常夜燈索引

                    

 五回も被曝した日本人の死生観
       (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)6月1日第339号) 

▼日本人は過去四度、四種類の放射能を浴びた経験を持ち、福島第一原発事故で五度目になる。
最初は昭和二〇年(一九四五)八月六日に広島に落とされたウラン二三五原爆だ。この直撃により七万数千人が即死、昭和二〇年末までに計一四万人が死亡(一九七六年国連報告)した。
 原爆投下直後に粉塵や放射性物質を含んだ粘り気のある黒い雨が広範囲に降り注ぎ、この雨に当たったり井戸水を飲むなどにより、大量の二次被曝者を生んだ。直接被曝は受けず、救援のために当日広島市に入った者は、僅か数時間で〇・二シーベルト、翌日市内に入った者は〇・一シーベルトの被曝をしたとされている。被曝から二年後に白血病の発症率が高まり、六年後、七年後にピークを迎え、二〇年後にはほぼ正常値に戻っている。白血病以外のガンは一〇年後から発症が増え、被曝者は今日もなお影響を受けている。
二度目は同年八月九日に長崎に落とされたプルトニウム二三九原爆だ。原爆は長崎市上空五〇三メートルで炸裂。その威力は広島に投下されたウラン原爆の一・五倍と想定される。周囲を山に囲まれた長崎では爆風は遮断され、被害は広島より軽減された。直撃死者三万五千、年末までに七万四千人が死亡している。
三度目は昭和二九年三月一日にビキニ環礁で行なわれた水爆実験の被曝だ。実験当初、米国は規模を四~八メガトンと想定したが、現実には一五メガトンに及んだ。この差はロスアラモス研究所の核出力計算ミスとされるが、人体実験だったとする説も根強い。このとき米国が設定した危険水域外で操業していた日本の漁船約千隻、二万人超が被曝。第五福龍丸は乗組員二三名全員が被曝し入院。二十代の若者が回復していくなか、久保山愛吉機関長(四〇歳)は半年後に息を引き取った。第五福龍丸以外にも第二幸成丸、第五海福丸等、被曝が原因とみられる死者は多数出たが、占領から解放された直後の日本政府は、米国の責任を追及しないと確約。二百万ドル(七億二千万円)の「好意の見舞金」で事件の幕を下ろした。現在に至るまでビキニ水爆実験の被曝実態は調査されていない。
平成一一年(一九九九年)九月三〇日に茨城県那珂郡東海村の株式会社ジェー・シー・オーが起こした被曝事故は、杜撰な作業工程管理が引き起こした人災だった。
 事故を起こしたのは核燃料サイクル開発機構(旧動燃)から委託された高速増殖実験炉「常陽」の燃料を加工する試験的施設。高濃縮ウラン哨酸溶液をステンレス製バケツで沈殿槽に移送していく過程で溶液が臨界状態に達し、中性子を初めとする大量の放射線が放射された。同日一二時半には半径三五〇メートルの住民に避難要請、半径五〇〇メートル以内に避難勧告、一〇キロ圏内に屋内退避が呼びかけられた。事故発生から一五時間後に過剰な放射線を浴びながら一八名が決死の作業を開始。沈殿槽周りの冷却水を抜き取り、核反応は翌朝収束。その後ホウ酸が注入されて臨界の危険性が消滅した。
 この事故では三名の作業員が多量の中性子を直接被曝し、うち二名が死亡。計六六七名の被曝者を出している。多量被曝した作業員三名はヘリで千葉市の放射線医学総合研究所に搬送。このとき世界各国の医師(ほとんどは軍医)が放射医研に集結した。その理由は、この事故が中性子爆弾の被曝人体実験と考えられたことによる。中性子爆弾とは爆風や熱線を抑え、建造物等の被害を小さく、生物を死滅させる効果が大となる戦術核兵器。理論上は残留放射能も少ないとされる。
東日本大震災震勃発後、世界の目は福島第一原発に集まった。地震二日後の三月一三日に米ABC放送は「メルトダウンに入った」と報道。同日、仏大使館は在日仏人に対し東北関東圏からの離脱を勧告。ドイツ、スイス大使館も一五日には自国民に対し国外退去を勧告。中国大使館も帰国支援の緊急通告を出している。公式的には原発八〇キロ圏外離脱を呼びかけた米国は、実際には自国民を三〇〇キロ以遠へ退避誘導。四月末まで横須賀ドックで修理を予定していた米原子力空母ジョージ・ワシントンは突如修理を切り上げ、三月二一日に横須賀を出航しフィリピンに逃げ出している。
▼大震災直後の被災者の冷静さは世界中の注目を集め、多くの国のメディアがその沈着ぶりを特集した。一部には「東北人特有の引き籠もり精神と相互監視の共同体世界」の故に混乱が生じなかったとの冷めた見方も存在した。
 福島第一原発事故の実情が明らかになり始めた三月末、関東圏の人間が一斉に避難を開始し、日本は大混乱に陥ると予想した欧米の大使館員たちは、またもその冷静沈着ぶりに驚嘆させられる羽目となった。欧米の大使館員らからは「過去四度の被曝を体験している日本人の慣れ」といった声も聞かれるが、それは見当外れも甚だしいと思われる。なぜに日本人はかくも冷静であり得たのか。詰まるところ宗教観、死生観の相違とでも分析するのが妥当ではないか。     (黄不動)