常夜燈索引

                    

  天聴に達せずと雖も至誠を貫く 
       (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)7月15日第320号) 

▼天正一〇年五月二八日の本能寺の変の四日前、京都愛宕山(愛宕神社)で催した連歌の会(愛宕百韻)で明智光秀が「ときは今あめが下(した)知る五月(さつき)哉(かな)」と詠んだ発句は「とき=時」を「土岐」、「あめが下知る」を「天が下知る」の含意であるとし、「土岐一族の出身である光秀が、天下に号令する」という意味であるとされ、光秀の信長追討への決意と自らの権力への野望が込められている、と世上では評されている。
 ところが、井尻千男氏は、「この発句は光秀の天下獲りへの野望をあらわしたもの」という俗説を退け、紀貫之の古今和歌集仮名序から次の一節を引く。

 かゝるに、今、天皇(すべろぎ)の天下(あめのした)知ろしめすこと、
四時(よつのとき)こゝのかへりになんなりぬる

 光秀の発句はこの仮名序と響き合う、と言うのだ。。明智光秀は『太平記』を、『神皇正統記』や『愚管抄』を、そして『万葉集』、『古今』、『新古今』を縦横に語る当代一流の古典的教養人だった。
 仮名序は、醍醐天皇が天下をお治めるするようになって「今」九年になった、という醍醐治世への感懐であり、これに照応する光秀の発句は、聖代と言われた醍醐天皇親政時代への憧憬を詠んだもの、と井尻氏は指摘する。

われならで誰かはうゑむひとつ松 こゝろしてふけ志賀の浦かぜ……光秀

尾張(をはり)に 直(ただ)に向へる 尾津(をつ)の崎 ある一つ松 あせを一つ松
人にありせば 太刀(たちは)佩けましを 衣(きぬ)着(き)せましを 一つ松あせを……倭建命

われこそは新島守よ隠岐の海 荒き波風心して吹け……後鳥羽院

 こうした極めて天皇親政的国体、国風の色濃い歌への光秀の傾倒を見るとき、光秀とその連歌の座に集まった細川藤孝、里村紹巴、吉田兼見、山上宗二など古典的教養と国体観を持つ憂国の士たちが、足利幕府滅亡後、統治機構亡き正親町天皇の朝廷を御守りし、正統なる秩序を復古させなければならないと考えていたであろうことは想像に難くない。
▼カトリックを背景とした南欧グローバリズムの世界覇権と手を結んだ織田信長は、比叡山、高野山の破壊に象徴されるように、わが国の仏教による鎮護国家観を否定し、最終的に朝廷を中心とする国体の消滅を目指していたことは、当時の文武に心ある者には明らかだった。
 比叡山、高野山は仏教の聖地であると同時に、皇位を継承しない親王が政治的野心のないことを表すために仏門に入山する地でもあった。信長の両山への凄惨な攻撃は、皇室が構築した精妙な聖俗秩序への攻撃と同義であったことは誰もが知るところだった。
 国体の危機をひしひしと感じていた正親町天皇以下股肱の臣たちの輿望を担って信長を討った光秀だったが、その行動には主君殺しの「謀叛」という烙印が押された。
 信長は正親町天皇にその第五子誠仁親王への譲位をたびたび迫ったと言われる。誠仁親王は信長から献上された二条新御所(二条城の前身)において織田家中の者から、正親町天皇に代わって、「主上」「今上皇帝」と称されていた。
 信長は自家薬籠中の誠仁親王を皇位に就け、自ら造営した安土城に遷都を請い、そこでニヒリズムと破壊的美意識に基づくある種の都市国家をつくろうと構想していたようだ。
 朝敵を討ったはずの本能寺の変が、主君をあやめた光秀の裏切りに矮小化されてしまったのはなぜか。
 それは変後、光秀を誠仁親王の勅使として安土城に訪ねた吉田兼見が伝えた「勅旨」が、光秀の行動を「謀叛」とするものだったからだった。
 光秀の無念や、いかばかりだったか。
 光秀を蹶起させた吉田兼見、細川藤孝らは「謀叛」の勅旨に驚き、わが身を守るため日記を改竄し、光秀との関係を消し去った。
▼井尻氏は「至誠天聴に達せず」といえども至誠を貫いた二・二六事件青年将校の祖型を光秀に見る。
三島由紀夫も二・二六事件についてこう述べている。

 二・二六事件は、戦術的に幾多のあやまりを犯してゐる。その最大のあやまりは、宮城包囲を敢へてしなかつたことである。(中略)しかしここにこそ、女子供を一人も殺さなかつた義軍の、もろい清純な美しさが溢れている。この「あやまり」によつて、二・二六事件はいつまでも美しく、その精神的価値を永遠に刻印してゐる。皮肉なことに、戦後二・二六事件の受刑者を大赦したのは、天皇ではなくて、この事件を民主主義的改革と認めた米占領軍であつた。
(三島由紀夫「二・二六事件について」昭和四三年)

▼二・二六事件に連座した磯部浅一は、一五名の同志将校の死刑にあたり「陛下のお耳に達しないはずはありません、お耳に達したならば、なぜ充分に事情をお究め遊ばしませんのでございますか、なぜ不義の臣らをしりぞけて、忠烈な士を国民の中に求めて事情をお聞き遊ばしませぬのでございますか、何というご失政ではありましょう」と諫言した。
 天聴に達する期待や希望を寄せてはいけない。臣民、国民は依存心を捨て、日本人としての道を践むことに専一するのみである。    (青不動)