常夜燈索引

                    

 色道に見る日本文明の真髄 
     (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)8月1日第343号) 

▼戦国時代や幕末に来日した外国人は日本人を奇異な人種と感じ、その記録を多数残している。元亀元年(一五七〇)に天草に来た宣教師F・カブラルは徹底した差別観で日本人を見下し「傲慢、貪欲、不安定で偽装的」と断じたが、これは少数派。同年に来日しL・フロイスと共に京都で活躍した宣教師O・G・ソルディは日本人の聰明さに感嘆し「世界中でこれほど天賦の才能を持つ国民はない」と絶賛した。外国人の日本人観は千差万別だが、礼儀正しく勤勉で均質性とする評価が多く、好色という言葉も目につく。西鶴の『好色一代男』や春画浮世絵を挙げるまでもなく、我々の先人たちは好色という文化を愛してやまなかった。
 デュレックス社による性意識調査によると、成人の国別年間平均性行為回数はギリシアが一六四回で世界一位。二位はブラジル一四五回、三位ロシアとポーランドが同数で一四三回。日本は四八回で世界最低(平成一九年調査)。日本から好色文化が消えたのではない。性交回数と好色とは無縁ではないがイコールでもないからだ。
▼古来日本には武道、芸道須ら(すべか)く道を究める文化があるが、色道もまた然り。徳川四代将軍家綱の頃に書き始められ八代吉宗の享保五年(一六八八)に完成したという『色道大鏡』は色道探求の歴史書あるいは指南書の最高峰だ。
 日本には古代から風土記の類が各地に残されているが、徳川の代には江戸と上方以外の地方史書が少ない。広重の東海道五十三次や芭蕉の『奥の細道』が各地の雰囲気を僅かに伝える。全一八巻から成る『色道大鏡』は近世風俗の百科事典とも呼べるもので、遊びや風俗は勿論、礼儀作法、美学観、芸事、書道等の奥義が語られているが、日本全国の遊郭地図や地名由来、しきたり、年中行事、掟等が記され、地方史としても秀逸本である。巻一二、一三に掲げられた遊郭地図は二五箇所に及ぶが、少ない出入口や番所の位置等、特徴は今日の色町にも似て興味深い。
 出色は巻五の廿八品。好色道を第一の無性品から第廿八の大極品まで、各二相計五六段階に分別。男として生まれて色道に進みこれを究めようとする輩には垂涎の書。詳述したいは山々だが、些か憚れる用語も多く、ここでは触れる訳にもゆかぬ。
 巻六の心中部には、誓詞、断髪、刺青、切指等、遊女が客に誠意を示す作法が述べられ、巻七の翫器部では三味線や琴等楽器の由来、演奏術からその名手、更には目隠し遊びや双六、歌留多の遊び方まで指南している。
▼巻一五雑談部には名妓や禿等、著者が各地で見聞した物語が綴られているが、作り話や法螺が盛り込まれて此れ又興味深い。だが圧巻は何といっても巻一七の扶桑烈女伝だ。他巻と異なり漢文で著され、一九人の名妓が実名で登場する。冒頭「洛陽」に描かれるのは美女の誉れ高い二代目吉野(諱名徳子)。「徳子性軽爽、而智恵甚深、霊艶而化心、活然恣気、且下情有要焉」。読み下せなくとも雰囲気は理解できる。
 遊郭に売られた女であるから、中には自分を売った親を恨み続ける悲惨な物語も登場するが、基本的には凛として輝く凄まじい迄に恰好のいい女が描かれている。雑談部は巷間の噂話だが、烈女伝は虚飾無しの実話だろうが、その奥底に女の心に対する作者の思い入れが見え隠れする。
▼豪商佐野家の養子紹益が身請けした遊女が前述の通り冒頭に登場する二代目吉野だが、養父は身請けに怒り紹益を勘当する。養父はある日、雨宿り先で気品溢れる女主人に茶を馳走になるが、この女主人こそ吉野だった。夫を勘当した養父とは知らぬ吉野と、養子が身請けした遊女とは知らぬ養父との対話に大和撫子の真髄が垣間見える。
 客の出船前夜の宴に駆け付けた長崎花月の物語も卓抜だ。小舟を仕立てて現れた花月に感動した客は十両という大金を手渡す。恭しく受け取った花月はその十両を惜しげもなく海へと投げ込む。綴られていないがその背後に作者箕山の思いが溢れている。受け取れば、金に惹かれて駆け付けたと思われるが、拒否すれば客の面子が潰れる。呆気に取られる客を前に、お名残り惜しい、お帰りをお待ちいたしますと艶然と笑って花月は宴を後にする。
 現金を差し出す客の野暮を誹謗すると同時に、遊女花月の痩我慢が強調されている。真に花月を思えば密かに運び渡せる金を人前で晒した客を誹り、一瞬も迷うことなく海に投げ捨てた女の気風の良さが強烈に浮かび上がる。色道にあるのは演出の原点であり、人間文化の原点なのだ。愛の証の為に遊女は指爪を切り、時に根元から剥がし、また小指を切り落として男に届ける。それらは禿が伸ばした爪だったり病死した老婆の小指だったりするのだが、受け取った男も、裏事情は百も承知。演出された恋を遊び、深みに嵌まって心中までする。演出の背後に誰もが理想とする文化の原点が存在すべきと箕山は説いている。さて、享保から三百有余年、今の日本に古人の尊んだ文化・文明の残滓は有りや無しや。況や、政治屋どもに於いて、その文明の程は如何ばかりのものか。
(黄不動)