常夜燈索引

                

  安倍首相の辞任について 
   (世界戦略情報「みち」平成19年(2667)9月15日第257号) 

▼本来なら前号「ファンド資本主義の誕生と終焉」の続編を掲載予定だったが、九月一二日安倍総理の辞意表明の報が飛び込んできたので、その件について述べたい。日本のおかれた困難な立場が象徴的に表われている出来事だと思うからである。
 安倍総理は二〇〇二年九月小泉訪朝に官房副長官として同行、北朝鮮による日本人拉致問題で「五人生存、八人死亡」という北朝鮮側の発表に激怒し、小泉総理に日朝平壌宣言に署名させず毅然として帰国を促したことで国民的人気を博し、昨年九月の自民党総裁選挙で圧勝した。
 安倍政権は「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、大東亜戦争敗戦後現在まで続く米軍による占領体制の打破を目指していた。外交的には対米自立、日英連携、国内的には占領憲法改正、教育改革、公務員改革に取り組んでいた。
 総理就任後初の外遊に韓国、中国を選び、小泉政権時代に靖国神社参拝問題で悪化していた日韓、日中関係を正常化し、特に胡錦濤中国主席の熱烈な歓迎を受けた。靖国問題については事実上参拝しないことを胡錦濤政権に約束し日中両国は「戦略的互恵関係」に格上げされた。小泉=ブッシュの蜜月から一転して対米自立論者の安倍総理の登場で、日米関係は冷却化した。
 防衛庁から防衛省に昇格した際の式典挨拶において、安倍首相は反米の雄ドゴール仏大統領の書物から引用して演説、防衛大学卒業式では「最も尊敬する政治家」というチャーチル英首相の言葉を使い訓示を垂れた。いずれも米国人の神経を逆撫でする引用だった。
 いままで参勤交代よろしく、わが国の新首相はまずワシントン詣でをする習わしだったが、安倍総理は就任後半年以上米国を訪問しなかった。業を煮やしたブッシュ大統領はチェイニー副大統領を今年二月日本に派遣し、アフガニスタン、イラクでの対テロ戦争へのさらなる協力を求めたが、安倍総理から色よい返事は返ってこなかった。
 四月にようやく初訪米した安倍総理はブッシュ大統領との会談で、北朝鮮拉致問題が解決されない限り、北朝鮮の「テロ支援国家」指定解除や米朝国交正常化を行なわないよう強く要請した。ライス米国務長官から日本の拉致問題と関係なく「テロ支援国家」指定解除の可能性を示唆され、安倍総理の要請は事実上空振りに終わった。
▼今年六月に噴出した朝鮮総連の本部ビル差押さえ偽装回避事件も、安倍政権に影響を与えている。
 拉致問題の水面下での解決を模索していた首相官邸の一部が、総連本部ビル差押さえを回避させることで北朝鮮に恩を売り、交渉をスムーズに運ぼうとしていたのだ。これを嗅ぎ付けた北京政府がその事実を全国紙にリーク、元公安調査庁長官や元弁護士会会長などが逮捕される事件となり、拉致問題の交渉は行きづまった。
 中国は、対米自立論者で北朝鮮への強硬姿勢により国民的人気を獲得した安倍総理と連携することで、「日中対米朝」の対立構図を作り出すことを狙っており、拉致問題や日朝交渉が前進することは何としても阻止しなければならない立場にある。
 金正日はたったビル一つの問題すら解決できない官邸の統治能力に強い疑問をもったとされている。中国の思惑通り、日朝関係は停滞を余儀なくされた。
▼安倍総理は訪米前に欧州各国を訪問、特に英国との連携を強め、対米牽制の足がかりを作ろうとした。イラク戦争で米国に次ぐ兵力派遣をしている現在の英国にとり、日本は対米交渉上の駒にはなり得ても、かつての日英同盟のような関係を持つことは不可能だった。
 それでもわが国金融庁は、ロンドンのシティ型の金融特区を東京につくることを宣言、英国大蔵省から金融市場創設のための助言を受けている。
 八月に安倍総理はインドを訪問し、自由、民主主義、法の支配など価値観を同じくするものとして外交安全保障関係を強化することで合意した。極東軍事裁判でわが国を擁護したパール判事の長男と会談し、戦後の東京裁判史観の超克を明確に示した。ただインド首脳は、欧米流価値観を日本が主張することへの違和感と、インドを対中包囲網の盾としか見ない戦略観に疑義をもっていると言われている。長い歴史と伝統をもつ誇り高きインド人は、独自の世界観と戦略で国際情勢に関与しており、日米などの思惑通りに動くことはあり得ないはずである。
▼米国一極支配の時代が終わり、世界は多極化しつつある。この状況下での安倍総理の対米自立外交は時宜にも理にも適ったものといえよう。田中角栄総理の対米自立エネルギー外交は米ソ冷戦のただ中で敢行され、失敗に終わりはしたものの教訓と人材を残した。安倍外交は残念ながら打った手がほとんど自縄自縛に陥り、気がつけば安倍総理を支持する指導者は胡錦濤だけという状態になってしまった。
「戦後レジーム」から脱却し明治国家に戻るのではなく、「近代」を超克して神武創業以前に戻る、気宇壮大にして浪漫溢れる詩情こそが、今後の日本の指導者には必要だ。(青不動)