常夜燈索引

                    

  和して同ぜず、敬して遠ざける 
       (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)6月1日第273号) 

▼国賓として来日した胡錦濤国家主席は五月七日、宮中晩餐会に招かれた。天皇陛下はおことばの中で次のように日中関係に言及された(宮内庁ホームぺージより引用)。

 私が皇后と共に貴国を訪問いたしましたのは、一九九二年、日中国交正常化二〇周年の年でありました。ご招待いただいた楊尚昆国家主席を始め、貴国政府から心のこもったおもてなしを頂き、訪れた各地で多くの人々から温かく迎えられたことは、今も懐かしく思い起こされます。
 私は、かつて七世紀から九世紀にかけて、我が国の遣唐使が訪れた唐の都長安があった西安を訪れたいと思っておりましたので、この訪問に当たって、これが実現したことは、うれしいことでした。唐の様々な文物は遣唐使や同行した留学生、留学僧によって我が国にもたらされ、我が国の人々はそれを熱心に学びました。再来年建都一三〇〇年を迎える奈良、京都の都市計画、また当時の律令制度も、我が国が唐から学んだものであります。八世紀前半に在位した聖武天皇の遺愛品などを収めた正倉院には、唐からもたらされた品々も多く保管され、当時の唐と我が国の交流の跡をしのばせます。この度主席閣下がご訪問になる奈良の唐招提寺は唐から渡ってきた鑑真和上により創建され、来年は一二五〇周年を迎えます。和上の我が国への渡航には、それに対する妨害や難船という困難があり、我が国側の強い希望と、和上の視力を失っても変わらざる熱意によって、六回目にようやく実現しました。奈良では、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇以下百官が和上から戒を受けました。鑑真和上の渡航にも示されるように、当時の航海は大きな危険を伴うものであり、多くの人々が難船の犠牲となりました。このような危険を顧みず、渡航を試みた人々の努力に深く思いを致すものであります。

 陛下は第四五代の聖武天皇(七〇一~七五六)や第四六代の孝謙天皇(七一八~七七〇)が、苦難を乗り越えて来日した唐の高僧鑑真によって菩薩戒を授けられたことを回顧され、当時唐から齎された文物や、鑑真が創建した奈良の唐招提寺が一三〇〇年の風雪に耐えていまだに大事にされていることを示された。
 易姓革命によってたびたび王朝が交代し、さらには異民族による支配も珍しくない支那大陸の歴史には、國体=社稷の連続性や文化の伝統は存在しない。胡錦濤は一九四九年に成立した中共王朝の第四世代の王であり、唐や明など歴代王朝との関係は全く断絶している。陛下のおことばは期せずして日支両国の国柄の違いを鮮明にされたといえよう。
▼晩餐会終了数時間後の翌五月八日午前一時四五分、茨城沖を震源地とする震度六・七の地震が起こり、ホテル・ニューオータニに宿泊中の胡錦濤は強い揺れを感じた。五月一〇日関西視察を終え北京に帰った二日後の五月一二日一五時五五分、四川地震が起こった。
 耿慶国中国地震局研究員は二〇〇六年に旱魃と地震の関係の研究から、四川省アバ・チベット族自治区でマグニチュード七以上の大地震を予測した。今年四月二六日・二七日に開催された中国地球物理学会付属天災予測委員会では、一年以内に蘭州より南の四川・甘粛・青海の境界付近で震度六~七の大地震発生の可能性があると指摘し、同趣旨を四月三〇日中国地震局に報告した。さらに耿氏は強い磁気嵐の同時発生によりアバ・チベット族自治区で震度七以上の地震発生時期を五月八日の前後一〇日間と予測していた。
 耿氏の予測以外にも多くのルートから複数の地震予知報告が四川省共産党政府上層部に集まっていた。四川省省長、共産党書記、地震局長及び九人の地震専門家は四月二〇日前後から家族連れで相次いで出国し、シンガポールに避難していた。
 地震発生の一〇日前から一般市民の間にも関連情報が広がり、四川省当局に問い合わせが殺到した。当局は五月九日にホームページ上で、地震発生の噂は「デマ」であり、決して信じないようにと告知した。ただ、地震発生の直後にこの文章は削除された。
 四川大地震直後に被災地に出向いた温家宝首相に四川省トップである党書記や省長らが同行していなかったのは、国外にいて同行できなかったからである。
▼保田與重郎は昭和一三年五月から六月にかけて朝鮮、北京、満洲を巡ったが、その折の見聞を『蒙彊』に纏めて同年刊行した。保田は支那人のひととなりをこう述べている。

 彼らの行ふ非倫の行為の強さは、その長期抗戦のもとに、自國を敵國に對するやうに扱ふのである。彼らは自國の民に洪水を與へ、自國の民に悪疾の細菌を與へることを平気でする。

 天災や革命、騒乱と暴動、はたまた虐殺や食人の狂気と混乱に活力や商機、ひいては出世の糸口さえも見出す支那人気質は古今不変である。
 数千万人もの自国民を平然と虐殺した毛沢東こそ支那の大人であり英雄だ。五万や一〇万の死亡者が出ても泰然と詩を詠み熟睡していられるのが支那の皇帝である。被災地を激励して歩くのは下級役人のやることだ。
 日支の関係は、「和して同ぜず、敬して遠ざける」の精神を以って臨んできた先人の智恵にわれわれも学びたいものである。(青不動)