常夜燈索引

                    

  朝鮮始祖伝承と近代朝鮮の苦悩 
        (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)4月15日第314号) 

▼天王桓因は天上の白い雲の間から、遙か地上の亜細亜大陸を、東に長く尾を引く半島を眺めていた。
 三方を海に囲まれ、波打ち際には白い波がしぶきを上げ、樹々は風に揺られる長閑で平和な陸地だった。
「あゝ、絶景かな!」
「諸々の神々、お聞き下され。あの半島は美しい。今は善良な人間ばかり住んでいて、平和に暮らしているが、やがて数々の悪者共がやって来るであろうし、仲間内からも悪者で出てきて世の中を乱すであろうから、私の息子、王子をあの半島に降らせて国を建て、人民を救うてやらねばなりますまい」
 諸々の神々は、
「それは、結構なことでござる」
と口々に賛同した。
 王子は家来三千人を引き連れ太伯山(今の妙香山)の頂、梅檀の木の上に天降った。この聖地を神市と呼び、王子を桓雄と呼んだ。
 この梅檀の木の下に大きな巌の洞窟があった。洞窟の中に、一匹の熊と一匹の虎が一緒に住んでいた。虎と熊は桓雄を慕い、桓雄も可愛がった。
 ある日熊と虎は桓雄の前に現れ、
「私たちも人間になりたい。どうか人間にしてください。そうすれば王様に忠義を尽くします」
と膝をついて御願いした。
 桓雄は罷り成らぬこと、と諭したが、毎日哀願されてとうとう、
「それほど望むなら人間にしてやろう。ただしここにある神艾一柱と蒜二〇枚を喰らって洞窟に入り百日間、日の光を見るべからず、そうすればお前たちは人間になるだろう」
 虎と熊は日の光を見ずに苦行を積んだが、性急な性分の虎は、洞窟の暗闇が苦しくなり、とうとう我慢しきれず洞窟から出奔した。
 辛抱強く我慢を重ねた熊は、百日を経ない三七日目に天上にも稀にみる美女となった。
 熊女は妙なる香りの発する梅檀の下に行き、桓雄に祈願した。
「私も神様のお蔭で人間になりました。こうなった以上は私も人間としての働きをさせてください」
 桓雄はその姿を哀れんで、熊女を自らの妃とした。
 熊女は王妃となって立派な王子を生んだ。父桓雄は梅檀の木の上に天降り、王子は梅檀の木の下で生まれたので、これに因み、「檀君」と名をつけた。檀君は天資英邁で父王同然の王子に成長した。
 父王は檀君に新しい都を定めるよう命じた。
「この妙香山から流れる川(大同江)を下ると広い平野が横たわっている。川の両岸は土地肥沃にして万物豊穣なり、この地に都を定め、民を治めよ」
 檀君は平壌に都を定めた。そして東方先ず明けて万物鮮やかなれば、聖人出でて開花に赴けるの意を体して国号を「朝鮮」と名付けた。
 檀君の威徳は全国に靡き、国は平和に、人民は豊かに、人口は増えて一千五百年の歳月が経過した。
▼同時代の人、支那殷王朝二八代文丁の子の箕子は、甥の紂王の暴政を太師として諌めた賢人で、殷の滅亡後には、周の武王によって朝鮮に封じられた。
 檀君は朝鮮の国の基礎固めができたので国を箕子に譲り、蔵唐京に移り、後に阿斯達の山に隠れて山神となり、千九百八歳の天寿を全うしたと伝えられている。
 朝鮮侯となった箕子は殷の遺民を率いて朝鮮を治め、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、「犯禁八条」を施行し、民を教化した。理想的な調和社会が現出したという。
▼近代以前の李氏朝鮮国では朝鮮こそ中華の真の継承者であるとする「箕子崇拝」が盛んだった。支那に孔孟程朱の聖賢が登場する遙か以前に朝鮮では聖人箕子の王道政治が具現化されていたという小中華意識からである。
 明治維新により、日本に天皇を中心としたナショナリズムが勃興すると、大韓帝国は「檀君・箕子以来、悠久の歴史をもつ自主独立国」と自らを主張、朝鮮は支那の属国ではないと強調した。
 一九〇七年、大日本帝国は高宗皇帝を強制退位させ、軍隊をも解散させ、大韓帝国の主権は形骸化した。日本の処置に憤慨した知識人や抗日運動家は「朝鮮民族はすべて建国始祖檀君の血縁的子孫である」と訴え、民族的団結を固めようとした。
「檀君・箕子」という古代朝鮮の始祖信仰から支那由来の支配者箕子を除外して、檀君こそが唯一絶対の民族の始原であるとしたのだ。
 朝鮮保護国化から併合へ日鮮一体化が進むと同時に、朝鮮半島に根づいた儒教的民族内階級差別が無くなって、「檀君子孫意識」が高揚、檀君ナショナリズムが生まれるという皮肉な歴史が展開した。檀君ナショナリズムは、天皇を親、国民を子とする家族的国家観と瓜ふたつの、「朝鮮民族は檀君を始祖とする血族的一大家族」という家族国家論に収斂していった。
 歴史の初めに刻印された支那、反発すれども惹かれる日本、その狭間で苦悩する半島民族に手を差し伸べるのは和の民の運命であろう。(青不動)