常夜燈索引

                

    古事記とコトタマ 
  (世界戦略情報「みち」平成18年(2666)11月15日第239号) 

▼我が國は「言靈の幸はふ國」であると言はれる。だが、近代科學の知識、情報、理論に染つた人は、往々にしてこのことを、「言葉には魂が宿る」といふことの美辭麗句としてしか受け取らない。實質の伴はない記號の選擇の一つとしてしか受け取らない。単なる空疎な紋樣の一つに過ぎない。だから、口では別として、心には響かない。
 古事記とりわけその神代卷は、實は「コトタマの書」である。歴史書として讀むことはできるが、史書としては説明のつかないところが出て來る。そこで古事記僞書説がまことしやかに唱へられる。
▼コトタマに深く分けいつて行くと、どうしてこんなことが分かつたのであらうかといふことに、たどりつく。近代科學が誕生する何千年も前に、よほどズバ拔けた頭腦の持ち主が現れない限り、このやうにコトタマを作るのは信じられないことなのである。
 言語學は、單音を母音・子音・父音に分類しただけだが、言靈學は清音をアイウエオの五母音、ワヰウヱヲの五半母音、キシチニヒミイリの八父韻、其他に子音三十二ならびにン、さらに根源の音としてイとヰを特別な音・親音とみなす。そして、人間の生命現象はこれら五十個の清音によつて營まれるとみなし、それを一覽するものとして五十音圖を掲げる。
▼人間が、物質とは何かを極めやうとして原子・分子等を發見したのは、ごく最近のことであった。目に見える世界のことを極めやうと粒粒辛苦したあげく到達したところが、ここであつた。目を見開いた世界は、これで分かつたと思つてゐるが、目を閉ぢた世界のことはまだ五里霧中である。
 五官で感知できる範圍のことは何とか理解できるやうになつたが眞の人間の生命創造現象については、その構造がつかめてゐない。コトタマがその謎にヒントを出してゐるにもかかわらず、その答へを引き寄せてゐない。目に見える世界の探求に用ひた分析的方法に捉はれ、それを引きずつてゐる。
 ただ一點、コトタマは神の創造であるといふ點を受け入れることを拒んでゐるのである。
▼古事記とりわけ神代卷がコトタマの書であるといふ理解を拒んでゐることが、古事記を空想の書であるとさせてゐる。
 歴史を顧みると大きな謎に行き當る。我が國の政治は古代に於てはコトタマ原理によつて行はれていたにも拘らず、ある時期からコトタマ原理は隱されるやうになつた。これは「神の陰謀」であるのか、神はだうしてこんな意地惡をしたのだらうか。神は決して意地惡をしたのではなく、ここには宇宙的な「深謀遠慮」が見られる。
 天皇と神とは「同床共殿」であつたのを、ことさら天照大神を宮中から遠ざけて伊勢に遷した。同時にコトタマに關する知識は、伊勢の各所にそれとわからぬ形に祕め忍ばせて傳へられた。あるひは御伽噺に、物語に、歌謠に、時がくれば人々がそれと氣付くやうに、忍び語らせられた。實に「深謀遠慮」ではないか。
▼歴史や個人の業績を見れば、神はときどき「囘り道」をさせることがあることに氣付く。個々人の不幸不運と見える運命も、その人に力を付けさせるため機會を與へてゐるに過ぎないことが見えてくることがある。キリストや釋迦が、なぜ崇められるのか、なんら不幸にあわず聖人君子となった人々よりも苦勞を積み艱難辛苦を經て來た人の方が、はるかに徳を積んでゐるからだ。
 物質に關する知識にしても、それが人間にとつて非常に大切な知識であるだけに、これを習得させるために神は「囘り道」をさせた。精神世界に關する道に入つてよけいな勞力を費やさないよう、神は精神への囘路を一旦封印した。かうしてコトタマへの道は閉ざされることとなつた。
▼ところが時代は變つた。氣象は變り、人心も變つた。隱されてゐたコトタマ原理も姿を露はしてきた。コトタマ原理だけでなくさまざまの眞理が一齊に花を開かせやうとする時を迎へてゐる。いまや古事記はフルゴトブミとして、そして、コトタマの書として迎へられる時期に來たのだ。
▼かつて物質世界において、限りなく眞理に近い世界に近づいたわれわれが、精神世界において限りなく眞理に近い世界に旅立つ時が、いよいよとなつたのである。
 確かにテレビのチャンネルを捻れば、忌まわしいニュースの流れない日はない。イジメ、親殺し・子殺し、環境破壊、汚職……社会のどこもかしこも、途方もない音を立てて崩れて行く感を否めないが、いみじくも武田鉄矢が言つたやうに、今強くならなければならないのは、イジメル方ではなくイジメラレル方であらう。
 かういふ時期に、真理の世界に旅立つ時が来たと言っても空疎に響くかも知れないが、古事記がコトタマの書であるといふことは、自分達が解けない謎を頭ごなしに否定するのではなく、神が作つたものは神が作つたものとして素直に肯定する態度が事態解決に必要なのではあるまいか。(赤不動)