常夜燈索引 

                    

  洛北の深い謎
(世界戦略情報「みち」平成24年(2672)4月15日第358号) 


▼宇治橋を渡り暫く進んだ処に橋姫神社がある。創建当初は櫻谷にあった社が宇治橋に移され、明治三年の洪水流出後に再建された小さな社で、祭神は瀬織津比咩(せおりつひめ)尊。大化二年(六四六)に大和元興寺の道登(どうとう)が勅願を得て宇治川に渡した橋の守神として建立した寺で、古くは男女二神が祀られており、古語「愛(は)し」と「橋」を掛け、瀬織津比咩を橋姫と呼んだとの伝承がある。
 橋姫は龍神で、橋の守神だけでなく穢れを流す神、厄払い、縁切りといった多面性を持つ。橋姫に関する比較的新しい説話は鎌倉時代成立の『平家物語』にあり、御伽草子や謡曲『鉄(かな)輪(わ)』として知られる。俗に、真に怖いは女性の嫉妬心だと云うが『鉄輪』に登場する丑の刻参りは今なお継承される秘儀であり、その呪力を信じる者も多い。以下に奈良絵本に基づいて橋姫物語の概略を記そう。
▼京の樋口に住む山田左衛門国時は公家の娘を娶り仲睦まじく暮らしていたが、実は左衛門には別に女がいた。これを知った妻は激しく叱責するが夫は弁解するばかり。ある夜、女の下に向かう夫を見て妻の怒りは頂点に達する。憎き男かな、如何にして怨みを報ぜんと考えた末に貴船の明神へ丑の刻参りを決意する。丑の刻参りとは人を呪殺する祈願で、漆黒の貴船明神に立った女は「南無帰命頂礼貴船の明神、願わくば生をば変えずして生きながらこの身を悪鬼となしてたび給へ。我ねたく思ふ者に恨みをなさん」と祈請する。これを七日続けた満願の夜に貴船明神の前で籠っていた処、神社の巫(かんなぎ)の夢に鬼が現れ願いを叶えると託宣を下す。
 赤い衣を身に纏い、頭には丹を塗り手には鉄杖を持ち、頭髪を七つに分け頭頂に鉄輪を戴き、その三つの足に火を点し宇治の川に二一日間浸れ。さらば生きながら鬼に変じるであろう。
 巫に告げられた託宣を女は喜び勇んで受け取り、そのいでたちで大和路を歩んで宇治川に身を浸す。かくて二一日後の満願の日、女は終に生きながら鬼と化したのである。
 一方亭主の左衛門は余りの夢見の悪さに怖れを抱き、当代随一の陰陽師安倍晴明に夢解きを依頼する。雑作もなく事態を把握した晴明の答えに左衛門は驚愕し呪詛祓いを願い出る。男を不憫に思った晴明は肝胆を砕いて鬼神退散の祭事を執り行ない、左衛門に厳しい物忌みを命じ、身を清めて観音の咒を唱え続けろと教える。
 あな恨めしや、捨てられて思ひの涙に沈み、人を恨み夫をかこち、ある時は恋しく又ある時は恨めしく、起きても寝ても忘れぬ報いは今こそ白雪の消えなむ命を今宵ぞ痛わしや、悪しかれと思はぬ山の峰にだに、人の嘆きは多かるにいはんや年月思ひに沈む恨み数積って執心の鬼と成りたるも理なれ、出で出でさらば命を取らむ。
 鬼と化した女が男の命を取ろうとした途端に三十番神が出現し鬼神退散の咒を唱え、さしもの鬼女も堪らず逃げ帰り、左衛門は命拾いしたのだった。
▼鬼女はその後怨みの炎を燃やしたまま夜な夜な洛中に出没し人の命を奪うようになる。これを聞いた帝は源頼光に鬼神退治の勅令を下す。頼光は配下の渡辺綱と坂田公時に任じ、両名は武勇違わず見事に鬼神を圧倒する。鬼女はここで泣きを入れ、自分を弔ってくれたら二度と禍をなさず王城の守神となると願い出る。これを帝に奏上した所、一〇〇人の僧に供養のため法華経を誦させ、安倍晴明を召して宇治川の畔に社を設けさせた。御伽草子は言う。
 諸人これを仰ぎ奉る。一たび願ひをかくる者、その願成就せずといふことなし、今の世までもあがめけるとかや。
▼この物語には幾つか謎がある。まず丑の刻参りの起源は何処にあり正体は何か。道教起源の咒禁道(じゆごんどう)説、拝火教と修験道の合体説等諸説あるが、何れが真実かは不明。文献上の初出は『平家物語』でありそれ以前にはない。埴輪や木簡に原点を求めるのが妥当と思われる。また安倍晴明は陰陽術の最高儀式である泰山府君(たいざんふくん)祭を行なったと考えられる。陰陽師は式神という使い魔を操って人を殺めるとされるが、鬼女を退散させたものの傷は与えていない。ここに陰陽道の限界が見えてくる。さらに奇妙なのは洛中で狼藉を働く鬼女のために帝が供養を行ない社まで建てたとする物語である。なお幾つも残る謎の根源的解明は貴船に行き着く。
 貴船神社は反正天皇の代(四世紀末)の創建。奥宮には見事な舟型石があり神武天皇の母である玉依姫尊が乗って遡上したと伝える。貴船明神の神託によって八世紀に建立されたのが山の反対側にある鞍馬神社。古来、貴船、鞍馬、静市は天皇家と密接に繋がり裏方守護の役を担っていた。但し後醍醐天皇が比叡山に逃げ延びようとした時から裏方は八瀬、坂本界隈に代わり、以来南朝は専らこちらを頼ってきた。
 何れにせよ貴船は天皇家と裏で密接に繋がっていた。貴船明神の御託宣により鬼神と化した女である以上、陰陽師も手を出せず帝も立派な弔いをして社を建立するしかなかったのだろう。洛北の秘密は多々存在しており、京の都は今日なお魅力の宝庫となっている。(黄不動)