常夜燈索引

                    

  興亜思想は西洋文明超克の理念 
         (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)1月15日第286号) 

▼コロンブス以来の白人による世界支配、植民地化の猛威に対し、明治維新(一八六八)を成し遂げ、日清(一八九四~一八九五)・日露(一九〇四~一九〇五)両戦役に勝利した日本は、アジア・アラブ諸地域の被圧迫民族にとって希望の星だった。
 例えば孫文は日本亡命時「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」と犬養毅に述べたように、日本維新を基礎に支那革命と興亜への構想を描いていた。
 朝鮮での壬午事変(一八八二)と甲申政変(一八八四)、清の戊戌の変法(一八九八)、イランのイラン立憲革命(一九〇六~一九一一)やロシア帝国のヴィッテ改革(一九〇五)とストルイピン改革(一九〇六)、さらにタイ国王ラーマ五世(一八五三~一九一〇)によるチャクリー改革、ケマル・アタテュルク(一八八一~一九三八)によるトルコ革命、エジプトのエジプト革命(一九五二)、メキシコのベニート・フアレス(一八八一~一九三八)改革など、日本の及ぼした影響は世界に拡大した。
 奇妙なことに、近代におけるわが国の奮起が植民地だったアジア諸国の民族解放、独立運動に強烈な影響を与えたことに日本政府や政権要路者は無自覚だった。多くの植民地下のアジアの志士たちが日本で学び、援助を求めるためにやってきたが、これに真摯に手を差し伸べたのは在野民間の浪人たちがほとんどだった。いわゆる興亜陣営と呼ばれる人々が中心となってアジアの英雄たちに資金的・精神的・人材的支援を行なったが、日本政府はむしろこれを妨害する挙に出た。日本政府は白人列強側に立っていたともいえよう。
▼今日なお韓国で「親日反民族行為者」の汚名を着せられている李容九(一八六八~一九一二)は、樽井藤吉の『大東合邦論』の主張する、欧米のアジア侵略に対抗すべく日韓の対等合邦からアジア連邦、さらには世界連邦へと発展する東洋平和のための興亜論に傾倒して、尹始炳らと一進会を設立した。
 一進会は日露戦争で、日本軍の物資輸送のための京義線の敷設工事に会員一四万人以上を動員して無償支援し、さらに一〇万人の会員が自費で日本軍の武器・食糧を戦地まで運ぶなど協力を惜しまなかった。李容九は武田範之、内田良平などと積極的に日韓「合邦」運動を進めた。
 一九〇九年一二月に出した「韓日合邦建議書」では、

「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二〇倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、我々も一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」

と主張し、大韓帝国政府と大日本帝国政府が新たに一つの政治機関を設立し、大韓帝国と大日本帝国が対等合邦して一つの大帝国を作るように求めた。
 元老山縣有朋、寺内正毅陸相などは朝鮮が日本に従属し、主権を放棄する形で植民地となる日韓「併合」を唱え、併合後一進会は用済みとして切捨てられた。
 李容九は「其の統治に於て全然韓人の民情風俗を無視し、圧迫睥睨唯だ其の主権を頑守するの外、何等の能事を示さゞりしが如き、何れも皆な将来の禍根ならざるもの是れなりとす」という併合の結果に失望し、四四歳で神戸に客死した。
 インドのガンジーは

「あなたがたは、崇高な高みから帝国主義の野望にまで堕してしまわれたのです。あなたがたはその野心の実現に失敗し、アジア解体の張本人に成り果てるかもしれません」

と日本を批判した。
▼政府為政者の無自覚に対し民間在野の興亜陣営の歴史観や使命感はアジアの志士たちの賞賛するところだった。
 昭和一三年、頭山満は米新聞記者の「大アジア主義とは何か」との問いに、

「それは、白人の支配が東洋から消えるまでの間に過ぎず、そういう時代の招来のために、今まで自分が出来ることをやって来た。東洋の人民を助けるのが、日本の宿命である。その後、真のアジア民族の兄弟相和する時代が来て、文明に新しい何物かを示すこととなるのだ」

と答えている。草莽に支えられた興亜思想が単にアジア民族独立の思想ではなく、西洋近代文明を超克する崇高な志向性を持つことが示されている。
「文明とは道の普く行はるゝを賞賛せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず」(『西郷南洲遺訓』)。西南の役での西郷軍の敗北以降、興亜の論は草莽に沈潜しアジア諸民族の地下水脈に流れていった。西郷がやろうとした第二維新の中に、西洋文明を超克し、アジア、いや世界の民に人類初源への復古維新を齎す何かがあったのではないか。(青不動)