常夜燈索引

                    

  北朝鮮指導部の長老たち 
   (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)11月15日第327号) 

▼北朝鮮では九月二八日、朝鮮労働党代表者会が開かれ中央指導機関として次の幹部が選出された。

  党中央委員会政治局常務委員(五人)
     金正日 六八歳 党総書記、国防委員会委員長
     金永南 八二歳 最高人民会議常任委員長
     崔永林 七九歳 首相
     趙明禄 八二歳(一一月六日死亡)国防委員会第一副委員長、軍総政治局長
     李英鎬 六七歳 軍参謀総長、次帥

  党中央委員会政治局委員(一二人)
     金永春 七四歳 国防委員会副委員長、人民武力相
     全秉浩 八四歳 国防委員
     金国泰 八六歳 
     金己男 八四歳 党書記
     崔泰福 八〇歳 党書記、最高人民会議議長
     楊亨燮 八五歳 最高人民会議常任委員会副委員長
     姜錫柱 七一歳 副首相
     辺英立 八一歳 最高人民会議常任委員会書記長
     李勇武 八七歳 国防委員会副委員長
     朱霜成 七七歳 国防委員、人民保安部長、大将
     洪石亨 八一歳 党中央委員会部長、党書記
     金慶喜(金敬姫) 六四歳 党軽工業部長(金総書記の実妹)

▼北朝鮮の最高指導部の最年少は金正日の妹の金慶喜(金敬姫)六四歳で、最高齢は国防委員会副委員長李勇武の八七歳である。一七名の平均年齢は、七八歳となる。
 長老支配とも敬老精神の表われともいえようが、これほど多くの八〇歳を超える長老が現役の指導者として国家経営にあたっている国は世界にほとんど存在しないであろう。
 わが国でいえば彼らは大正末期から昭和初期の生まれで、いわゆる戦前派の人々である。党総書記である金正日はなぜ金日成時代からの老人達を引退させることなく、生涯現役として務めさせ続けるのであろうか。
 そこに込められたメッセージとは、何なのか。
▼金日成を一躍抗日パルチザンの英雄としたのは、「普天堡の戦い」と呼ばれた一九三七年六月四日の咸鏡南道(現在の両江道)甲山郡普天面保田里(旧名、普天堡)への襲撃事件である。同日の午後一〇時頃、東北抗日聯軍(中国共産党指導下の朝鮮人部隊)の第一路軍第二軍第六師を率いるソ連軍大尉金日成こと金成柱は第六師九〇名を六隊に分けて普天堡近くまで侵入した後、朝鮮領内で組織されていた呼応工作員八〇名と合流。一六隊に分かれて午後一〇時に駐在所を襲撃、別働隊は「試験場」、営林署、森林保護区、消防署などを攻撃したとされる。
 襲撃目標の駐在所には七名の警察官が配置されていたが、襲撃当夜の在勤者は五名(二名は朝鮮人)で、警察官は全員が退避し死亡者は出なかった。ただ、巡査の幼子一名が母親とともに避難中、銃弾に当たり死亡した。第六師は駐在所から銃器と弾薬を奪った。さらに、第六師は面事務所、郵便局、書類等に放火、普通学校にも延焼した。続けて商店及び住宅も襲撃し、地元民から現金四〇〇〇円(現在価で約六〇〇〇万円前後)及び物資を奪った。被害に遭った地元民のほとんどが朝鮮人であったが、料理店経営者の日本人一名が居室で殺害された。その後、襲撃隊は四種類のビラを撒き撤退した。襲撃による総被害額は一万六〇〇〇円(現在価で約二億四〇〇〇万円前後)であった。
 この襲撃事件によって金日成の名が朝鮮領内で報道され、日本側官憲もこの事件を重く見た。そして、金日成の首には、当初は二〇〇〇円、のちには二万円の懸賞金が賭けられた。現在の価では約三億円前後となり、金日成の名は一躍有名になった。
▼北朝鮮で今もっとも人気のある音楽グループは「普天堡電子楽団」という名称をもつ。また、金正日は今年五月三日から七日にかけて四年ぶりに支那を非公式訪問したが、その直後の一八日には両江道恵山市の普天堡戦闘勝利記念塔を見て回った。このように現在もなお、普天堡は金日成が打ち立てた金字塔として神聖視されているのだ。
 ところで、金日成を一代の英雄にしたその「普天堡の戦い」に異説がある。
 普天堡には日本軍の「試験所」があり、これを襲撃することが金日成たちの最大の目的だった。「試験所」では、ある禁制品の研究、開発が行なわれており、ドイツに留学した日本人化学者がこれに従事していたという。金日成部隊はこの日本人化学者を拉致して人質とし、日本側と交渉を行なったのだ。ここに禁制品を介して金日成と朝鮮総督府・関東軍は結びついた。
 北朝鮮指導部に列なる八〇歳を超える長老たちは大日本帝国が朝鮮半島、満洲でなした計略を身を以て体験してきた人々だ。彼らはその長寿と昭和史の秘密を生涯現役で守り抜く舎人たちではないのか。(青不動)