常夜燈索引

                    

  バベルの塔の物語と日本語の再建 
          (世界戦略情報「みち」平成21年(2668)11月1日第282号) 

▼ユダヤの聖典「創世記」の十一章に「バベルの塔」の話がある。

 当時、世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
 東方から移動してきた人々はシナルの地に平野を見つけ、そこに住みついた。
 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりに歴青(アスファルト)を用いた。
 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、名を挙げよう。さもないと、我々は全地の表に散らばることになるぞ」と言った。
 ヤハウェは天から降って来て、人の子らが建てはじめた、塔のあるこの町を見て、言った。
 「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が通じないようにしてしまおう」
 こうしてヤハウェは彼らをそこから全地に散らしてしまったので、彼らはこの町の建設を止めた。
 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。ヤハウェがそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、ヤハウェがそこから彼らを全地に散らされたからである。

▼バベルの塔は実際に「ジッグラト」という名で存在していて、チグリス・ユーフラテス川周辺には数多くのジッグラト遺構が発見されている。高さ九〇メートル、七階建てで最上階には神殿があったという。さしずめ東京の六本木ヒルズのような魔界の高層ビルだったのだろう。
 興味深いのは、遙か昔の人類は共通の言葉を話していたということだ。犬も猫も、狸も狐も、日本にいようが、米国にいようが、アフリカにいようが、地域によって別な言語ないしコミュニケーション手段を使っているとは信じがたい。どの地にいても同じ言語で意思疎通をはかっているはずである。人間だけがはじめから言語が異なっていた、と考えることは不自然である。
 心と体の相互作用で構成される人間の社会は、生態系の原理に従って生きるだけの他の生物たちと違うところがある。
   第一に、迷信を持つこと
   第二に、貨幣を使うこと
   第三に、三六五日発情していること
である。
 草木虫魚、すべての生物は迷信に狂うことはないが、知性を誇る人間だけが迷信を持っているのはなぜなのか。他の生物に比べてかけ離れて優れた大脳による思考力の産物として強い迷信を持つようになった。それが言葉と文字であり、言葉と文字は文化を熟成し、文明を発展させ、自然を支配し、人類社会を拡大させてきた反面、妄想と虚構の世界をもつくり上げてきた。その典型例が宗教や国家である。
▼迷信が人類を苦しめ、貨幣が経世済民経済を破壊する歴史と現状を見るとき、言語と貨幣の非迷信化が急務であり、それは生態系の原理に基づく人類共通言語の確立からはじまる。
 いったい人類初源の共通言語は何だったのか。それは日本語だったはずである。
 ヨハネ福音書の冒頭にこうある。「はじめに言葉があった。言葉は神であった。言葉ははじめに神と共にあった。すべてはこれによってできた」と。
 欧米の精神風土の基礎である、事実より言葉が優先し、言語で物事を考えるという倒錯した思考がこの一節によく表れている。素直に考えれば、人間は心の中にイメージを思い浮かべ、これを言葉で表現するもので、決して言葉で考えているのではない。
 日本人は事は言であり、言葉は事の端であってきわめて頼りない言の葉で、実態の一部を表わすものでしかない、と思っている。そのためごく短い言葉に過ぎない和歌や俳句が天地をも動かす言霊となって人々を感動させることができるのである。
▼耳鼻科医の角田忠信氏の臨床実験に基づく「日本人の脳」に関する研究は、日本語が人類初源の生態系言語だった可能性を示唆している。
 人間の左脳は言語脳で言葉や計算などの知的作業を分担、右脳は音楽脳で非言語音を感覚的に捉える。西欧人は虫や動物の声を音楽脳で処理し、日本人は言語脳で処理する。西洋人は母音を音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で処理する。
 日本人にとって蟋蟀の鳴声は言葉や母音と同じであり、理性・感性・自然が一体となっている日本人の心のありようがよく分かる。英語で育った日系二世も西洋人も左脳は理性のみを分担し、自然界の音は右脳で処理される。これまでの検査でヨーロッパ語、中国語、韓国語、東南アジア言語はすべて非母音脳であり、わずかにポリネシア民族の言語のみが日本語型だという。
 自然音の母音でできている日本語は生物界の実在である生態系の原理と一致している。それは同時に、あらゆる生き物と調和して生きることができることを意味している。塔ではなく、日本語の再建こそがバベルの寓意を生かす道なのかも知れない。(青不動)