常夜燈索引 

                    

  河豚計画と犬塚きよ子 ②
     (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)5月15日第360号) 


▼欧州で迫害を受けるユダヤ人を満洲や上海に移住させることで国際金融資本と連携し、以てわが国の極東政策を有利に展開させようという計画は昭和一三年末の五相会議で政府方針として定まった。これより一年前の昭和一二年末に哈爾濱(ハルビン)で第一回極東ユダヤ人大会が開催され、樋口季一郎陸軍少将がユダヤ人礼賛の祝辞を述べ拍手喝采を浴びている。陸軍大陸派の主張を受けたもので、ユダヤ人満洲招致計画が古くから存在したことが分かる。昭和一三年一月には関東軍がユダヤ民族を「八紘一宇の大精神に抱擁統合する」目標を掲げたが、直後に犬塚惟重海軍大佐はこの計画を「河豚を料理するようなもの」と例えた。美味な高級料理だが間違えると猛毒に当たるという意味で、犬塚は河豚計画の名付人とされる。犬塚大佐夫人きよ子氏は、河豚計画の発想は日本のものではなくユダヤ人が作成した計画だと語っていた。
▼広い洋間の中央に巨大で重厚な木製の丸テーブル。その上には膨大量の本と書類が積み上げられ、部屋の奥には黒光りする書棚が並ぶ。その片隅に場違いの感がする安物の小机と年代物のソファが置かれ、紅茶とクッキーを前に犬塚きよ子氏は物静かで優しく、その眼には燃える光が射していた。
 小柄で気品溢れる女性だった。若い頃は相当な美人だったに違いない。身長は一四〇余センチほど。大佐より二〇歳若い明治四三年戌年生まれ。毎日新聞婦人記者、帝都日日新聞記者を経て昭和一四年春、政府が正式に河豚計画を承認すると同時に讀賣新聞上海特派員となり、上海で犬塚大佐と初対面する。しかし言葉の端々から特派員とは名ばかりで当初から犬塚機関の事務方として送り込まれたと想像できた。
 犬塚きよ子氏は彼女がマソン結社と呼ぶフリーメイソンが大嫌いだった。最初にお目にかかったのは昭和四〇年代のことで、立て続けに二、三度お会いしては数年も会わず、また二、三度お話を聞いて暫く音信不通といった関係が数年も続いた。英文の資料や写真等を並べてマソン結社が如何に邪悪かの説明を受けたが、無知蒙昧な二〇代の若僧だった筆者は理解しようともせず、メモ一つ取ることもなかった。それでもメソニック・テンプルを急襲した活劇譚には心を躍らせて聞き入った。床石の奇妙なモザイク模様に疑問を抱き、石を順に動かすと秘密の地下室が現れ、祭壇と拝堂があり、膨大な量の小道具や資料が秘匿されており、これらを押収したという。その他きよ子氏からは記録しておくべき内容を多々拝聴したが、手許には何一つない。微かな記憶と、彼女の著作『フリーメイソンの占領革命』(昭和六〇年、新国民社)を基に思い出話として綴ることにする。
▼昭和一四年の夏、犬塚機関は上海のフリーメイソン拠点三カ所を強制捜査。廈門(アモイ)コロンス島の結社ではスコティッシュライトのデロン書記長の抵抗を武力で圧倒し、儀式衣装や髑髏、王冠、進級式問答集等々を押収。上海淮海路(ワイハイルー)のテンプルからはソ連、支那のメイソンが英米系とは異なる仏大東社系だとする文書を入手。押収した名簿を元にメイソン員を追跡調査する等弾圧を開始した。この背後には安江陸軍大佐と同様にユダヤ人とメイソンとは別だとする認識があったと思われる。
 昭和一五年夏の日独伊軍事同盟締結により河豚計画は頓挫。安江大佐は予備役に編入されたが犬塚機関は存続。上海へのユダヤ人の流入はなお続き、難民支援に日本人学校を充てるなど米国籍ユダヤ人に一縷の望みを託す。しかし翌昭和一六年、日米和平交渉は決裂、一二月には大東亜戦争が勃発し、昭和一七年に政府は正式に河豚計画を放棄。犬塚機関が所有するフリーメイソンの押収品全点は昭和一七年春にきよ子氏が極秘に持ち帰り、その大部分を東京都大田区の犬塚邸に集め分類整理することになった。だが、戦況極めて厳しく東京も連日空襲される状況にあり、きよ子氏の実家の防空壕の方が安全との判断から押収品を移動。小柄なきよ子氏は五〇キロのトランク二個を両手に抱え混乱の都内を丸一日徒歩で運んだという。
 犬塚大佐は終戦直後に戦犯容疑でGHQに拘束され、昭和二一年から翌二二年に至る一五ヶ月間マニラで服役生活を送る。支那の英米系メイソンからは大佐と共に犬塚きよ子氏に対して財産略取による逮捕状が出され、犬塚邸は庭を掘り起こされる等の徹底調査が行なわれたという。
▼上海でメソニック・テンプル捜索の際、最初に突入したのは大佐自身で、きよ子氏がそれに続き、その後を兵が守る形だった。犬塚きよ子氏が押収品を持ち帰り秘匿したことは誰もが知っていたが、GHQの懸命の捜査にも関わらず、大量の文物と共に彼女の姿は日本中いや世界中のどこにも見当たらなかった。
 なぜ彼女は逃げ延びられたのか。「日清日露の両戦争を通して欧州、ロシア、満洲を繋ぐ回廊構築を考えていたマソン結社の野望」、そう語っていた彼女の終戦前後の動きに秘密があったのだ。(黄不動)