常夜燈索引 

                    

 国姓爺=鄭成功が築いた日台関係 
       (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)2月1日第353号) 


▼戦国乱世に突入した一五世紀末に扇拍子を使って御伽草子中の浄瑠璃物を語る路上芸が流行り始めた。これが浄瑠璃の起源とされるが、一六世紀半ばに琉球渡来の三線が三味線へと転化し、扇に代わって三味線を採り入れた浄瑠璃は江戸期には高度な芸術へと発展する。半太夫節の江戸半太夫、河東節の十寸見(ますみ)河東(かとう)等の古浄瑠璃は形を変えて今も残るが、よく識られているのは義太夫節だろう。
 義太夫の創始者は摂津国出身の農民竹本義太夫、本名五郎兵衛。貞享元年(一六八四)大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門作の世継曽我を上演し好評を得る。以来義太夫は近松門左衛門と組み、奥州安達原、曽根崎心中、東海道四谷怪談等々の名作人形浄瑠璃を手掛ける。
 義太夫は六三歳で没するが、遺言で二代目に二四歳の竹本政太夫(まさたゆう)を指名する。政太夫は幼少から義太夫に入門し寵愛されたが、兄弟子の嫉妬を買い一時は竹本座を出されたこともあり、二代目襲名は苦難の船出となった。この窮地を救うために近松門左衛門は政太夫の美声を活かす本を書き上げる。完成したのが国性爺(こくせんや)合戦で、鎖国下での隣国支那の物語は大成功を収め、当時異例の一七ヶ月連続公演となった。支那人の父と日本人の母との間に生まれた主人公和藤内(わとうない)の物語は近松門左衛門の最高傑作ともされ、その後歌舞伎にもなり、一昨年(平成二二年)秋の国立劇場では市川團十郎が和藤内を演じている。血が川に流れる紅流しで大見得を切る場面は代々團十郎に引き継がれるお家芸でもある。ちなみに和藤内とは、和でも唐でもないという駄洒落に由来する。
▼近松の和藤内は創作物語だが、素材は実在する。台湾で英雄と崇められている鄭成功(ていせいこう)だ。鄭成功の父鄭芝龍(しりゆう)は明代末期に活躍した貿易商で、武装した千隻もの船を持つ海賊でもあった。一〇代の頃、貿易商の手下として肥前国平戸に移り住み、田川マツとの間に鄭成功(幼名福松)を儲ける。
 鄭成功七歳の時、一家は支那の福建に戻るが、間もなく明が滅び、明を滅ぼした順は僅か四一日で天下を清に奪われる。明の皇族は亡命政権を建て清に抵抗戦を試み、亡命政権の隆武帝(朱聿鍵)は鄭成功に期待を寄せ、王の姓である朱を下賜しようとする。鄭成功は余りに畏れ多いと辞退したが、以降周囲からは国の姓を賜った爺(大人)として国姓爺と呼ばれる。
 亡命明軍は幾度となく清の征討を試みるが悉く失敗。鄭成功は軍の建て直しを図るために台湾に進軍する。鄭は日本風の鉄製鎧で身を固め、日本の戦国武者を集めた如き倭銃部隊で兵団を構成し、その攻撃力は亡命明軍にあって抽(ぬき)んでるものだった。また鄭軍の軍規は厳格で違反は極刑に処せられた。内通、収賄、姦淫は特に厳しく処罰されたが、その軍規の根底にあったのは義の精神だった。
 一六世紀以降、台湾には欧州列強が押し寄せ、一六二五年にはオランダの東印度会社が全島を支配し要塞を築いていた。「抗清復明」の旗を掲げた鄭成功軍が台湾に攻め寄せたのは一六六一年で、一年足らずの期間にオランダ人を完全駆逐している。台湾に独自の政権を建てた英雄として、鄭成功は開発始祖とも呼ばれ、今日なお尊敬崇拝される偉人である。
▼支那を中心に全世界に広がる洪門(ホンメン)(紅幇)と名乗る秘密結社が存在する。その勢力は二〇世紀初頭に総員数六〇〇万人とされ、現在も規模を維持もしくは拡大している。洪門の歴史は古く、その実体は多数の幇の集合体である。後漢時代の西暦二〇六年に劉備が関羽、帳飛と義兄弟を結んだことで興った桃園、隋末期の六〇六年に開山された瓦崗、梁山泊で宋江等が義兄弟の契りを結んだ一〇八九年の梁山、明末一六四四年創設の漢留等が洪門の中心勢力である。台湾と大陸のみならず全世界の洪門ほぼすべてが鄭成功を中興の祖と崇めている点は注目に値する。
▼昨年の三・一一東日本大震災に対し台湾から贈られた義援金は総額二〇〇億円を突破した。日本と台湾の関係は概ね安定しており、台湾人は支那人より日本人に近いとの評価も強い。日本と台湾の関係を語るには、金門島を守り抜いた根本博中将や明石元二郎台湾総督の物語だけではなく奥が深いが、日本人の母を持つ鄭成功が台湾の開祖英雄と崇められているところにもその根源が見える。比して支那との関係は、江沢民治世の一〇年間に強固な反日政策が採られた影響で、両国政府が如何に腐心しようが民衆同士の心情は離反するばかりである。
 胡錦濤の一〇年は残り一年となった。江沢民に代わって登場したものの前任者の影響から抜け出すことが難しく、確かに日中関係改善を画策したが成果は評価できるものではない。全方向に細心の注意を払い、幇会(バンフエ)の動きにも敏感で義を重んじるとされる胡錦濤が、残された最後の一年間に、洪門中興の祖の鄭成功がかつて築いた日台関係のような、民と民の心が触れ合う日中関係構築のため最大限に尽力することを期待したいものである。(黄不動)