常夜燈索引

                    

  アニメと神国日本のみち 
  (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)10月15日第281号) 

▼漫画が好きな総理大臣が誕生したが、わが国のアニメーションはいまや日本文明の代表選手となっている。
 とりわけ宮崎駿監督が生み出す作品は、常に世界から注目を集めている。ヒット作『千と千尋の神隠し』(平成一四年公開)は観客動員数二三五〇万人、興行収入三〇四億円という日本映画史上一位の記録を作ったのみならず、ベルリン国際映画祭でアニメーションとして世界で初めて金熊賞を受賞、米アカデミー賞でも長編アニメーション部門賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けている。
 アメリカにもディズニーなど長編アニメーションの伝統がある。なぜ宮崎アニメが世界最高峰の芸術性を認められているのだろうか。
 通常の日本のアニメは一秒間に八枚の絵をあてた手塚治虫の「鉄腕アトム」を倣って節約型制作が行なわれ、その後、一秒あたり二~五枚の省略法もなされている。宮崎アニメは「フルアニメーション技法」と呼ばれる一秒あたり二四コマの動画を使う手間暇のかかる、世界でも稀な制作方法をとっている。そのため流麗で美しい動きが表現でき、節約型とは比べものにならないリアリティがそこに生まれる。
 ディズニー・アニメなどの省略法画像は、その荒っぽさで躍動感は生まれるが、反面ある種の大げささがいかにも漫画的にならざるをえない。極限の手作業が産み出す宮崎アニメには落ち着きと温かみのある独自の世界がある。
 原画と原画の間をずらし、わずかな動きの変化を書き込む丹念な作業は、熟練と膨大な時間を要する。ある一場面を制作するために一年半もかかることがあるという。大量生産、高効率、低コスト、という漫画制作の時流に背を向けた手づくり・職人技という日本型ものづくりの心が宮崎アニメには息づいている。
▼こうした宮崎アニメの技術的な側面もさることながら、作品のテーマがわが国の古史古伝や民俗史、風土記などからとられている点に大きな意義があると思われる。その神道的世界と現代世界との対立、葛藤、調和が作品に描かれていることに日本人も海外の観客も強い関心と共感を示すのだろう。
 例として、『千と千尋の神隠し』のあらすじを紹介してみよう。

 一〇歳になる少女荻野千尋(おぎのちひろ)は、ごく普通の現代っ子。両親とともに車で引越先の家へと向かう途中、森の中に迷い込み、奇妙なトンネルを見つける。嫌なものを感じた千尋は、引き返そう、と両親に言うが、両親は好奇心からトンネルに入ってしまう。そこで千尋も仕方なく追いかける。
 トンネルを抜けると草原が広がり、所々に廃墟のような建物が見える。バブル時代のテーマ・パークの残骸か。先に進むと誰もいない支那風の屋台街が現れる。美味しい匂いに誘われ、両親は骨付肉や肉まんのような不思議な食物が満載された店に入り込み、後で金を払えばいいんだろうと言って勝手に食べ始める。
 街を一巡して両親のもとに戻った千尋が見たのは、意地汚く食べ続ける豚二頭であった。両親は人間の言葉も忘れ、肥大化し、豚になっていた。神々の料理を勝手に食べたため呪いをかけられたのだ。後に明らかとなるが、こうした人間豚は豚舎で飼育され、太ったところで食べられてしまうのだ。
 一人残された千尋は謎の少年ハク(本名ニギハヤミコハクヌシ)に助けられ、両親を救助してトンネルに入る前の世界に帰ろうと決意する。千尋は生き残るため、町を支配する強欲な魔女・湯婆婆が経営する湯屋「油屋」で働きたいと申し出、湯婆婆に「千尋」という名を奪われ「千」と呼ばれながら、その下で働き始める。油屋は、この日本に棲む八百万の神様やお化けが疲れと傷を癒しに通う風呂屋である。
 千尋は湯女・遊女見習いとなり怪しい神様やお化けに交じって懸命に働く。ハクや同僚のリン、釜爺などに助けられながら、両親を見つけ出し、元の世界に帰ろうと奮闘する。
 千尋の父親はドイツ車に乗る裕福なサラリーマン。母は外見に気を遣い、千尋に文句ばかりを言う冷淡な性格。この典型的な都会のサラリーマンが豚となり、守銭奴で魔法を使う老女に支配されて豚舎で太らされる。この老女は千尋ときちんと雇用契約書を交わす経営者で巨大な鷲鼻をもつ二頭身、湯屋のお客である神や化け物に滅法愛想がいい。湯屋の従業員は契約=魔法に縛られ、老女に不平を抱きながらもよく働く。
 あるとき手の平から無限に黄金を産み出す化け物が客となる。従業員は他の客そっちのけでこの化け物に気に入られようと纏わりつき、老女の制止も聞かず黄金のおこぼれに我先に突進する。一人千尋だけは要らないと黄金を拒否し、人の欲望を養分とする化け物は崩壊、老女の経営危機は去る。老女の魔法を学ぶハクは実は古い日本の神である龍神で、最後は老女を説得して千尋を元の世界に戻してくれる。

▼一見荒唐無稽な冒険物語のようだが、魔女=ユダヤ、豚=日本という世界の構造を抉りだし薄ら寒い思いにさせる作品だ。千尋という少女が最後の救いとなる終わり方に、神国日本のみちが示唆されているようだ。
(青不動)