常夜燈索引

                    

  文化大革命の鎖国主義を評価する 
         (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)6月15日第274号) 

▼文化八年(一八一一)、測量のため千島列島を訪れていたロシア船ディアナ号が松前藩によって拿捕された。艦長ゴロヴニン海軍中将らは抑留され、文化一〇年、高田屋嘉兵衛と捕虜交換により解放され、ロシアに帰国した。ゴロヴニンは帰国後『日本幽囚記』を著し、各国語に翻訳された。その中にゴロヴニンと日本側取調奉行との間の「鎖国」に関するやりとりがある。

「ヨーロッパでは戦争のないのは五年とは続かず、また二カ国が争ひを起すと他国も沢山その争ひに割り込んで来て、ヨーロッパ全体の戦争になるやうですが、一体その原因は何です」
「隣合つて生活し、絶えず交渉を持つているために、不和のきつかけが出来るのです。さうした不和は、必ず円満にまとまるとはきまつてゐないのです。ことに個人的な利害と名誉心が混つて来ると、なほさら友好的に解決できません。さてある国が他国と戦争して大いに優勢となり、強大になつて来るとします。すると別の国々まで、その国が自国のために危険な国となることを許さずに、弱い国の肩を持つて、強い国と戦ふのです。強い国の方でも、もちろん同盟国を求めるのです。かうして戦争は殆んど全般的なものとなつ て行くのです」
「かりに日本と支那が西洋諸国と国交をひらき交際するやうになり、さらに西洋の制度をまねるやうになつたら、人間同志の戦争は一層頻繁に起り、人間の血は一段と沢山流されるのではありますまいか」
「さうです。それはさう成るかもしれません」
「もしさうだとすれば」
「さつき、二時間ほど前にいろいろとヨーロッパと交際したがよいとご説明をいただきましたが、やつぱり日本としては西洋と交際するよりも、古来の立場を守つた方が、各国民の不幸を少くする意味で却つてよいのではありますまいか」

 ゴロヴニンは、「私としてはこんな風に遠廻はして持つて来た思ひがけもない反駁をうけると、正直なところ云ふことを知らなかつたのである。仕方がないので、『もつと日本語が上手になつたら、この問題について僕の意見の正しいことを証明できるのですが』と云つては置いたが、心の中では(たとひ日本の演説家となつても、僕はこの真理をくつがえすことは難かしからう)と考えたものである」と率直に日本側に鎖国の「道義」があることを認めている。
▼二〇世紀最大の「鎖国」論争を巻き起こしたのは、毛沢東が提起した文化大革命によるものだった。
 現在の中国共産党の文革に対する公式総括は「指導者が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱である」(一九八一年六月中共十一期六中全会)というもので、「わが党が犯した最大の過ち」として謝罪し、いまもタブーとして触れてはいけない政治問題となっている。
 一般に、毛沢東が大躍進政策の失敗によって劉少奇に奪われた権力を取り戻すために仕掛けた奪権闘争だった、と言われる。しかし、それ以上に北方のソ連と、南方のベトナム・アメリカの重圧の中、修正主義と資本主義への誘惑に走りがちな支那民衆を矯正し鎖国による独立を守り抜くか、という「道義」のための闘争であった。

 党内の資本主義の道を歩む実権派は中央でブルジョワ司令部をつくり、修正主義の政治路線と組織路線とを持ち、各省市自治区および中央の各部門に代理人を抱えている。実権派の奪い取っている権力を奪い返すには文化大革命を実行して公然と、全面的に、下から上へ、広範な大衆を立ち上がらせ上述の暗黒面をあばき出すより他ない。これは実質的には一つの階級がもう一つの階級をくつがえす政治大革命であり、今後とも何度も行なわれねばならない。
(一九六九年四月第九回党大会における林彪の政治報告)

 経済発展と拝金主義に目が眩んだ中共幹部達が独立を毀損し、再度の支那大陸植民地化を招く危険性を察知した毛沢東の戦いが文革の本質である。毛沢東が創設した「人民公社」の理念には農業の大規模集団化だけでなく工業、商業、学校、兵士が一体となって共同体を運営するという自給自足=分業化否定への志向が含まれており、古代支那的大同思想の具現化でもあった。
「司令部を砲撃せよ」、「造反有理」、「破旧立新」(旧世界をたたきつぶし、新世界を建設せよ)、「大鳴、大放、大字報、大弁論」など気宇壮大なスローガンに人民大衆は熱狂して文革に従った。一〇年に及ぶ支那的狂乱を経て一九七六年、毛沢東の死と四人組の追放で文革は終熄した。「白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫が良い猫だ」という走資派=開国派が実権を掌握、毛沢東の実験は失敗に終わった。
 鄧小平以降の中共政権の租界政策による売弁資本主義が労働賃金の世界的な低下をもたらして、それがわが国のワーキングプアと格差社会の主原因となっている。文化大革命の意義は再評価するべきである。(青不動)