常夜燈索引

                    

  義 気 千 秋 の 契 り
(世界戦略情報「みち」平成23年(2671)3月15日第334号) 

▼戦国乱世の天文二〇年(一五五一)秋、毛利元就は陶晴賢軍を安芸国厳島に誘き入れて合戦する。このとき陶晴賢の軍勢は二万とも三万ともされるが、迎え撃つ毛利軍はわずかに五、六千。ただ水軍力で勝る毛利軍は上陸した陶晴賢軍の退路を断ち、身動き取り難い地に追い込み、これを殲滅する。
 凡そ四百年後の一九四九年(昭和二四)一〇月、台湾金門島で厳島の戦が再現された。人民解放軍の金門島上陸、台湾進撃の責任者は常勝将軍と謳われた葉飛司令。上陸部隊は第三野戦軍精鋭総数二万数千。迎え撃つ国府(国民党政府)軍総司令は湯恩伯将軍、顧問参謀・林保源中将以下将兵八千弱。
▼大東亜戦争後に再発した国共内戦は当初国府軍が優位に立っていたが、共産党八路軍はソ連の援助や裕福な満洲を得たこと、旧日本軍の最新兵器を接収したこと等により勢力を拡大。人民解放軍と名を改め、大陸の主要都市を制覇。一九四九年一〇月一日には毛沢東が中華人民共和国建国を宣言する。
 国府軍を台湾一帯に押し込んだ毛沢東は、中国完全統一を目指し、怒涛の進撃で一〇月初旬には台湾を望む福建省海岸に押し寄せた。目の前二キロ先の海上に金門島。その先一四〇キロの台湾海峡を挟んで台湾が浮かぶ。
 台湾防衛のためには、金門島に敵を誘き入れ殲滅するしかない。海軍を保持せぬ人民解放軍は、近隣の船を掻き集めて金門島上陸を果たすことは間違いない。国府軍の守備を一任された顧問参謀は解放軍の上陸地点を北部中央と断定、これが的中する。浜の塹壕に隠れ潜んでいた国府軍兵士は第三野戦軍三万の軍勢の上陸を待って木造ジャンク船二百隻を焼却。退路と援軍の可能性を断たれ動揺する解放軍に対し、金門の虎M5A戦車二一台の三七ミリ砲が集中砲火を浴びせる。三昼夜に及ぶ白兵戦の末、村々の民家に身を隠す解放軍を西北部の古寧頭に誘き殲滅。解放軍捕虜六千、死者二万超。国府軍は死者千二百余の完勝だった。
 戦車二一両という火力の差もあったが、勢いに乗る三倍超の兵力を圧倒し、歴史に残る大勝利を齎した最大要因は林保源の作戦であり陣頭指揮にあった。だが金門島戦役の国府軍将校に林保源という名は記録されていない。
▼国府軍顧問参謀林保源とは世を欺く仮の名。正体は元帝国陸軍中将根本博。金門島の戦闘で、塹壕戦を初め、包囲誘導等に帝国陸軍の戦法が目立ったのは当然のことだった。
 昭和二〇年八月一五日の玉音放送を根本博が聞いたのは、蒙古薩南自治政府の首都、張家口だった。終戦の詔勅、武装解除命令を聞きながらなお継続中のソ連軍との激戦を終わらせる意思は、駐蒙軍司令官・根本博にはなかった。ここで武装解除すれば在留邦人三五万と駐蒙軍四万の生命を守ることができない。武装解除令違反の責任は自分一人が取ると覚悟の上、根本司令は全軍に対しソ連との戦闘を命じる。
 ソ連軍との戦闘継続に対し、支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は幾度となく電信する。

 蒙疆方面ニ於ケルソ軍ノ不法行為ニ対シ貴軍ノ苦衷察スルニ余リアリ。然レトモ詔勅ヲ体シ大命ヲ奉シ(中略)血涙ヲ呑ンテ速カニ戦闘ヲ停止シ武器引渡等ヲ実施スヘキヲ厳命ス

 関東軍は八月九日のソ連宣戦布告からわずか三日で総撤退。詔勅を受け武装解除した満洲にソ連軍が雪崩れ込み、数箇所で起きた戦闘を除けば満洲の地は蹂躙され、無抵抗な婦女子が悲惨な運命を辿った。三五万同胞と駐蒙軍四万のために根本は腹を切る覚悟を固める。司令の命を受けた駐蒙軍は、昼夜を分かたず攻め込んでくるソ連軍との肉弾戦を戦い抜き、押し返し、在留邦人全員が北京に入った八月二一日に撤収。糧秣乏しく満身創痍の駐蒙軍は、それでも軍服を正し北京に入城した。北京に辿り着いた駐蒙軍を敬礼で迎え入れたのは蒋介石の国府軍だった。
 在留邦人の内地への帰還、北支那方面軍三〇余万が無事復員できたのは、国府軍の尽力に依ること大だった。その恩義を総身に感じながら、根本博は昭和二一年八月に最後の船で帰国した。
▼終戦から四年後、戦犯にもならず悠々自適の隠居生活を送っていたはずの根本博が台湾に密航、金門島の戦役で活躍した裏に「白團(パイダン)」の存在が語られることがある。白團とは蒋介石が国府軍支援を要請した旧日本軍将校八三名からなる軍事顧問団だが、根本博と白團はまったく無関係である。
 占領下の日本で元軍人を台湾に密航させるという離れ業を仕組んだのは、元台湾総督・故明石元二郎の一人息子明石元長だった。元長は根本を小さな漁船に乗せ、宮崎海岸から送り出した四日後、まだ根本の船が沖縄に差し掛かる前に、資金調達や人員配備等の激務が重なったことから、四二歳で急逝している。
 蒋介石は「義気千秋」を掲げる中国古来の秘密結社の一員だった。蒋介石に求められ文字通り死を決して台湾に密航した根本もまた義に殉じる特殊な人間だった。「義に生きる」とは古今東西男の憧れだが、体現するには相応な場が必要となる。  (黄不動)