常夜燈索引

                

  「淀屋辰五郎闕所事件」の教訓 
        (世界戦略情報「みち」平成19年(2667)3月1日第245号) 

▼銀行が日常的に行っている信用創造の秘密をガルブレイスは『不確実性の時代』でこう説明する。

 預金は、銀行の中で遊ばせておく必要はなく、それを貸出すことができたわけで、その過程で銀行は利子を得た。借手はかくして、彼がいつでも使える預金を持つことになったが、最初の預金は引続き最初の預金者の貸方に記帳されていたのであって、それもまた、いつでも使うことができた。かくして貨幣、すなわち使用できる貨幣が創造されたのである。誰も訝る必要はない。この種のことは現在でも毎日行われている。銀行による貨幣の創造というものは、このように単純であり、あまりに単純なので、ちょっと反発したいような気になる。

 ごく簡単な原理である。それは銀行にすべての預金者が一斉には引出しにこないという仮定に立ち、その何十倍、何百倍の貸し出しを行ないうる、という原理である。預金者が一斉に引出しを求めたら、銀行は残高不足に陥って払い出しを拒否せざるを得ない。なぜなら預金は預金者とは別の企業や個人に貸付けられおり、通帳に「○○円お預かりしております」と書いてあっても、それは存在しない可能性があるからである。ただ現実には、時間差をもって引出されたり預入れがされたり、はたまた他の銀行から借り入れたりして、残高不足が露呈しないだけである。
「籠脱け詐欺」というのは、関係ない建物を利用し、そこの関係者のように見せかけて相手を信用させ、金品を受取ると相手を待たせたまま、自分は建物の裏口などから逃げる手口の詐欺であるが、銀行や金融機関の建物が立派なのは、「籠脱け詐欺」の舞台として顧客を信用させるためであることがわかる。「人のふんどしで相撲を取る」という言葉も銀行に当てはまる。モノを生み出さない銀行は、人が預けた金を自分のモノとして膨らませて貸付け、利子をとる。
▼利子の恐ろしさを如実に見せつけたのが宝永二年の「淀屋辰五郎闕所事件」だ。近松の浄瑠璃「淀鯉出世滝徳」でもお馴染みの大阪の豪商淀屋の繁栄と没落の物語だが、その背景には当時の日本を揺るがした利子問題があった。淀屋は豊臣秀吉が命じた淀川築堤工事で認められて巨利を博し、徳川家康の大阪攻めでは、仮城建造で功績を挙げ、米相場や青物市、魚市の創設者となって資産を増やし、各大名家の蔵元や大名貸しを行い大阪一の富商となった。
 淀屋は四代目重当の時代に絶頂期を迎える。屋敷を百間四方に構え、書院は金張り、庭には泉水や大樹珍木を設け、夏座敷の間にビードロ(ガラス)の格子を立て、天井もビードロ張りにして清水を湛えて金魚を放ち、座敷の畳は毎日替えられ、一万坪もの邸内には「いろは」の順に四八もの蔵が立ち並び、屋敷前から米市までの間に橋まで架けた。これが今も残る「淀屋橋」である。借金を申し込む諸藩の役人たちが淀屋を入れ替わり立ち替わり訪れ、その店先は殷賑を極めたという。
▼宝永二年五月、五代目淀屋辰五郎は幕府により「町人の分際を越えた贅沢が目に余る」として闕所、取り潰しになった。店の番頭や手代ら十数人が打首、入獄の刑に処せられている。
 当時の淀屋の貸付目録によると、大名貸し一億両、武士貸し三〇万両、公家貸し一三万両となっている。大阪以西の大名で淀屋から借りていない者はいない、といわれただけのことはある。
 宝永五年ごろの江戸幕府の公定利息は二割であり、大名貸し一億両の利息は年間二千万両となる。当時の米の値段を二石一両と見ると、利子は実に四千万石に上る。宝永年間の全国の米生産高は二千六百万石だから、淀屋が一年間に大名から吸い上げる利息は日本の全生産力を一千四百万石も上回ることになる。
 つまり利子という虚構の数字がもたらす現象すなわち貨幣という現象が、経済の実態を凌駕して、すべてを吸い取るという事態となっていたのである。それは淀屋という一豪商の大名貸しに起因していたのだ。幕府が淀屋の大名貸しを政治権力で暴力をもって帳消しにしなければ、利子の猛威によって米本位の経済が崩壊する危険に曝されていたのである。幕府と西国大名が結託して利子奴隷状態を解消するため淀屋を闕所としたのである。
 その権力の姑息ぶりを、われわれは嗤えない。今日でも原価にすれば一枚一三円六五銭の只の紙切れに過ぎない一万円札が、利子やリターンを求めて大手を振って世間を幻惑している状態は当時と本質的には変わらないからだ。
▼古来帝王君主は金で飾って富と権力を誇示した。金を預かった銀行は借用書である銀行券(紙幣)を発行した。神道的に見れば、紙幣が金に憑依し、金は「依代」(よりしろ)の役目を果たしていた。ニクソン大統領の「金ドル交換停止」宣言以来、紙幣=通貨は依代を失い、兌換紙幣であることを止めた。しかし人々は依然として紙幣に神的霊的威力を幻視し、紙幣は生き永らえている。金ではなく、生態系に基礎を置く通貨の原理は、日本文明の中に存在する。われわれはただ目を覚まして、それに気づきさえすれば好いのである。(青不動)