常夜燈索引 

                    

  河豚計画と犬塚きよ子 ①
     (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)5月1日第359号) 


▼日は全く没し谷間は巳(すで)に夜陰に閉ざされ雨は益々烈しくなるばかりで、此上の研究は全く不可能であるばかりか四人の生命にも関係する恐れがあるので恨みを呑んで帰途に就いた。……
 そして止むを得ず帰途の第一歩に入るべく後方に向き直った其瞬間、あゝ天祐又神助、我等の直前に松林を通して完全なるピラミッドが恰も淡い墨絵の如くに鮮やかに聳へてゐるではないか。(酒井勝軍『太古日本のピラミッド』昭和九年、國教宣明團刊)
 広島県庄原市の葦嶽山をピラミッドと断定したのは酒井勝軍(かつとき)という人物。この発見は全国紙に掲載され一躍話題になった。酒井勝軍は明治七年に山形県上山町の貧農の倅に生まれ、二四歳になって米国シカゴの神学校に留学し、二八歳で帰国するや新進気鋭の牧師として活躍。三〇歳になった明治三七年に日露戦争に従軍した折りの語学力が高評価を受け、大正七年シベリア出兵の外国武官接待係に任命される。酒井の上官は陸軍の安江仙弘(のりひろ)だった。二人はこのとき『シオン賢者の議定書』に巡り合い、安江は大正一三年に包荒子という筆名で『世界革命之裏面』という本を出版するが、中身は議定書の全文翻訳。同時期に酒井も『猶太人の世界征略運動』と題した議定書の解釈本を刊行。酒井と安江はシベリア出兵以降親密な関係を続けるが、両者に通じるのは強烈な反ユダヤ主義だった。
▼安江仙弘は酒井より一四歳若く、明治二一年秋田市生まれ。陸軍幼年学校から陸軍士官学校に進み、石原莞爾と同期生。反ユダヤ主義者として活動する安江に帝国陸軍はユダヤ研究を命じ、昭和二年に中東使節団の一員としてパレスチナ、エジプトを回り、帰路は使節団と別行動で欧州に立ち寄ることになった。安江は通訳として酒井を同行させたが、パレスチナからエジプトへ向かう時に何故か両名は行方不明となり、使節団と合流したのは二週間後のこと。軍の密命に従いユダヤ研究に従事したと想像できるが、空白の日程に関し両名とも何も語っていない。
 帰国後、両名とも反ユダヤ主義者から親ユダヤ派、日猶同祖論者に転向する。酒井は『竹内文献』を発表した竹内巨麿を訪ね、昭和四年にはモーセの裏十戒が日本に秘匿されたと発表。昭和六年には『天皇礼賛のシオン運動』を刊行。安江は論文「猶太の人々」を昭和九年に執筆してこう語っている。
 猶太人の一人々々を観れば、数千萬の猶太人が一人残らず革命運動に参画して居るのでもなく、又皆一様に大財閥である訳でもない。多くの猶太人の中には、之を分類すると色々の種類がある。(中略)即ち猶太人であるからといふて、誰も彼も危険視すべきではない。我が國に取つて有害な人物もあれば、無害な善良な人もある。
▼欧州で迫害を受けるユダヤ人を満洲や上海に移住させるという「河豚計画」の草案は日独伊三国同盟締結の六年前、昭和九年に鮎川義介が発表した「ドイツ系ユダヤ人五万人の満洲移住計画」に発するとされる。鮎川の計画は昭和一三年の五相会議(首相、陸海大蔵外務の四大臣)で政府方針として固まり、翌昭和一四年「ユダヤ資本導入に関する研究と分析」の遂行を政府が承認。この計画書には欧州ユダヤ人難民を東亜に移送する手順のみならず、米国金融資本との連携、ユダヤ教を日本国民に紹介し神道との類似性を解明する等具体的内容が立案されていた。
 酒井と安江の言動を見る限り、鮎川論文の七年前、昭和二年の中東歴訪時に両名はその方向に進み始めていた。酒井は『太古日本のピラミッド』を昭和九年に、翌昭和一〇年『神代秘史』、昭和一二年『天孫民族と神撰民族』など秘教学書を次々に刊行するが、何れも神道とユダヤ教が根源で繋がっていると説き、その裏付けを『竹内文献』に求める。安江は酒井説を背後から支援し、陸軍軍人を竹内巨麿の下に通わせ超古代日本と中東に関わる壮大な歴史に迫ろうと試みる。
 酒井と安江が突然の如く変身した理由は何か。しかもその論たるや常軌を逸脱し、強引に皇国史観を日猶同祖論に向かわせている。軍の命令を受けたとの理由だけでは納得し難い。軍以上の存在から指令を受けたか、あるいは中東で途轍もない何かと遭遇したか、神秘体験を受けたのかもしれない。
▼昭和一三年にユダヤ人極東移送計画が政府方針となり、陸軍から安江大佐が海軍から犬塚惟重(これしげ)大佐がその任に当たることになった。犬塚は明治二三年佐賀県生まれ海軍兵学校卒。連合艦隊副長、特務艦長等を経て支那方面司令部付特務機関(犬塚機関)長として上海を担当した。当時の上海の日本租界虹口地区は世界で唯一入国ビザ無しでユダヤ人が上陸できる場所で、犬塚はこの地域を担当、続々と渡り来るユダヤ難民のため日本人学校を提供する等ユダヤ人保護に力を入れた。だが安江がイスラエルの『ゴールデンブック』に偉大なる人道主義者として名を連ねているのに対し、犬塚は徹底的に嫌われ最後まで疑われ続けた。「河豚計画」の名付人である犬塚惟重を、その夫人きよ子氏から筆者が聞いた思い出話と共に見ていきたい。(黄不動)