常夜燈索引 

                

  マヤ暦は縄文人が作った 
   (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)5月15日第338号) 

▼「アセンション」とはニューエイジ運動などで「次元の上昇」を指す怪しげな言葉で、西暦二〇一二年前後に人類を含め世界そのものが高次元存在へと進化するという。米露韓三国で大統領選が行なわれ、中国国家主席が交代、北朝鮮は「強盛大国の大門を開く」と宣言している年。何かが起きてもおかしくはない。二〇一二年一二月二三日に地球がフォトンベルトを通過する時、遺伝子に影響を与えると説く者もいる。アセンションを支えるのはマヤの暦で、それは二〇一二年一二月二二日前後で終わっている。
 古代マヤ人は天文学に優れていた。惑星の軌道を計算し、太陰暦と太陽暦を正確に使い分けた。どちらも非常に正確で、太陰暦は今日の最新科学が計算した数字と殆ど差がない。
 マヤに都市が出現するのは紀元前四〇〇年前後。マヤの暦は紀元前三一一四年から始まっているが、中南米に源初の文明として存在したのは紀元前一五〇〇年に誕生したオルメカ文明で、それ以前の文明は発見されていない。
▼昭和四〇年(一九六五)の米ライフ誌に衝撃的な記事が載った。南米エクアドルで縄文土器が発見されたというのだ。土器の欠片が太平洋に面した小島バルディビアから発見され、スミソニアン研究所がこれを解析。その結果をエバンス博士夫妻が発表した。「同様式の土器は南米から発見されていない。中央アンデス文明は植物の殻等を容器として使用していた時代である。その時代に唐突に、極めて水準の高い土器がバルディビアから発見されたことは、太平洋考古学の大発見である。この特異な縄文模様の土器は確実に日本の縄文土器の影響を受けている」
 土器は紀元前三二〇〇年にバルディビア島の土で作られたもので、九州の有明海地域で作られた阿高式縄文土器と共通の文様を持つ。今から五千年以上昔、マヤ暦の始原時に縄文文化が南米に伝播したと考えられる。
 縄文土器が海外で発見されたのはエクアドルだけではない。南太平洋のバヌアツ共和国エファテ島からも縄文土器の欠片が出土している。仏人考古学者ガランジェ博士が一九六〇年代初めに四〇個の土器欠片を発見後、東北大の芹沢長介博士らが追跡調査。成分中にバヌアツには存在しない鉱物等が見つかり、それが青森県北部の縄文土器と同成分であること、文様が共通していることから、日本の縄文土器が海を渡ったと結論。後にこの土器欠片は英オクスフォード大により五〇〇〇年前(±二五〇年)と分析された。但し贋作説も根強い。
▼最古の縄文土器は平成一一年(一九九九)に青森県蟹田町から出土した土器片で、一万六五〇〇年前とされる。縄文時代草創期は世界史的には中石器時代から新石器時代。世界が文化というものを持つ遥か昔に、縄文人は高度な土器文化の花を開かせていた。最近十数年で縄文文化の評価は大きく変わり欧米の学者も縄文の日本列島が「文化の発信基地」であったと主張し始めている。
 縄文と見られる土器片はアリューシャン列島の遺跡や中央アジアの韃靼一帯からも発見されているが、それだけではない。バルト海の原型となったリトリナ海周辺の遺跡から縄文と酷似した土器が発掘されている。縄文文化が北欧にまで辿り着いた可能性は極めて高い。陸続きのユーラシアを考えれば縄文土器が長い年月の間に北欧に伝播したのは当然とも思える。だが縄文人の発想はもっと豊かで、太平洋ですら大きな湖程度と捉えていた。彼らは六、七メートルほどの櫂付き丸木舟で太平洋を縦横に移動。数本の釣針さえあれば食糧には困らない。命を繋ぐ真水は数日に一度は降るスコールを利用する。ここで重要な役を果たすのが縄文土器である。(『倭人も太平洋を渡った』Man across the Sea C・L・ライリー著/古田武彦訳、昭和五二年刊)
▼縄文時代は少なくても一万二千年は続いた。一つの文明がこれほど長期にわたって継続した例は他にはない。縄文はその間世界に文明を発信し続けた。文字を持たぬ文明が長期繁栄を続けた理由は人類史上最大の謎ともいえる。隋書『倭国伝』中に「文字はなくただ木を刻み縄を結ぶ」とあるが、文脈から倭人は文字の代わりに木を刻み縄を編んだと読みとれる。古代インカでは結縄文字で情報交換が行なわれていたが、同様な手法は戦前まで沖縄で使われていた。キープと呼ばれるこの情報伝達法は仮説の一つとして意味を持つ。
 世界中を移動していた縄文人にとって天候、季節、天体の運行は重要だった。秋田県大湯の環状列石には夏至、冬至を正確に表す日時計遺構が残るが、文化が世界に行き渡る過程で独特の縄文暦法がマヤに伝わったとは考えられないだろうか。マヤの暦が終わる二〇一二年一二月二二日とは縄文暦の終焉なのかもしれない。
 激変期を迎えた今日、異端とされ偽書と蔑まれてきた『上記』『秀真伝』『物部文書』などといった古文書を繙(ひもと)くことも重要と思われる。そこには必ずや新たな価値観を構築する鍵が潜んでいるはずである。(黄不動)