常夜燈索引

                    

 悲劇と美しさの伝統と「みち」
   (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)2月15日第332号) 

▼昭和一一年二月二六日に起きた所謂二・二六事件の「蹶起趣意書」の一節に次の下りがある。

 ……然ルニ頃来遂二不逞凶悪ノ徒簇出シテ私心我慾ヲ恣ニシ至尊絶対ノ尊厳ヲ藐視シ僭上之レ働キ万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ヲ呻吟セシメ随ツテ外侮外患日ヲ逐ウテ激化ス。所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等ハコノ国体破壊ノ元兇ナリ。(中略)内外真ニ重大危急今ニシテ国体破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シ稜威ヲ遮リ御維新ヲ阻止シ来レル奸賊ヲ芟除スルニ非ズシテ皇謨ヲ一空セン。(中略)君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ彼ノ中枢ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能クナスベシ。 臣子タリ股肱タルノ絶対道ヲ今ニシテ尽サズンバ破滅沈淪ヲ翻スニ由ナシ、茲ニ同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ奸賊ヲ誅滅シテ大義ヲ正シ国体ノ擁護開顕ニ肝脳ヲ竭シ以ツテ神州赤子ノ微衷ヲ献ゼントス。…… 

 君側の奸である元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等が天皇の御稜威を蔽っており、これを排除すれば日本の真姿が顕現され、本来の國体が甦える、という蹶起青年将校の思想が示されている。
 東京警備司令部は同日午後三時三〇分に「陸軍大臣告示」を発布した。

一、蹶起ノ趣旨ニ就イテハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國体顕現ノ至情ニ基ヅクモノト認ム
三、國体ノ真姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就イテハ恐懼ニ堪エズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合ワセタリ
五、之レ以上ハ大御心ニ待ツ

 素直に聞けば全体として陸軍大臣や軍上層部は蹶起行動を是認したものと思われ、青年将校達は安堵した。
 ところがすでにこの頃天皇は「早ク事件ヲ終熄セシメ、禍ヲ転ジテ福ト為セ」と青年将校の行動に強い不快感を示されていることが軍上層部に伝わっており、「陸軍大臣告示」は青年将校達を宥めるための一時的な欺罔工作だったことが後に明らかになった。
▼磯部浅一『獄中手記』はこう記す。

 陛下が私たちの義挙を国賊反徒の業と御考え遊ばされていられるらしいウワサを刑ム所の中で耳にして私共は血涙をしぼりました、真に血涙をしぼったのです。
 陛下が私共の挙を御きゝ遊ばして「日本もロシアの様になりましたね」と云ふことを側近に云はれたとのことを耳にして私は数日間気が狂ひました。
「日本もロシアの様になりましたね」とは将して如何なる御聖旨か俄にわかりかねますが、何でもウワサによると青年将校の思想行動がロシア革命当時のそれであると云ふ意味らしいとのことをソク聞した時には神も仏もないものかと思ひ、神仏をうらみました。

 青年将校は、自分たちは不義不臣の君側の奸を一掃する義軍であると堅く信じていた。天皇は彼らを、天皇に弓引く反乱軍と考え、殺された君側の奸は「朕ガ最モ信頼セル老臣」だった。磯部は最後まで大御心を俟つことに全存在意義をかけていた。それが全くの思い違いであり、「此ノ如キ兇暴ノ将校等、其精神ニ於イテモ何ノ恕スベキモノアリヤ」だったことを「ロシアの様に」の一言で理解したのだ。
▼軍部隊を権限なしに動かして政府・軍首脳を暗殺し、首都中枢を占拠して麻痺状態に陥れた青年将校の行動は、為政者にとって容認できることでなかった。二月二九日午後四時三〇分、戒厳司令部より「叛乱部隊ヲ鎮圧セリ」の報告を受けた天皇は「この事件の経済界に与える影響、特に海外為替の停止になるような状態になったら困ると思っていた。しかしさしたる影響はなかったようだ」と安心したように、国際金融と日本経済の関係に細心の注意を払っていた。青年将校の行動は世界の中での日本の存在に無分別だったとみなされたのだろう。
▼保田與重郎は二・二六事件六年後に刊行した『万葉集の精神』で次のように書いている。

 家持は防人たちの真実に大君の命を畏む志をあはれみつゝ、さういふもので描かれてゐる國の歴史と別のところに、まさに頂点に達した藤原氏の陰謀の政治を考へた。防人たちは何も知らないのである。さうして家持の地位から情勢をみるとき、國の政治の歴史は、彼らの尊敬すべき純粋の献身とは別のところで描かれてゆき、変はつてゆくやうにも見えた。しかも彼は防人たちの描いてゐる歴史の精神をつひに了知した。そこで彼は絶大な責任を味はつたのである。この怖るべき自覚から、國の柱となり、神と民との中間の橋となる者は彼の他になかった。

 保田與重郎は絶望しながらも日本を信じて死んでいった防人たち、さらに大東亜戦争の兵たちに「偉大な敗北」を見たのだ。
 理想論は必ず現実論に敗れる。
 二・二六の青年将校の憤りと狂気は三島由紀夫に受け継がれ、昭和四五年に噴出した。
「偉大なる敗北」が間歇的に継起するところに日本の悲劇と美しさがある。その後裔たるわれわれにも「みち」があることを信じたい。 (青不動)