常夜燈索引

                    

  死を以て秕政を釐革する思想と行動 
           (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)6月1日第295号) 

▼明治九年、熊本敬神党の乱(神風連の変ともいう)に九才で遭遇した作家徳富蘆花は、短編『恐ろしき一夜』に当時の様子をこう描いている。

 世滔滔たる維新大革新の風潮は片端より旧習故俗を掃蕩し行けり。
 彼らは次第に孤島の間に閉じ込めらるるを見出しぬ。反抗の精神は次第に燃え来たれり。
 廃刀の令下れり、彼らは常に袋刀を提げて往来せり。断髪の令下れり。  彼らは依然髻(もとどり)を結んで往来せり。電信架せられたり。 
 彼らは扇をかざしてその下を過ぎれり。……
 城下の民は日に日に洋風に染み、軽薄になり行けり。彼らは悲憤の目をもって時勢の非なるを見、身は孤岩のごとく滔滔たる風潮の中に立つを見、憤りは胸に煮えたり。ああ夜は寒くなりまさるなり、唐衣、ああ唐衣うつに心の急がるゝかな。

 三島由紀夫は敬神党の乱と二・二六事件を題材に遺作『豊饒の海』第二巻『奔馬』を執筆した。その意図は日本における抵抗の精神の根源を探ることにあった。『奔馬』取材のために訪れた熊本の地元紙に、三島は次のように語っている。

 ……日本人の神髄は何かを考えてみたいのです。いま日本に帰れとか、明治の日本人に帰れとかよく言われる。しかしどこに帰るか非常にあいまいだと思う。日本にはガンジーの糸車に象徴される抵抗の精神はなぜなかったのか、いろいろ考えているうち、神風連がガンジーの糸車にあたることに思い至ったわけです。「英霊の声」や二・二六事件の精神の純粋なものは神風連のそれに通じているとみてもらってよいでしょう。

▼わが国の近現代史には、間歇泉のように噴出する、民族の咆哮とも言うべき叛乱の墨痕が残されている。
 三島は林房雄との対談で、神風連の変は「秕政(ひせい)を釐革(りかく)する(悪政を改革する)もの」であり、「これは実際行動にあらわれた一つの芸術理念でね、もし芸術理念が実際行動にあらわれれば、ここまでいくのがほんとう」、「神風連というものは目的のために手段を選ばないのではなくて、手段=目的、目的=手段、みんな神意のままだから、あらゆる政治運動における目的、手段のあいだの乖離というものはあり得ない。それは芸術における内容と形式と同じですね。僕は日本精神というもののいちばん原質的な、ある意味でファナティックな純粋実験はここだと思うのです。もう二度とこういう純粋実験はできないですよ」と述べている。
 三島一流の論理的説明だが、勝ち負け、損得など、あらゆる目的と手段にまつわる疚しさから超越した、神はからいの世界に敬神党がいたことを明らかにしたかったのだろう。
 敬神党の乱が鎮圧された後、秋月の乱、萩の乱、そして明治一〇年西南の役が相次いで起こったが、すべて明治政府軍の軍事力により封じ込められた。
▼昭和一一年の青年将校による二・二六事件も敬神党の乱に連なる目的と手段を超えた、一種非合理な叛乱であった。
 君側の奸を殺し、軍事的にも帝都を制圧したのだから、西洋的な意味でのクーデターとしては成功だった。だが青年将校たちはその政治的意志を武力によって貫徹することなく、ひたすらに大御心をまって昭和維新の詔の渙発を熱望しただけだった。それは政治的な死を無意識の裡に自覚していた叛乱であった。
 大東亜戦争末期の昭和一九年、大西瀧治郎海軍中将が第一航空艦隊司令長官に着任、特別攻撃隊編成命令が下り、第一次神風特別攻撃隊が編成された。同年一〇月二五日、敷島隊(零戦六、隊長は関行男大尉)が突入に成功し、米護衛空母「セント・ロー」を撃沈、さらに零戦一〇、彗星一が突入して米艦船五隻を撃破した。いわゆる特攻隊による自爆攻撃である。
 名称に現われているように人柱の犠牲を神に捧げることで神風の顕現をひたすらに待つ、非合理といえば非合理な、神はかりの戦いだった。
 こうした日本人の非合理の系譜の最後に連なるのが、昭和四五年の三島由紀夫による市ヶ谷台における割腹事件であろう。
 きわめて論理的な人間であった三島が辿り着いたのは敬神党さながらの神慮の世界であった。火器や砲ではなく、魂が宿るという日本刀で市ヶ谷鎮台に乗り込み、成果や成否を超えて死ぬことで日本と日本人の神髄を示そうとしたのである。
▼死を以て「秕政を釐革する」思想と行動が現代日本に再び現れることは、三島事件で終わったのだろう。
 経済という名の欲得のやり取りで世界も日本も「平和」になることは人間の本性からいって当然であろう。経済グローバリズムが世界の各国、民族を金銭を媒介にして結びつければ、戦争ができない世の中になるという言説が盛んに説かれる所以である。
 だが、神政国家の北朝鮮による原爆実験とミサイル発射は、三島由紀夫の道統を継ぐ、世界最後の合理を超えた神はからいであり、民族の咆哮に思えてならないのだ。   (青不動)