染病に罹るわけもなく不合理の極みと興醒めしたが、今思えば、劣悪な環境で免疫力が低下したところへ、おそらく癩菌を含んだ川水を与えられたのではあるまいかと思う。
 悪環境が人為的に与えられた例が土牢だが、社会的に与えられた例は過去に夥しく、今なお悪環境に苦しむ地方も多いと思われる。一人が発病すると、背後には必ず悪環境があるが、社会的悪環境は単に個人だけでなく、家族・家系が共有するから、発病原因が個人よりも家系・家族にありと看做されて、周辺から警戒される社会慣行が生じたのである。
 ハンセン病に関する「光田反応」を発見して国際的に知られる光田健輔が、実は「日常使用する水に問題が潜んでいるのではないか」と睨み、ハンセン病多発地の川水を調査していたことを、私は聞いている。
 川水といえば、インドの調査によると、ハンセン病の発症率は貧困層に高く、患者は正常の人に比べて亜鉛・カルシウム・マグネシウムが著しく低値であった由である。
 関西医療大学名誉学長の八瀬善郎が原因を突き止めた熊野地方の風土病「牟婁(むろ)病」は脳と脊髄の働きが失われて手足の筋肉が萎縮し、呼吸や嚥下するのに必要な筋肉まで動かずに衰弱するが原因不明のため治療法がなかった。この病気は「筋萎縮性側索硬化症」で、古座川の水が余りにも清くて化学的には「純水」に近く、カルシウムが足りないうえに付近の岩盤がボーキサイトを含んでいるのが原因と判った。これはご本人からお聞きしたことである。  (つづく)