常夜燈索引

                 

   「狸寝入り」する日本 
   (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)4月1日第269号) 

▼「狸寝入り」という言葉がある。死んだふり、寝たふりをするという意味で使われる。これは、猟師が狸を狙って猟銃を撃った時、その銃声に驚いて狸は弾がかすりもしないのに気絶してその場に倒れ、擬死状態に陥ることを指している。
 猟師は獲物を仕留めたと思い、油断して近づくと、狸は息を吹き返しそのまま逃げ去っていってしまうということがおこる。
 果たして、狸が意図的に漁師を欺そうとして「狸寝入り」しているのかどうか不明だが、狸なりの自己防衛本能であることは間違いない。
 また湿地に生息する昆虫トゲヒシバッタは、カエルに襲われたとき、全身を硬直させ「死んだふり」をする。カエルに捕まり、そのまま飲み込まれないよう、後足を突っ張って硬直する。この姿勢を取ると、トゲヒシバッタのトゲがカエルの口に刺さりやすくなり、いったん飲み込んだカエルも吐き出してしまうことがあるという。
▼二月一三日、羽毛田信吾宮内庁長官は定例記者会見で、愛子様の参内が少なく両陛下が心配されている旨を発言し、波紋を呼んだ。事実上の皇太子批判であり、これは当然両陛下の御了解のもと、その意を体しての宮内庁長官の発言だったと思われる。
 皇太子殿下は二月二一日の誕生日前の記者会見でこう言及された。

 両陛下の愛子に対するお心配りは、本当に常に有り難く感謝を申し上げております。御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います。

 昨年皇太子ご一家は一五回程度参内され、うちプライベートな参内は二、三回だったとされている。皇太子妃雅子妃殿下が、お世継ぎ問題や慣れぬ皇室行事、慣習に適応障害を起こされ、実質的に病気療養生活を送っておられることから、参内が秋篠宮家(年四五回)ほど頻繁でない現状は、両陛下や宮内庁は当然認識しているはずである。
 年間一五回といえば月一回以上であり、参内が少ないと問題視されるほどのことなのだろうか。
 羽毛田長官の発言以降、女性週刊誌や通俗誌はもとより、保守系月刊誌『文藝春秋』(四月号)まで「天皇家に何が起きている」という特集を組んで、皇室不和問題を広く世間に流通させている。
 同特集では、皇室を思うがゆえにという姿勢を装いながらも、皇太子殿下に離婚を勧めるが如き主張や、秋篠宮への皇統継承を求めるなど、現皇室の解体に繋がりかねない保守系論者の見解が展開されている。これらは羽毛田発言をきっかけにいっせいに噴出してきた現象で、今上陛下の大御心をさも先取りするかのように繰り広げられている。
 小泉政権時代、皇室典範改定により女系天皇容認に踏み込もうとしたが、秋篠宮家に悠仁親王が誕生し、男系皇嗣存続が保証され典範改定は不要となった。つまり、雅子妃殿下に関わるお世継ぎ問題は事実上解消されたといえよう。
 今後は、現行の皇室典範の規定に則れば、皇統は今上陛下から皇太子殿下、秋篠宮殿下、そして愛子様に続く男子皇孫が誕生しなかった場合は悠仁親王が継承される、ということで皇位継承問題は結着済である。
 このように皇太子ご一家の参内問題も、お世継ぎ問題も、さして問題とは言えない中での羽毛田長官の発言は、両陛下の意志を体していると言われるだけに不可解であり、その真意がどこにあるのか窺い知れない。
▼皇室不和を初めとして、衆参不一致、日銀総裁不在、などわが国の中枢機能は麻痺状態に陥っているかのような感にとらわれる。海外メディアも、世界的サブプライム危機、チベット問題や北京オリンピックなどを抱えるアジア地域のリーダーとして日本がまったく指導力を発揮できないことを揶揄している。特に、今年七月に北海道で開催予定のG8サミットにおいてわが国が目に見える形でリーダーシップを示すことは考えられず、一段と日本の中枢麻痺ぶりが際だつこととなろう。
 日銀総裁は福田総理と小沢民主党代表が合意すれば簡単に決まる人事である。なぜか福田総理は民主党の嫌がる元大蔵事務次官を第二候補として提示して拒否され、空気の読めない総理と批判されて総裁不在は続いている。
▼今上陛下の御心や政界上層部の動きを忖度すると、こうした不和や不一致は一種の「狸寝入り」、「死んだふり」ではないかと思われる。意図された不和や不一致ではないが、期せずしてわが国が機能不全に陥り、それが危急の時にあってわが国を守る結果となる「狸寝入り=擬死」と見るべきだろう。
 サブプライム危機への巨額の冥加銭、アフガンやチベットへの派兵、環境問題への企業献金など、「国際社会」は日本に膨大な要求を突きつけている。あまり真面目に応える必要はなく、当分「狸寝入り」の大御心を楽しむ余裕を持ちたいものである。(青不動)