常夜燈索引 

                    

 神の声を聞き分ける日本語 
    (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)7月15日第342号) 

▼世界の言語は抱合語、屈折語、孤立語、膠着語の四種に大別される。日本語は膠着語に分類され、朝鮮語、満洲語、蒙古語、ウイグル語、カザフ語、トルコ語、シュメル語、ハンガリー語、フィンランド語等と同類。ユーラシア大陸中央部を連なる地域で使用されるツラン民族圏言語ともいえる言語だ。外来語を採り入れるのは膠着語圏の特色だが、言語だけではなく、他民族の文化を吸収消化する特性を持つ。
 膠着語圏にあって異彩を放つのが、日本語と朝鮮語だけに見られる擬声語の多さである。日朝両語が持つ擬声語の数は世界の他言語の百倍以上とされ、時に数百倍、千倍超ともされる。テクテク歩く、ほろほろ飲む等、日々新たな擬声語が生み出されていく現状では、その全体数を把握することすら難しい。日朝圏では人々は擬声語を明確に理解するが、それを的確に説明することは難しい。例えば「歩く」という語を飾る擬声語、おどおど、びくびく、しずしず、そろそろの違いは、頭では理解できても翻訳するのは容易ではない。擬声語の異常な多さから、日本語と朝鮮語は他の膠着語圏とは別個の一群に入る同族言語のように思える。
 しかし、日本語は朝鮮語とは違った深い謎を持つ。例えば数詞の構成だ。一、二(Fi、Fu)、三、六(Mi、Mu)、四、八(Yo、Ya)という倍数音韻変化、七(NaNa)、九(KoKo)という特別な奇数の重複音。これらは抱合語が持つ特色だ。抱合語は古代言語とも呼ばれ、アイヌ、バスク、ユカテカ(マヤ語)等で使用される言語である。
▼音韻を重視する大和言葉に漢音が加わり、その上に多数の言語が流入し絡み合ったのが日本語だとされる。では根幹となった大和言葉の起源はどこにあるのか。さまざまな説が唱えられるが、仮説に過ぎず定説はない。かつて可能性が高いとされた古朝鮮、高句麗、百済を起源とする説は今日では評価は低い。大野晋が提唱したタミル語説も批判の嵐の中で立ち往生状態。南方言語を基底としてアルタイ語が覆い被さって生まれたとする混合言語説が現在の主流となっているが、これでも説明のつかない面が指摘されている。
 分子生物学的には現生人類とネアンデルタール人とが分化する以前の三〇~四〇万年前に人類は言語を手に入れていたという。その自然発生言語が飛躍的に発展した理由は神話の登場だ。日本語の起源を探るためには、日本人が固有の神話を何時どのように手に入れたかを解明する必要がある。戦前から現在に至るまで、南方系と北方系の神話を中心として幾多の神話が吹き溜まりの日本列島で混合し、醸成、発酵して日本神話が出来上がったとするのが一般的だった。記紀の編纂年代は時代がずっと下がった八世紀であり、日本は神話後発国と考えられたのは当然だった。神話後発国であるから言語も後発国。南方、北方からの言語が混合した「吹き溜まり言語」だと推測されてきた。しかし最古の磨製石器が日本から発掘され、それが世界に先駆けること二万年以上となると、話は変わってくる。日本列島は神話先進国、言語先進国だった可能性があるのだ。
▼三〇年以上も前だが、言語学とは無縁の学者が突如、日本語のベールを引き剥がした。『日本人の脳』(昭和五三年)、『右脳と左脳』(昭和五六年)等で脳の働きを明らかにした角田忠信である。角田によると日本人と非日本人とでは、脳の言語野の動きがまったく異なるというのだ。
 欧米や中東の屈折語、中国やベトナム、クメール等の孤立語、古代言語の抱合語はもちろん、朝鮮、蒙古、トルコ等の膠着語を使う日本人以外の世界中の人間は、喜怒哀楽を表す感情音を右脳で聞き取る。動物や虫の鳴き声、鳥の囀り、風の音、小川のせせらぎや滝の轟音も右脳で聞く。ところが日本人はこれらの音を全て左脳で聞き取るのだ。モーター等の機械音や雑音は、日本人、非日本人とも右脳で聞く。音楽(西洋音楽)も右脳だ。だが雅楽は、日本人は左脳で聞き、非日本人は右脳で聞く。こうした脳の動き方により、日本人と非日本人とでは事象に対する認識、捉え方が異なってくる。
 問題はその先にある。脳の働き方の差異は遺伝ではない点だ。先祖代々日本人の夫婦が儲けた子供が幼い頃から英語教育を受けると、非日本人の脳の働きになる。逆に純血英国人の子供が幼い時代に日本語の環境で育つと、日本人の脳の働きをする。つまり日本人、非日本人で異なる脳の動きは、生まれつきではなく幼少時に日本語で育てられたか否かで決まるということなのだ。
▼風の音や川の流れを言語野で察知する日本人は地殻の微妙な変化を察知できる。日本人には地震予知が可能だと角田は語る。古代の日本人は自然の音を神の声と捉えたのかもしれない。
 賛否両論の中、今年から小学校高学年での英語教育が始まった。国際化社会で英語教育が必要なことは間違いない。だが親の中には高学年まで待てず、幼児期から英語を習得させようと先走る者も現れよう。神の声を聞く日本人脳の持ち主は坂道を転げ落ちるように減少するかもしれない。(黄不動)