常夜燈索引

                    

   情報亡国日本の急務 
   (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)10月15日第325号) 

▼現在の我が国が、情報亡国の状態にあることは、先般の尖閣諸島をめぐる北京政府との交渉と屈服の経緯を見るとき明白だと言えよう。
 過去一〇年にわたって、北京政府はASEAN諸国にメコン川流域開発や、親中国であるビルマ、カンボジアなどに対し巨額の投資を行なう一方、自国の安価な製品を大量に輸出することによって自らの市場となし、アメと鞭による裏庭化を着々と推し進めてきた。同時にASEAN諸国に根を張る華僑ネットワークを駆使して、各国政財界要人を取り込み、中華帝国の藩屏の形成に成功したかに思われてきた。
 ところが、南シナ海で支那軍と深刻な軍事的対立を抱えるベトナムを筆頭にASEAN諸国が結束して、七月のASEAN地域フォーラム(ARF)の席上で、宗主国・支那の膨張主義に異を唱えたのだから、北京政府としては飼犬に手を噛まれたも同然である。このARFでは従来ASEAN諸国に日韓支印豪ニュージーランドで構成されていた東アジア首脳会議に今後米国とロシアの招聘も決定され、一〇月一二日、ベトナム・ハノイでASEAN一〇ヶ国と日中韓と米露など域外八ヶ国による初のASEAN拡大国防相会議が開かれた。支那冊封体制の本丸に米露がASEAN諸国の要請で入り込んできたことは北京外交の大失点だ。
 その後の人権活動家・劉暁波氏へのノーベル平和賞授与など国際的な対中包囲網形成の流れを分析すれば、我が国が船長釈放などの軽率な屈服をする必要はまったくなかったことは児戯にも等しい情報戦のイロハであろう。
 ASEANの動向、ノーベル平和賞の見通しなど、個々の情報は公開情報からも明らかになっており、これを関連付け、分析する、一元化されたインテリジェンスが政府、官邸に存在していないことが最大の問題である。
▼一九七九年のソ連軍のアフガニスタン侵攻の数ヶ月前、我が国の新任駐アフガニスタン大使が皇居に赴任の挨拶に参上した際、昭和天皇から「ソ連が出てくる恐れはないか」と御下問があった。大使はアフガニスタン情勢を詳しく述べ、そのような恐れはないと結論付けたという。歴史は昭和天皇の危惧が当たっていたことを証明している。
 一九五一年のサンフランシスコ講和条約において、我が国は日米安保条約を締結し、米占領軍は在日米軍として日本政府の承認のもと駐留することになった。当時、ダレス米国務長官は「我々は日本に我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得」する方針で日本との交渉にあたっていたが、これを良しとしない外務官僚のグループがいた(孫崎享『日本人のための戦略的思考入門』)。彼らは米軍駐留を国連とリンクさせることで、米軍に一定の枠をはめようとしたのだ。重光葵、大野勝巳、斎藤鎮男などの自主独立派である。
 ダレスの思惑通り日米安保は成立し、米軍は制約なく日本に駐留し始めたが、一九五五年重光葵外務大臣は米軍撤兵を正式に交渉するため訪米を決意する。
 一九五五年七月二一日アリソン大使はダレス長官に機密扱いの電報を送り、重光から私的かつ非公式なレベルで安保改定についての具体的な提案が出されたことを報告した。重光提案の内容は、このアリソン電報と提案を要約してその利点と問題点を説明した国務省内のメモによって知ることができる。

一、米国地上軍を六年以内に撤退させるための過渡的諸取決(米側コメント…緊急時に米軍を   送り戻す権利を維持することである)
二、米国海空軍の撤退時期についての相互的取決、ただし、遅くとも地上軍の撤退完了から六    年内(米側コメント…一般的に米国海空軍は日本に無期限に維持されることになるだろうと    考えられてきた。我々は日本側の提案に合わせるよりもかなり有利な取決を手に入れたい    ところである)

 重光外相は一九五五年八月三〇日にダレス国務長官と会談するが、なぜか当初重光が米側に提案するはずだった米軍の「全面撤退」の全面が削除されていたという。
 ダレスとの会談の一〇日前、重光は訪米につき昭和天皇に内奏を行なった。

「八月二十日、渡米の使命に付て縷々内奏、陛下より日米協力反共の必要、駐留軍の撤退は不可なり、又、自分の知人に何れも懇篤なる伝言を命ぜらる」(『続重光葵日記』)。

 昭和天皇は性急な米軍撤退論を諌め、日米協力反共の継続を命じたのだ。
▼昭和天皇は皇太子時代のヨーロッパ歴訪以来、各国王室、政財界、文化学術界との深く広大な人脈を構築されている。ヨーロッパのロスチャイルド家、アメリカのロックフェラー家との親交は有名である。こうした国際情勢の深奥に位置した昭和天皇には、あらゆるインテリジェンスが集まったといわれている。「世界史最後の偉大な帝王」と呼ばれた先帝陛下の御遺徳にいつまでも依存し、情報・インテリジェンスを疎かにしてきたつけが我々に回ってきている。日本独自の情報機関を一刻も早く創ることが昭和天皇の御遺志ではなかろうか。    (青不動)