常夜燈索引

                    

  器物にも神が宿る
(世界戦略情報「みち」平成23年(2671)11月15日第349号) 

▼室町時代に作られた『付喪神記』の冒頭部には「陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑(たぶら)かす、これを付喪神と号す」と記されているが、古来日本人は万物に霊が宿ると考えていた。器物に宿った霊は一〇〇年を経ると化ける能力を手に入れると本気で信じていた。このため人々は新年を迎える前に間もなく一〇〇年になるという器物を路地に捨てた。この風習を「煤払い」という。
 一〇〇年を過ぎて能力を得た器物神は「付喪神」だが、九九年で捨てられた器物は「九十九神」と称される。読みはどちらも「つくも」神である。九九年も過ぎると水中の岩に髪の毛のように藻が貼り付く。これが付藻髪であり、転じて何年も器物に付いた霊を付喪神、九十九神と称していたのである。
▼使い古された器物が妖怪の姿となって踊り狂う様を描いた『百鬼夜行絵巻』という作品がある。室町期に描かれた絵巻で、京都真珠庵に所蔵される国宝(重文)である。他の物語絵巻と違い、詞書(ことばがき)はなく、ただ異形の妖怪たちが行進するだけの絵巻。その様は恐ろしげではあるが、どこか滑稽で、躍動感に溢れている。白い被衣(かつぎ)、鰐口、琴、琵琶等々に目や口があり、あるいは手足を動かし、のろのろ、ふわふわと歩み漂う様はむしろ妙に可愛らしい。
 最近、といっても平成二〇年の秋のことだが、京都の古物商が所有していた付喪神の絵巻が注目を浴びることになった。『百鬼ノ図』と題されたこの絵巻そのものは江戸前期の作品だが、古い絵巻を模写したものと考えられる。真珠庵『百鬼夜行絵巻』と酷似しているが、黒雲が妖怪を呑み込もうとする構図など妖気凄絶な場面もあり、元の絵は古い時代の絵巻と推測できる。『百鬼夜行絵巻』より相当な昔、平安から鎌倉期には、付喪神は残忍な荒神とされ、恐怖の対象だったようだ。
 器物の霊や妖怪は古くから物語絵巻に登場していた。平安末期に書かれた『古本説話集』には太政大臣藤原冬嗣の孫常行が京の外れで鬼と化した器物霊に出会った話が載っているし、鎌倉初期に書かれた『宇治拾遺物語』にも怪異な鬼として器物霊が描かれている。この恐ろしい器物霊は、時代が下がるにつれて愛嬌のある霊に変化していく。
 崇福寺蔵『付喪神絵巻』や国会図書館蔵『付喪神草子』には、康保年間(九六四~九六八)に、捨てられた古道具たちが一揆を企んだ物語がある。多年にわたって家具として奉公をしてきたのに、路上に捨てられるのは許せないと、器物に憑く霊たちが煤払いの夜に評定を行なうのだ。そこでは数珠の入道、手棒の荒太郎といった器物の精霊たちが議論をするのだが、数珠は因果応報を説き、手棒は暴れ回る。それぞれが器物固有の属性を発揮するところが面白い。古道具に対する人々の愛着心が透けて見える。年月を経ることで器物に付加価値を附与すると同時に、所有者は器物の霊と心の交流を行なっていたのである。
 古の日本人が道具に深い愛着心を持っていたことは、各地に残る道具塚、包丁塚等からも推察できる。それは単なる愛着を越え、心が通い合う愛しい仲間だったからかもしれない。釜と親しく会話することで、時に水加減を間違えても釜は見事に米を炊く。また、わが身を守る刀剣甲冑と会話する武士は多かったに違いない。名刀五郎入道正宗は口を利くというが、所有者に思い込みがなければ、刀の声が聞こえるはずもない。
▼器物は捨てられて一生を終える訳ではない。とくに江戸期に入ると、元の所有者の下を離れた器物が装いも新たに再び活躍を始める。江戸風俗の研究家だった杉浦日向子は「江戸時代は世界に類を見ない資源還元社会だった」としている。幕府の政策によるところが大きかったが、江戸期の器物再利用、資源活用は人類史上例を見ないほど徹底していた。古着屋、下駄歯入れ屋、焼き接ぎ、鋳掛、目立て、砥師といった生業が町や村に溢れていたことからも資源徹底活用の様が見えてくる。
▼内閣府経済社会総合研究所景気統計部の調査(平成二二年三月)によると携帯電話の平均使用年数は三~四年だという。年に何度も新型、新機能種が発売される機器だから当然のこととも思うが、周囲に訊ねると、毎年新品に換える者と数年も使い続ける者と二極化が進んでいるようだ。家電や家具類の場合、生産者側の意志も反映され、平均使用年数を発表通りに受け止めることには疑問も残るが、以下の数値が公表されている。

 エアコン  12.1年
 テレビ    7.2年
 パソコン   6.3年
 洗濯機   11.0年
 冷蔵庫   11.6年
 椅子     8.1年
 箪笥    10.7年

 昨今、不況にエコブームが加わり家具家電等のリサイクルが人気だという。二次三次使用が進み、最終使用年数は大幅に増えたと考えられるが、実数は定かではない。その短い年月の間に、己の持ち物と心を通わせることはどれほどあるだろうか。  (黄不動)