常夜燈索引

                    

 世界最古の磨製石器医は日本製 
        (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)7月1日第341号) 

▼納豆売りの行商で生計を立てながら独学で古代に挑んでいた二三歳の青年、相沢忠洋は戦後も間もない昭和二四年の夏に群馬県岩宿の関東ローム層から旧石器を発見したときの感動をこう述べている。

 それを目の前に見たとき、私は危うく声をだすところだった。じつにみごとというほかない、黒曜石の槍先形をした石器ではないか。(相沢忠洋『「岩宿」の発見』講談社文庫)

 この発見によって日本に旧石器時代が存在することが証明され、調査研究が一気に盛んになった。日本列島は一万数千年前まで火山活動が活発で人は住めなかったとされ、固定観念のように植え付けられた皇国史観の影響もあり、列島に人類が移住したのは一万六五〇〇万年前の縄文時代創生期からとされた常識が打ち破られたのだ。
▼石器時代という概念は一九世紀に生まれ、やがて打製石器の旧石器時代、磨製石器登場以降の新石器時代と分類された。二〇世紀に入るとその区分に不都合が生じ、旧石器、中石器、新石器と分けられ、さらに旧石器時代は三分割された。だがこの区分にも疑義が唱えられ、現在では石器時代の区分は不明瞭なものとなっている。
 旧石器時代が前期、中期、後期と三分割されていた昭和三〇~四〇年代、日本に前・中期旧石器時代が存在したか否かが大論争となり、後期は存在するが前・中期は存在しないとの説が有力となった。その説を覆すかのように昭和五〇年代後半から昭和六〇年代にかけて、前・中期旧石器が続々と発見され、日本にも前・中期旧石器時代が存在したとの認識が一般的になった。発掘された旧石器の中にはアジア最古、原生人類以前の旧人が作った七〇万年前の遺物も存在した。だが平成一一年一一月、旧石器発掘に関して「神の手」と呼ばれていた藤村新一による発掘捏造事件が発覚する。
 藤村による捏造は東北を中心に北海道から関東にかけての地域で膨大量に行なわれたことが判明。捏造石器は彼自身の手で発掘されたものだけでなく、彼が埋めた石器を第三者が発掘した例もある。最終的には日本で発掘された前・中期旧石器の殆どが捏造と断定され、これにより日本の旧石器研究は根底から瓦解。東北旧石器文化研究所は解散、日本史の教科書の石器に関する記述も削除されるに至った。
▼世界の磨製石器は紀元前九〇〇〇年~七〇〇〇年頃に出現するが、稀に突出して早い時期に磨製石器が発掘されている。シベリアには紀元前二万年、ロシア南西部には紀元前一万四〇〇〇年の磨製石器が存在する。ケルト人の源郷とされるオーストリア中部では紀元前二万四〇〇〇年。南半球のオーストラリアでは紀元前二万九〇〇〇年~二万一五〇〇年の磨製石器が発掘されている。こうした数例のみが異常に早過ぎる磨製石器として、作成経緯等が研究されているが、すべて不明である。
 昭和四八年に東京都練馬区石神井川流域栗原遺跡で、関東ローム層紀元前二万五〇〇〇年以上の地層から磨製石斧が発見された。ほぼ同時期に千葉県三里塚からも磨製石斧が出土。藤村による発掘捏造騒動を尻目に、その後も日本では磨製石斧発見が相次ぎ、現在では北は秋田県から南は奄美群島まで一三五箇所から四〇〇点余の磨製石器が発掘されている。しかも全てが紀元前三~四万年の地層から出たもので、紛れもなく世界最古のものだ。英国の考古学者J・ラボックの説に従えば、日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千~三万年前に新石器時代を迎えていたのだ。これらの中には長野県日向林から出土した六〇点や貫ノ木の五五点等、生産現場でもないのに大量に出土した例もある。磨製石器の発祥地が日本列島だったことはもはや自明である。これらの石器の中には伊豆諸島神津島から運ばれてきた石材も多く、すでに当時の日本列島住民は航海術に長け、自由に海洋を往来していたのだ。
▼世界が日本列島の磨製石器に追いつくのに要した時間は二万数千年~三万年以上。この長大な期間の石器文化を探ることは枢要である。石材の産地や研磨法等の分析も重要だが、注目すべきは神話発生の構図解明だ。一般に世界中の民族がもつ神話は、磨製石器登場の時代に作られたという。つまり日本列島には世界最古の神話を登場させる条件が整っていたことになる。
 神話を生み出す原型、神話的思想を構築する思考の根源は南方熊楠や中沢新一の言を借りるまでもなく、人類がユーラシア大陸に拡散する遙か以前に共有していたとも考えられる。それが神話という体系を持つためには、一族が統一された目的を持ち、社会を維持する体制が生まれる磨製石器登場時代を必要とした。しかし日本列島に世界最古の神話が誕生したと語る説は皆無である。その痕跡はわずかに異端史書、偽書と蔑まれる類に残るのみ。
 長い歴史の中で変形し粉飾され、魑魅魍魎の化け物のように変わり果ててはいるが、その深奥には最古の神話が潜んでいる。アカデミズムが触れようともしない偽書の源流を謎解くことは、自由闊達に論を展開できる在野研究家たちにこそ託された使命である。 (黄不動)