常夜燈索引

                    

  北一輝が仕掛けた「統帥権干犯」問題 
           (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)3月1日第311号) 

▼昭和十年代の天皇機関説論争などをもたらした「国体明徴」運動の淵源は、昭和五年のロンドン海軍軍縮条約調印問題にさかのぼる。
 首席全権の若槻禮次郎元総理、政府代表の斎藤博外務省情報局長等は焦点の補助艦全体の当初の海軍軍令部案・対米保有率七割に対し、六・九七五での妥結を決意し、民政党浜口雄幸首相の了解を取り付け、海軍軍令部も反対意見を抱えながらも承諾した。
 国内での批准を前に野党政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎は議会において、「ロンドン海軍軍縮条約は、軍令部が要求していた補助艦の対米比七割には満たない」、「軍令部の反対意見を無視した条約調印は統帥権の干犯である」と政府を攻撃した。
 当時憲法の専門家でなければ憲法第十二条「天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む」という規定、すなわち天皇が兵力量(師団数や艦隊など軍の規模)を決定するという編制大権が統帥権の一権能である、ということが国民一般には明確に意識されていなかった。「トースイケン」とは何ぞや、と軍政党関係者ですら訝ったという。
▼誰も気づかなかった「統帥権干犯」問題に着目したのは北一輝だった。『人物往来』の昭和三二年一月号に発表された寺田稲次郎「革命児・北一輝の逆手戦法」には、こう記されている。

 或る日の午後、外務次官永井柳太郎氏が突然、牛込納戸町の北邸に現われた。勿論総裁であり首相である浜口雄幸の外相幣原の非公式使者としてやって来たのである。
「ホーオ、永井君が、珍しいな、ウン応接室に」
といってヤオラ部屋から出て行ったが、暫くすると永井柳太郎氏を送り出して帰って来た。ひどくニコヤカな表情で
「運動を止めてくれでしょう?」
「そうはいわんがな。統帥権干犯だなんて、いやしくも君らしくないちゅうのさ」
「それでなあ、いってやったよ。それは正にその通りだって、デー一(第一、時々シャレてベランメイ調を一言二言使う癖があった)陶酔軒だなんて支那料理の看板みたいで宜敷くネーちゅうのさ」
 思わず筆者は爆笑した。
「しかしなあ。ハッハッハ。永井君、君らはグッド・モーニングなんか派手に着込んで(礼装のヒヤカシ)世界の大勢は民衆の輿論にありなんて、憲法上の大権事項まで我が物顔に振る舞ってるがなあ(中略)」
「しかしどうも、ウーム。どうも統帥権干犯とは名案が生まれたものですね」
「(中略)一晩中考え抜いたですよ。ハハア大義名分論だな。憲法機関は憲法違反で、それも大権事項に限るなと気がついたんですよ」

「天国にいても必ず革命を企てる性質」といわれた天性の謀反児・北一輝が案出した「統帥権干犯」問題は野党政友会に伝授され、宮中はもとより、海軍、国会、枢密院を巻き込む大問題に発展した。
▼「統帥権干犯」問題の延長線上に、昭和一〇年天皇機関説論争が噴出した。
では、昭和天皇はどう考えておられたか。それが『本庄日記』に録されている。

「若し主権は国家にあらずして君主にありとせば、専制政治の譏りを招くに至るべく、又国際的条約、国際債権等の場合には困難なる立場に陥るべし」
「軍部にては機関説を排撃しつゝ、而も此の如き、自分の意思に悖る事を勝手に為すは即ち、朕を機関説扱と為すものにあらざるなき乎」
「若し思想信念を以て科学を抑圧し去らんとするときは、世界の進歩は遅るべし」

 昭和天皇は侍従武官長だった本庄繁に、天皇機関説を攻撃する勢力の非合理な主張とその意図の不可解さをこのように反論され、攻撃対象の美濃部達吉や一木喜徳郎枢密院議長を「不忠のものにあらず」と擁護された。
▼北一輝が仕掛けた罠は周到であった。前掲の寺田稲次郎「革命児・北一輝の逆手戦法」によれば、北は次のように嘯いていたという。

「何も彼も天皇の権利だ、大御宝だ、彼も是も皆天皇帰一だってところへ持って行く、そうすると帰一の結果は、天皇はデクノボーだということが判然とする。それからさ、ガラガラッと崩れるのは」
 これが統帥権干犯なる大義名分論の北氏に於ける真意であることは疑う余地もない。

 不敬な用語による天皇誹謗である。昭和天皇は「朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ、朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ」と二・二六事件の際に仰せになったが、北一輝による天皇帰一の仕掛けが、昭和天皇にとってはまさに「真綿」で首を絞められるように不気味に迫ってきたことが窺えよう。
 中野正剛が昭和初期に「我が党内閣が成立したら北君は何が良いかいな、シベリア総督かな」といったところ、北は表情を変え「天皇なんてウルサイ者のおる国じゃ役人はせんよって」と応えたという。また「僕は支那に生まれていたら天子に成れると思った」とも述べ、「龍尊」を自称していた。
 天皇の権威に挑戦した足利義満や織田信長、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と昭和天皇に迫った三島由紀夫。
 北一輝の辞世の句は

若殿に兜取られて負けいくさ

であるが、そこに天皇の凄まじいまでの霊力が感じられないだろうか。(青不動)