常夜燈索引 

                    

 墨家集団の日本渡来と非戦思想 
       (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)1月15日第352号) 


▼「力ある者は疾(と)く以て人を助け、財ある者は勉めて以て人に分かち、道ある者は勧めて以て人に教う」。春秋戦国の混乱期に能力主義を唱え、平等愛、専守防衛を説いて回った墨子という思想家がいた。その思想は瞬く間に人心を掌握し、当時の主流となっていた儒家を圧倒、戦乱下の民を纏める大集団に成長した。だが乱世が収束し墨子が没すると、三派に分裂した集団の影響力は急速に衰え、始皇帝による焚書、さらには漢代に儒教が国家イデオロギーとして確立されたことも重なり、墨子思想は忽然と姿を消した。以降墨子は忘れ去られ、歴史から姿を消した。
 欧州列強による中国侵出で眠れる獅子、清王朝が終末に向かおうとする混乱期に、改革派の孫詒譲(そんいじよう)、譚嗣同(たんしどう)、梁啓超によって再発見されるまで、墨子は二千年もの間消えたままだった。
 和銅五年(七一二)に献上された古事記の最古の写本は一四世紀のもの、養老四年(七二〇)に完成した日本書紀の写本が八世紀末で、両者とも今後古写本が出現する可能性がないことを考えても、二千年の歳月を経て墨子が再発見されたことが、どれほど異常か理解できる。譚嗣同は一九歳のとき初めて墨子を手にしたと記しているが、それは日清戦争開戦一〇年前の明治一七年(一八八四)にあたる。墨子は混沌の時代に光明を与える書とされるが、二千年の闇から墨子を拾い上げた清王朝は間もなく歴史の彼方に姿を消した。
▼酒見賢一の小説に『墨攻』がある。二万の軍勢を相手に、僅か数千の兵でこれを守るべく派遣された墨者、革離の活躍を描く珠玉の名作だ。この小編を久保田千太郎脚色、森秀樹画で全一一巻の長編に仕立てた漫画『墨攻』は、原作から逸脱して墨家集団の末路を描く。大長編の最後の見開きには台詞のない駒が羅列されるが、そこには古代から大東亜戦争に至る日本史の場面が描かれ、墨家の思想が日本にこそ継承されたと主張している。
 墨子は紀元前五世紀の人物。始皇帝による全土統一は紀元前二二一年、秦滅亡後に劉邦が漢帝国を建国したのが紀元前二〇六年。墨家集団が消え、墨子思想が失われたのは紀元前二世紀頃と推測される。日本の弥生時代中期にあたる。
 弥生前期から中期前半にかけては集落が環濠で防禦されていたことが知られる。奈良の唐古・鍵遺跡には幅八メートルを越す大環濠が巡らされ、その外側にも幅数メートルの濠が四重五重に構築されていた。愛知の朝日遺跡には環濠の中に逆茂木(さかもぎ)が配され、先端を尖らせた杭が斜めに打ち込まれるなど厳重なバリケードが構築されていた。関西各所に山城が築かれた跡も存在し、紀元前四世紀以降、縄文期にはなかった戦闘が各地で頻発し、平穏な一万年の後に日本は混乱期に突入している。集落を守る環濠は二世紀後半に突如として廃絶され、濠は埋められ柵は取り除かれる。戦争の時代が終焉し、列島全域は緩やかな同盟状態になったと考えられる。
▼「今大いに不義を為し国を攻むるに至りては即ち非とするを知らず、従いてこれを誉めこれを義と謂う。これ義と不義との別を知ると謂うべきか」(非攻篇)。墨子は七一篇から構成され、うち一八篇は消失。現存五三篇も完璧ではないが、戦争反対を説く非攻篇は兼愛篇と並んで墨子思想の中核をなす。弥生中期に突如として戦乱が収束した理由は諸説あるが定説はなく、古代史の大きな謎となっている。縄文期には戦争がなかったこと、弥生期でも北関東以北の東北太平洋側には戦乱が皆無だったことから、列島住民が本質的に嫌戦、非攻を是としていた可能性も高い。大陸から渡来した墨家が弥生期の非戦状態を先導したとの説は飛躍が大きく受け入れ難いが、その可能性は排除できない。
▼「一言を争いて以て相殺す。これ義、その身より貴ければなり。故に曰く、万事義よりも貴きはなしと」――人間は一字のために命を捨てる場合がある。その一字とは義である。義を失するなら命を捨てたほうが良い。それ故、義よりも貴いものはないと言うのだ(貴義篇)。墨子が義を貫いたことは数々の逸話が証明する。義を通せねば死あるのみ。信頼を受けた領主の土地を守り切れなかったために、墨子の弟子が続々と自刃したことも墨家滅亡に繋がったと思われる。
 平成一六年一月、自衛隊のイラク派兵反対論に対して小泉純一郎は墨子・貴義篇を引用して答えている。「義を為すは毀(そしり)を避け誉に就くに非ず」。小泉が義を理解していたか否かは不明だが、混乱期に墨子を求めるのは必然。貴義篇には以下の文もある。
「世の君子、一彘(てい)の宰たらしむれば能(あた)わざれば即ちこれを辞するも、一国の相たらしむれば能わざるもこれを為す。あに悖(もと)らずや」――世の君子に豚一頭を料理しろと差し出せば、できないときは辞退する。だが大臣になれと言えば能力もないのに引き受ける。何と矛盾していることか。
 野田改造内閣が誕生した。能力がないのに辞退もせず引き受けた大臣がいないことを祈るのみだ。(黄不動)