常夜燈索引

                

  相撲は地鎮・鎮魂の奉納神事 
      (世界戦略情報「みち」平成19年(2667)10月15日第281号) 

▼保田與重郎は、ふるさと奈良県櫻井市に隣接する大三輪町(現在は櫻井市穴師(あなし))にあった相撲発祥の地である「穴師兵主神社」(あなしひょうずじんじゃ)の荒廃に心を痛め、地元の市長など有志と國技発祥地昭和顕彰会を結成した。三浦義一、尾崎士郎、影山正治ら各氏の協力を仰ぎ昭和三七年秋、同神社に時の大日本相撲協会理事長時津風親方以下全幕内力士が正式参拝し、神社内の史蹟カタヤケシ[當麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の相撲址と伝承される台地]に土俵が奉納され、柏戸はじめ力士たちの土俵入りの神事を一目見ようと詰めかけた観衆は一〇万人を数えたという。
 保田與重郎は「國技相撲の發祥地」(昭和三七年三月)において、こう述べている。

 わが國技といはれる相撲の始まりは、この山の麓の大兵主神社境内で行なはれたのである。垂仁天皇の御代七年「日本書紀」の示すところでは、ざつと二千年前とある。相撲の神話的起源は、天孫降臨の時、國讓の物語に見える。それが第二の國づくりの御代に、改めて天覽の相撲として國史に出現するのである。土人は久しい以前より、境内カタヤケシ天覽相撲の遺址として傳承してきた。そこには野見宿禰のさヽやかな好ましい神社さへ建てられてゐる。
當時、當麻蹴速といふ強い力士がゐた。天皇は蹴速に匹敵する強い力士を全國に求められた。相撲は國俗としては、單なる競技武技の類ではなく、その行事が神事を意味する靈異のものと見られてゐた。農本国家に於て、相撲は惡靈をしずめる神事だつたのである。そのことが「源平盛衰記」の位定めや、「甲越軍記」の土地支配權の決定の説話の根柢となるのである。敕によつて力士を求める使の歌は後の萬葉集にも見られる。垂仁天皇の敕によつて現はれたのが出雲人の野見宿禰で、天覽相撲の勝者となつた宿禰が、氏族と共に居住したのが今の櫻井市の出雲と傳へられ、こヽで宿禰はハニワを作つた。
 ……相撲が國技である由来は、垂仁天覽を濫觴とし、その行事は萬葉集に見え、代々の國史が、國の大本の政事として、相撲節の事實を必ず明記した。土俗にも、神事に奉納相撲の附随することは各地にその例が多く、元来に於て相撲は奉納相撲の性格をもつのであつた。

▼當麻蹴速と野見宿禰の相撲は、垂仁天皇の七年(紀元前二三)七月七日に行なわれ、以降宮中での節会相撲として承安四年(一一七四)まで断続的に開催されている。
 野見宿禰を先祖とするのが土師氏であり、埴輪づくりを生業とした。埴輪は天皇や近親者が亡くなった際、近習を陵に埋め殉死させる習慣に代わって陵墓の周りに立てることにしたことから使われるようになり、土師氏は土器づくり土師部の長であり、天皇の葬礼を掌った。土師氏から出たのが菅原氏(道真も一族)と大江氏であり、秋篠氏も同系統である。
▼折口信夫は、相撲が「田の行事の占いとして、神と田の精霊が抗争し、結局精霊が神に負けて神の意志通りになる行事」(「年中行事」)だったと説いた。
 相撲は世界中に類似した形態が見られるが、わが国の場合は農耕における豊穣祭の色彩が濃く、農耕儀礼と深く結びついている。特に「しこ」と呼ばれる足踏みには、古代から悪霊を鎮め払う呪術的要素が込められており、農耕の豊凶占い、雨乞い、地鎮に相撲が奉納される由縁となっている。
▼昭和天皇は大変な好角家として知られ、戦前戦後を通じて五一回も天覧のため国技館に御幸されている。
 大相撲の優勝力士に贈呈される天皇賜杯は、大正一四年の当時、摂政宮として台覧されたおり下賜された奨励金でつくられた「摂政宮賜杯」が原型となっている。現在の大相撲制度の根幹は昭和天皇の御意志が基となっているといっても過言ではない。
 国技館のある両国には、明暦三年(一六五七)の江戸大火の犠牲者らを弔うために建立された回向院がある。天保四年(一八三三)から旧国技館ができるまでの七六年間、回向院境内が大相撲の開催場所となっていた。
 回向院に近い横網町公園内には東京都慰霊堂がある。昭和五年に関東大震災の身元不明者の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として建立され、昭和二三年より東京大空襲の身元不明者の遺骨も納めて合祀している。
 国技館の力士たちは両国周辺に眠る死者たちの霊を鎮魂するため、土俵を通じて地面を踏み固める役割を担っている。昭和天皇の度重なる国技館への行幸は相撲が行なう地鎮と鎮魂の儀礼を主宰されるためだったということもできる。戦後、昭和天皇が強く希望されて全国各地をくまなく巡幸されたのも、大東亜戦争の敗戦で焼野原となった日本の国土を自らの「しこ」によって踏みならし、戦争犠牲者の魂鎮めを行なうとのお気持ちからだったのであろうか。
▼昭和三五年にわが国の総就業人口の三割近くを占めていた農業人口は、いまや三%台にまで低下している。農耕にまつわる様々な儀礼や伝統、なかんずく國技といわれる相撲がその根拠を失いつつある。こう考えると、稲作国家の最後の天皇は昭和天皇であったのだ。(青不動)