常夜燈索引

                    

  日蓮僧日持による七〇〇年前の満蒙布教 
              (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)11月1日第326号) 

▼内外の事情を憂慮した日蓮が「立正安国論」を著し、幕府の最高指導者・北条時頼に提出したのは文応元年(一二六〇)。だが禅宗を拠所として生きる時頼はこれを政治批判と解釈。また日蓮により批判された浄土宗門徒が日蓮を襲撃するなど法難が続く。しかし文永五年(一二六八)に元から服従を促す国書が届き、北条家で異母兄弟が対立し、朝廷では後深草上皇と亀山天皇が対立するなど、内乱の匂いが漂う。「立正安国論」はかかる国難を予言したとの評判が高まり、幕府内にも賛同者が現われ、日蓮はその後三度にわたり幕府に国家諫暁を行なっている。
 文永一一年(一二七四)と弘安四年(一二八一)の二度にわたり元が来寇したが、弘安の役の翌年九月、病に伏していた日蓮は身延山を下り、治療のため常陸国を目指すが、その途中、武蔵国池上氏の館で病状が悪化。ここで日蓮は後継者として六人の僧を挙げる。日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六老僧だ。老僧とはいえ最年長日昭が四六歳、年下の日向二九歳。日持は三二歳だった。
 日蓮七年忌の正応元年(一二八八)に願主となって池上本門寺に祖師像を安置した日持はその後津軽の安東氏を訪ね、日蓮宗の布教に努める。この地で日持は蓮華寺(青森)、法領院行寺(黒石)、法立寺(弘前)などを開き、続いて北海道に渡る。檜山郡の法華寺、松前郡の法華寺、函館の妙應寺と妙顕寺に日持の伝承が残されているが物証はない。二百年ほど後の大永元年(一五二一)に、京都本満寺日尋上人が北海道を訪ね、日持がこの地で布教を行なったと書き残しているのが唯一の物証だ。
 日持はその後檜山郡江差から船に乗って樺太を目指す。このとき漁民たちが不漁を嘆いているのを聞き、船上から豊漁祈願を行なうと、見たこともない魚が大量に獲れるようになったという。日持が法華経を唱えて現れた魚なので「ホッケ」(法華)と呼ぶようになったとの逸話もある。日持が樺太に渡ったのは永仁三年(一二九五)のこと。樺太の旧本斗町には「ヒモチ」という地名が残り、日持が書いた題目石が存在した。
▼日持が樺太に渡って二年後の永仁五年(一二九七)五月、津軽の安東氏の率いる樺太骨鬼(樺太先住民)の軍が大陸に攻め入り、黒竜江下流のキジ湖付近で元軍と激突。開戦当初は元軍に甚大な損害を与えたものの、最終的には敗走している。武家出身の日持がこの戦闘に加わったか否かの資料はないが、安東氏、骨鬼と行動を共にして大陸に渡ったことは間違いない。日持はその後南下し、中朝国境の白頭山を越える。白頭山山頂の天池付近には二年前まで日持が建てたとされる小さな祠が残されていた。恐らくはこの地で、元軍と高麗軍の分断を祈り、祖国安泰の祈願を執り行なったと思われる。
 白頭山を越えた日持はどこを目指したのか。大陸の奥深く、当時の大モンゴル帝国の首都カラコルムに辿り着いたとの説やイルハン朝ペルシアに行った、中東エルサレムを目指したなど諸説紛々。ところが昭和八年(一九三三)に中国察哈爾(チャハル)省宣化城内の立化寺に残る記録から、この寺を開山した立化祖師が日持ではないかとの説が浮上する。
 宣化の位置は現在の張家口市宣化区。当時の宣化市は昭和一〇年に支那から独立、昭和一二年には日本陸軍が後盾となり、この地に蒙古聯盟自治政府が成立。宣化に隣接する張家口には蒙古、新疆との連帯を図る蒙疆聯合委員会も置かれる。二年後の昭和一四年には蒙古・察南・晋北の三自治政府が合体し蒙古聯合自治政府へと成長、その首都が張家口となった。万里の長城を挟んで北京と隣接し、古代からの軍事的要衝だ。
 大東亜戦争開戦の翌昭和一七年に、立化寺から経文、盒、袱紗などの「日持宣化遺物」九点が発見された。これらは平成元年(一九八九年)に東大と東北大が別個に科学鑑定を行ない、一三〇〇+-三(プラスマイナス)五〇年前(平城、平安、鎌倉期)の品との結論を出した。しかし素材は古いが日持の署名、象嵌などは明らかな別物で、後世の加工品との疑いが強い。
▼宣化遺物が日持のものか否か。立化祖師が日持当人なのかはともかく、日持は蒙古帝国の奥深くに入り込み、法力によって祖国安寧を図ったと考えられる。大正一三年(一九二四)の元旦、愛用の尺八を手に千鳥の曲を吹きながら北京を出発し、蘭州、ウルムチ、イリを経てコンスタンチノープルへの単身旅行を成し遂げた副島次郎は、その凄絶な一人旅を『亜細亜を跨ぐ』に著しているが、この書から考えても、日持の一人旅は想像を絶するものがある。情報収集能力や洞察力などを超越した地球規模の直観的情勢把握力、いや何よりも、胆力がなければ成し遂げられるものではない。今日の政権にその胆力が著しく不足している最大の原因は、国民一人一人の胆力の不足に起因するものなのか。 (黄不動)