常夜燈索引

               

     忠臣蔵異聞 
  (世界戦略情報「みち」平成19年(2667)2月1日第243号) 

▼今から三百年ほど前、元禄十五年(一七〇二)一二月一四日に起こった赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件、いわゆる忠臣蔵は、年末年始の日本人が必ず想い起こさなくてはならない史実のように、毎年これを題材に、テレビ局がさまざまな脚色を加えて制作するならいとなっている。
 今年も『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』なる題名の一〇時間番組が一月二日に放映された。浅野内匠頭の妻・阿久利、後の瑤泉院が討ち入りの真の首謀者だったという新説に基づき、瑤泉院の目から見た忠臣蔵を描いたものである。
▼筆者がマスメディアに表われる『忠臣蔵』現象に興味を持ったのは、さるヨーロッパ在住の日本人より、「アメリカには『忠臣蔵』専門の研究機関があり、二百人ほど研究者がいるそうだ」と聞いたからである。しかもこの研究機関は民間ではなく、米国の公的な情報機関によって運営されているという。その名称や内実については審らかではないが、たしかに日本と日本人を深く研究するには『忠臣蔵』は絶好の題材であることは間違いないだろう。
 ところが、単なる研究というような悠長な話ではなく、より現実的で直接的な対日政策のために、この研究機関は活用されているようである。
 研究の最大のテーマは「いつ日本人はアメリカに復讐してくるか」というもので、大東亜戦争敗北の仇をいつ日本人が取りに来るのかを、『忠臣蔵』を研究することで読み取ろうとしているようである。
▼多くの日本人にとっては、「いまさらアメリカに復讐するなんて」と、冗談話としか思えないであろう。
 アメリカ人は彼らなりの発想で、絶対日本は復讐してくる、欺されないぞ、と必死で日本人の動きを観察し、時には自らの望む方向に誘導して、吉良上野介にならないよう身構えている。

 ……われわれはたとえ敗れても、依然として前と同じ考えを抱き続ける。戦いに敗れたヨーロッパ人は、どの国においても、徒党を組んで地下運動を行った。少数の頑強な抵抗者を除いて、日本人はアメリカ占領軍に対し不服従運動をしたり、地下潜行的反対をしたりする必要を認めない。彼らは古い主義を固守する道徳的必要を感じない。占領の当初から、アメリカ人は単独で、すし詰め列車に乗って日本の辺鄙な片田舎へ旅行しても何の危険も感じず、かつては国家主義で凝り固まっていた役人に丁重な礼をもって迎えられた。今までに一度も復讐が行われたことはなかった。われわれのジープが村を通り抜ける時には、道ばたの子供たちが立ち並んで、「ハロー」、「グット・バイ」と叫ぶ。そして自分で手を振ることのできない小さな赤ん坊の場合には、母親がその手を持って、アメリカ兵に向かって振ってやる。
 敗戦後の日本人のこの百八十度の転向は、アメリカ人にはなかなか額面通りには受け取りにくい。それはわれわれにはとうていできないことである……。

 文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』(一九四六年刊)の一節だが、名誉に敏感で、汚名を雪ぐことに命を投げ出す日本人が、まさか敗戦の屈辱をさっぱり水に流して復讐を忘れるとは考えられないのであろう。
▼倭建命が童女の姿となって熊曾の酒宴に連なり、油断させて熊曾建兄を刺殺したこと。曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士の原野で不意討ちした仇討ち。渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国は上野の鍵屋の辻で討った事件。
 いずれも相手の不意を襲った騙し討ちであり、真珠湾攻撃と同じく日本人はアンフェアな戦い方をする。米国人からすれば目的さえ正しければ、手段(ルール)は問わないのが日本人。西部劇でも厳然たる二つのルールがある。

うしろから撃ってはならない
丸腰の男を撃ってはならない

 したがって、米国の人間にとって『忠臣蔵』の倫理も美学もアンフェアであり、「ナンセンス」だとなる。
 これが彼らの論理であり、戦後六〇年を経てもなお『忠臣蔵』研究に血道を上げるゆえんである。
▼「騙し討ち」、「不意打ち」を日本人が行なうのは、最も少ない犠牲で目的を達するための知恵であり、実質的に最もフェアな結果をもたらすからだ。いくさの目的のみを確実に捉え、撃つには「不意討ち」しかなく、一人一殺のテロリズムの倫理性の高さのゆえんはそこにある。9・11事件のような大量殺戮とは全く異なる思想である。
 アメリカ・インディアン虐殺や、広島・長崎への原爆投下を論ってみても詮無きことだが、大石内蔵助が「目指す敵は上野介ただ一人、手向かう者のみを討ち、逃げる者は見逃せ」と指示していることは注目されているのだろうか。
▼多数の日本人が見る「忠臣蔵」テレビに新傾向が出たら要注意である。今年の「瑤泉院を始め魅力溢れる女性たちの活躍」(同番組HP)という新機軸に込められた意味をよく考えてみよう。(青不動)