常夜燈索引

                    

  エクセルギー通貨が世界を救う 
        (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)8月1日第277号) 

▼外資系運用会社などを経て三年前、個人に運用を教える会社を設立した岡本和久(61)は「日本人はここ数年、投資について学んできた。あと欠けているのは正面からお金について考える姿勢」と見る。
 岡本には忘れられない経験がある。都内の中高校でお金に関する授業を臨時で受け持った時のことだ。「お金のイメージ」を問うと、八割強の生徒が「汚いもの」と答えた。家族でお金について話す生徒も半分に満たなかったという。
 岡本は生徒たちに訴えた。

「年老いた時、君たちの生活を支えるのは君たち自身しかいない。お金について考えることは、人生を考えることと同じだ」

 日本社会は先進国の中で最も速く高齢化が進み、確実に家計への負担は増していく。株安を嘆くだけでなく、正面から資産運用を考える。おそれず、おごらず家計を見つめ直す。それが次の一歩だ。一人ひとりが将来に向けて「たくましい家計」をつくろうと動くとき、個人のお金は官が旗を振らなくても、リスクへと向かいだす。
 七月二七日の日本経済新聞の一面に載った特集記事「日本人とおカネ」からの引用である。
▼日本経済新聞とは、ごく単純化して言えば、株屋や金貸しの広報誌であるので、個人の持つ金融資産を、その過半を占める現金・預金などの安全な形態から、リスクの大きい株や為替などに投じさせようとするため、このように「おそれず、おごらず家計を博打に突っ込ませよ」と倒錯した主張になるのはやむを得ないのだろう。
 それにしても驚くのは、都内の中高校生たちがお金を「汚いもの」と極めて健全に認識している点である。家族の間でもお金の話は最小限しかしないという。
 いくら日経その他の提灯持ちメディアが「貯蓄から投資へ」と高リターンの投資を血眼になって推奨しても、多くの日本人は「お金」自体が増殖し、何百パーセントものリターンを産むという現象を怪しく詐欺的なものと曇りない目で捉えているので、一向に投資は増えない。結構なことである。
▼最近増えている社会的弱者が、同じ弱者を無差別に殺す事件をどう考えたらよいのだろう。
 二つの日本がある。非貨幣の日本と、貨幣絶対の日本である。いまこの比率が前者を一〇とすれば、後者が九〇という極めて不均衡な状態になっている。もっともらしい言葉でいえば、わが国は高度産業社会、高度情報化社会であり、非貨幣=生態系とはかけ離れた社会構成に入っていると言えよう。
 わずかに残された家族=生態系と貨幣・マネー絶対社会との極端なアンバランスの狭間で、「真面目な」青年、少年少女たちは締め付けられ、もがき、苦しみ、その挙句に殺人に走るのではないか。マネー絶対社会に馴染めない日本人の健全性ゆえの逆切れであり、どこかいじましい小犯罪を起こしてしまう。息苦しく、生真面目で、「倫理性」の高い抽象的な犯罪なのだ。
 支那人なら手っ取り早く銀行強盗でも、毒饅頭売りでも、カネになる意味明瞭な犯罪を起こすだろう。
 アングロサクソンやユダヤなら、金融工学詐欺やハッキングなどの悪知恵を働かせて荒稼ぎする。
▼元来経済とは、人間の衣・食・住、つまり人間生活に必要な物資を生産、製造し、これを公正に分配供給することである。その基礎は生態系原理に基づく農業、わが国では米づくりである。
 経済を効率よく動かすための補助手段が貨幣だったが、現在は貨幣を得ることが経済そのものと成り果てた。
 ところがコンピューターの発達で、貨幣を媒介としない新たな物々交換が理論的には可能となることは容易に想像がつく。それは生態系が主であり、貨幣=数字現象はその補助手段であることを、技術的に実現できる段階に入ったことを意味している。
 つまり衣・食・住そのものや、その素材や手段を世界規模で瞬時に捉えて数値化できれば、これを基礎物理量としてエクセルギー(有効エネルギー)ポイントを発行し、世界人類一人ひとりに生活上必要分のポイントとして分配すれば、最低限の貧困や飢餓は一挙に解消するはずである。
 そしてポイントを過度に集める行為は認めないことにすれば、格差社会もアッという間に崩れ去る。
▼わが国は宮中祭祀に見られるようにいまも厳然たる農業社会であり、奇跡的にマネー絶対主義に社会全体が覆われることなく、生態系社会の美質を色濃く残している。
 マネー絶対主義の進行がグローバリズムの進展であり、支那、ロシア、アフリカなどその濁流に呑み込まれつつある。
 日本人こそはグローバリズムを換骨奪胎してエクセルギー通貨を創設し、世界国民月給制の下、飢えも貧困も、税金もない世界を実現できる技術と資格をもつ唯一の民族、神国の民であるはずだ。これを実現したとき初めて、アキバで牲者になった皆さんの死が、世界を救う礎になったことが明らかとなるに違いない。(青不動)