常夜燈索引

                    

 日本漫画の祖・北澤楽天
   (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)3月1日第333号) 

▼皇女和宮が降嫁し、十四代徳川家茂との婚礼の儀が行なわれた文久二年(一八六二)、横浜居留区で日本初の漫画雑誌「ジャパン・パンチ」(英字版)が英国人C・ワーグマンの手によって刊行された。これを模倣する形で明治七年には日本語の漫画掲載誌「絵新聞日本地」「寄笑新聞」が刊行され、明治一〇年には「團團珍聞」が刊行される。同誌に連載された田口米作の「江ノ島鎌倉長短旅行」が日本初の連載漫画だとされる。
「團團珍聞」刊行から一八年後の明治二八年(一八九五)、福澤諭吉は一九歳の画家、北澤楽天の絵を初めて見る。その隠れた素質に驚嘆した福澤は、来日中の英系豪州人フランク・ナンキベルに楽天を紹介。横浜の週刊英字新聞漫画欄担当記者だったナンキベルは、米国に渡るまでの半年間、楽天に欧州風漫画の描き方を伝授する。
 十代の初めに大野幸彦から洋画を学び、井上春端から日本画を学んだ楽天は、僅か半年学んだだけでナンキベルの画風を呑み込み、従来の作品とは異質の、新たな作風を確立する。
 動作の途中を切り取ったような描写は、次の場面を無限に想像させて痛快極まる。だが楽天の絵の見事さは、何よりその視点にある。自分の目の高さを変えない凡画と違い、彼の目線は自由に移動する。今日では世界語となっている「漫画」という言葉を最初に用いたのも楽天であり、今日巷間溢れる漫画の原点とされる作品を最初に描いたのも楽天である。楽天が「日本近代漫画の祖」と称されている理由である。
▼印刷技術が発展した一六世紀以降、欧州では戯画、風刺画が盛んに描かれていた。一九世紀に入ると仏国を中心に欧州全域をジャポニスムが席巻する。文学、詩歌に限らず芸術全般がルネッサンス期同様の激流に呑み込まれた。家紋や市松模様は工芸品に影響を与え、和歌までが翻訳出版されたほどだ。
 今日、漫画やアニメに限らず、料理からオタクに至るまでの日本文化が欧州に広がり、現代のジャポニスムと呼ばれるが、一九世紀の日本心酔運動は今日とは比較にならぬほどの猛威だった。広重、歌麿などが描く浮世絵が、ルノアール、ゴッホ、モネなど欧州の画家に途轍もない影響を与えたことはよく知られている。一九世紀中頃には「北斎漫畫」がパリで出版されたが、それは欧州の戯画、風刺画界を直撃した。ナンキベルが楽天に教えた欧州風漫画とは、地球を半周して里帰りした北斎漫畫の真髄だった。
▼北澤楽天、本名保次は明治九年(一八七六)に埼玉の大宮宿で生まれている。北澤家は代々紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役で、楽天はその一三代目だった。彼の自由奔放な視線は鳥見役という血筋が生んだものかもしれない。
 楽天は代表作「田吾作と杢兵衛」シリーズや、長谷川町子に影響を与えた「とんだはね子」など名作を数々残したが、何より弟子の育成に力を注いだことで知られる。楽天の直弟子としては、島田啓三(「冒険ダン吉」、つのだじろうの師匠)、根本進(朝日新聞「クリちゃん」)、西川辰美(読売新聞「おトラさん」)、松下井知夫(東京新聞「あごザムライ」)、横井福次郎(「冒険児ブッチャー」)、麻生豊(報知新聞「ノンキナトウサン」)等多数に及び、日本漫画の本流を築いた。
▼「アニメ」という和製英語は「漫画」と共に現在では世界語となっている。アニメという日本語が定着したのは昭和五〇年代以降、それまでは漫画映画あるいはテレビ漫画と呼ばれた。
 世界初のアニメは一九〇八年に仏国で作られたとされる(部分描写のアニメなどが先行存在したため異論がある)。日本初のアニメ「芋川椋三玄関番之巻」が劇場で公開されたのは、遅れること九年の大正六年(一九一七)正月のことだった。製作者は下川凹天。
 下川凹天、本名貞矩は明治二五年(一八九二)宮古島に生まれたが、早くに父を亡くし東京の叔父に育てられる。小学校卒業後、一三歳で北澤楽天の書生となり凹天の名を授かる。楽天は凹天の学力を見込んで青山学院に入学させるが、放蕩三昧で退学処分となり、楽天からも破門される。心を入れ替え働きながら漫画を独学で学んだ凹天は、五年後に師・楽天に土下座して許しを請い、住み込みの直弟子として漫画家生活を再開する。
 大正五年に楽天の下に天活(天然色活動写真株式会社)からアニメ製作の相談が持ち込まれる。当時、小林商会、日活(日本活動写真株式会社)もアニメを企画しており、どこが一番乗りを果たすか競争状態にあった。楽天から天活でのアニメ制作を勧められた凹天は、文字通りゼロから独力でアニメを学び、死力を尽くして製作を開始。翌年正月に劇場公開となり、日本初のアニメ製作者の栄冠に浴す。これに遅れること半年、幸内純一製作の「塙凹内名刀之巻」が小林商会で完成、公開されたが、二番手となり涙を呑んだ幸内もまた楽天の直弟子だった。
 富の本質とは伝統・技術の「真髄の継承」にある。漫画、アニメ文化の真髄を数多くの弟子に託して、楽天は昭和三〇年に永眠した。 (黄不動)