常夜燈索引 

                赤不動

  天孫降臨と相曽誠治 
(世界戦略情報「みち」平成16年(2664)5月15日第184号) 

▼昔の一年最初のお祭は一月三日の元始祭であった。その時に歌はれたのが「紀元節の歌」である。

雲にそびゆる高千穗の 高根おろしに草も木も なびきふしけん大御世を 仰ぐ今日こそ樂しけれ
海原なせるはにやすの 池のおもよりなほひろき めぐみの波にあみし世を 仰ぐ今日こそ樂しけれ
あまつひつぎの高みくら 千代よろづよに動きなき もとゐ定めしそのかみを 仰ぐ今日こそ樂しけれ
空にかがやく日のもとの よろづの國にたぐひなき 國のみはしらたてし世を 仰ぐ今日こそ樂しけれ

現今では建國記念日とされてゐる紀元節は、神武天皇の建國を讚へた記念日である。が、この歌詞全文をよく讀んでいただきたい。神武建國にちなんだ畝傍山(うねびやま)や鳥見山(とみのやま)などの地名は見當らない。明らかに天孫降臨を意識した歌である。
▼これは明治天皇が特に天孫降臨を意識され、高崎(たかさき)正風(まさかぜ)に命じて作らせた歌だつたのである。正風は勤皇の志士、明治になつてから宮中のお歌所の寄人(よりうど)になった。作曲の伊澤修二は東京の上野にあつた東京音樂學校(現・東京藝術大學)の校長を務めた。
 王政復古の大號令は神武建國に戻れと發せられたと理解されてゐるが、實は、建國の起源は天孫降臨にある。明治天皇はそのことをよく承知されてゐたから、高崎正風にこのやうな作詞を命じられたのである。
▼では、天孫降臨とは何であるか。
 天孫降臨が眞實であるならば、歴代天皇は神の御子孫であらせられる。米占領軍が厚木基地に着陸してから最初に行なつたことは神道指令、即ちこのやうな國體觀を禁止する命令の公布であつた。
 ところが戰前も戰前、こんなことがあつた。愛國の學者として知られる今泉定助が東大の教授をしてゐた時のことである。天孫降臨の論文を書いて、文部省から譴責處分を受けたのである。

「この論文を撤囘しない限り、君を東大に置くわけには行かない」
「私の論文は生涯をかけた研究です。簡單に引つ込めるわけにはまゐりません」
「それでは辭めて貰はうか」

 日本大學の山岡萬之介總長が見るに見かね今泉を日大に引き取つた。その今泉の私宅を相曾誠治(あいそせいじ)といふ少年が訪ねてきた。相曾はどの大學に入つたらよいか、今泉に助言を求めて來たのである。今泉の助言はかうだつた。

「大學へ行くのはよしなさい。君の研究も私のと同じく天孫降臨を扱つてゐる。學界から總スカンを喰ふぞ。伸びようと思つても芽をつまれるだけだ。入學するのは自殺行爲に等しい」
「でも、獨りではとても研究できません」
「苦難の道だが、獨學でがんばりなさい」

 相曾少年はその後、師につかないまま神道の研究に沒頭した。
 相曾誠治は二十八歳になつた。時に昭和一五年、皇紀二六〇〇年である。その記念事業として相曾は『天孫降臨の大義』といふ書物の出版を計畫した。東京のある出版社の社長が非常に氣骨のある人で奔走してくれた。
 當時は一切の物資が統制下にあつた。紙を統制してゐたのは大日本言論報國會で、ここの認可がないと何もできなかつた。社長は相曾の原稿を提出し何回も交渉してくれた。しかし審議会では反対の意見が多く、最後は「出版すべからず」といふ回答が返つて來た。
 だが統制下でも自費出版なら出せることがわかり、相曾は兄に借金をし、闇で熊本の和紙を購入、幸ひ義侠心の強い印刷屋に巡り合ひ印刷まではすませた。だが、製本屋がない。相曾は全冊手製で製本した。
▼完成した本のうち百冊は質問状を添へて、陸海軍の幹部と政財界の重鎮に贈呈した。

「私がこの本にまとめました天皇(昭和天皇)の國體観と、閣下のお考へになられてゐる國體の本義とを比較して、内容が同じでしたらお知らせ下さい。もし違つてゐるとすれば、どの箇所がどのやうに異なつてゐるか、文章に傍線を入れて御返却いただければ幸です」

返事は誰からも來なかつた。
今度は全員の自宅を訪問した。會つてくれたのは、近衞文麿だけであつた。

「今のままでは日本が負けるのではないでせうか。負けないためには日本の指導者たちの國體觀を變へなければなりません……」
初對面の一國の宰相を相手に滔々と自説を披瀝した。近衞は
「君みたいな屁理窟は初めて聞いた。ところで、君は日華事變をどう思ふ?」
「大間違ひです!」
「しっ、大聲を出すな。ここでは私が默つてゐるからよいが、よそでそんなことは絶對に口にしてはならない」
「どうしてですか」
「これ(憲兵)が怖いぞ」

▼相曾は戰後、靜岡縣の篠原町の町長を務め、また保護司として非行少年の更正に盡力していたが、昭和天皇の崩御を期に平成元年から四年にかけて山雅房(せんがぼう)の主催で、各地で講演會を重ねた。二十本を越えるその記録ビデオが、山雅房から發賣されてゐるが、書き下ろしの著作は刊行されてをらず、七本のビデオから起こしたテープをもとに編輯された次の二册の本が刊行されてゐる。

『超古神道Ⅰ サニワと大祓詞の神髓』
『超古神道Ⅱ 言靈と太陽信仰の神髓』(いづれも平成一三年七月、山雅房刊)

▼殘念ながらこの小欄では、相曾誠治の説く天孫降臨(平面史觀と立體史觀)ならびに大嘗祭(オホニアヘマツリ)の世界史的意義について觸れる紙數がなかったが、現今の日本の諸問題は、天孫降臨をどうとらえるかにかかつてゐると思ふ。また、太陽信仰を失つた文明は亡びるといふ見解、新興宗教に對するサニワ、ユダヤ問題、行法の仕方などなど、實に話題の豐富な本である。(赤不動)