常夜燈索引 

                    

 奇書カタカムナと楢崎皐月 上
     (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)7月15日第364号) 


▼奇書『カタカムナノウタヒ』通称カタカムナ文献は全八〇編の詩から成り、文字面を追った解読は完了しているが内実は不明な部分も多く、更なる解釈が待たれる。この奇書の本質に迫るためには、六甲山系金鳥山でカタカムナ文献を書写した楢崎皐月という人物を理解する必要がある。
 楢崎皐月は明治三二年(一八九九)五月に札幌市で旧伊達藩士丹野軍治の次男として生まれ楢崎の養子となる。丹野の岳父楢崎寛直は長州藩士で松下村塾出身。高杉晋作と共に上京し大審院判事まで務めた人物だが、中央政界と折り合いが悪く、退官して札幌に移住。皐月が生まれる前に他界している。楢崎家に男児がいなかったため皐月が姓を継いだと考えられる。
 楢崎皐月は旧制中学を卒業し志願兵として一年間兵役に就いた後、学生社員として電気関係の業務の傍ら電気専門校で学ぶ。二〇歳になった大正八年(一九一九)に日本石油と契約し絶縁油の研究に着手。大正末期に特殊絶縁油の開発に成功し、これが事業化され各方面から注目を浴びる。昭和一五年(一九四〇)には福島県の大日本炭油工業(株)に引き抜かれ人造石油開発研究を始めるが、翌昭和一六年には陸軍省の要請により満洲吉林省の陸軍製鉄技術試験所所長に赴任する。カタカムナや楢崎皐月の研究者はこれを東条英機或いは石原莞爾の要請としているがどちらも根拠に乏しい。筆者が直接楢崎皐月の娘博子氏に満洲時代の業務内容を訊いたところ、「父は軍の秘密命令で質量勢力の研究をしていた」との答えだった。質量勢力とは聞き慣れない言葉で相対性理論のE=MC2からの発想だろうか、「楢崎皐月は満洲で原爆開発を行なっていた」と語る者もいるがそれはあり得ない。ちなみに昭和一六年時点で楢崎皐月が公的記録上所属していたのは関東軍直轄独立勤務第一中隊(「厚生省援護局陸軍北方部隊略歴」より)で、軍の秘密研究に携わっていた可能性は極めて高い。
▼吉林省陸軍製鉄技術試験所に働く多数の現地労働者に敬意を表すため、赴任後間もなく、楢崎は北山(ペーサン)にある道院娘々廟を訪ねた。廟の道士である蘆(ラ)有(ウ)三(サン)は初めて道院を訪ね来た日本人を歓迎し茶を勧めた。庭に降り立った道士が湧き出る泉の水を汲み、枯葉を数枚拾って茶釜に火を点けると、水は瞬時に沸騰した。茶釜の熱効率に唖然となった楢崎に道士は驚愕の老子古伝を披瀝する。遥か古代に日本から八鏡文字を使う一族が大陸に渡来し多くの理を伝授した、その中に優れた製鉄技法があり、この茶釜はその一族が伝えたものだと。
 たたら製鉄以前の製鉄法として火山熔岩を使用する技術がカタカムナに説明されているが、既に昭和一六年時点で楢崎は自然の力だけで優れた鉄を生み出すことが可能との手掛かりを掴んでいたようだ。楢崎は昭和一六年春から昭和二〇年八月まで満洲で軍の秘密研究に従事していたが、その間何度か福島の大日本炭油工業に戻っている。昭和一八年には陸軍の指導の下、相馬郡に日本造石油炭油株式会社を設立。戦車用の合成ディーゼル油開発に成功し、この研究は現在の京大バイオディーゼル研究に繋がる。
▼満洲の製鉄技術試験所は昭和二〇年八月上旬で閉鎖、楢崎は終戦直前に帰国する。帰国直後の楢崎を物心両面から支えたのは星一だ(ほしはじめ)。星一は福島県相馬郡出身で星製薬の設立者。野口英世やフリッツ・ハーバーのスポンサーでもあったが、阿片吸引の疑義で逮捕拘束、SF小説を発表、衆院三期、参院一期を務める等話題に事欠かない人物だった。星一が楢崎を支援した理由として石原莞爾との接点が説明されるが、寧ろ単純に世界最高水準にあった陸軍の秘密研究活動の継続にあったと考えられる。星一の息子で後にSF作家となった星新一は昭和二三年以降東大大学院に通いながら星製薬に勤務したが、楢崎が仲間二、三人と星製薬社内で活動していたことを記憶していた。筆者が尋ねたところ「電波を与えて酒の味が変わるといった研究をしていたが、社内ではその様な研究に金を出すのは無駄だと強い反発があった」と語っていた。
▼楢崎皐月が金鳥山中腹の狐塚付近で平十字(ひらとうじ)と名乗る奇妙な老人と出会ったのは昭和二四年一二月。老人が持つ巻物の書写を終えたのは昭和二五年一月で、此を初めて公表したのは昭和四一年のことである。この間楢崎は「植物波農法」(昭和二五年)「静電三法」(昭和三三年)を研究し技術と成果を発表しているが、何れも大気、大地の電気に関係する。
 カタカムナと楢崎の研究者が見落とす重要な問題がある。昭和二八年に楢崎が『自衛同盟』中央委員に就いた事だ。『自衛同盟』とは辻政信が主宰した思想団体。辻政信は毀誉褒貶の激しい人物で、それも「毀貶」が圧倒的で「誉褒」はほとんどない。終戦と同時にタイから姿を晦まし昭和二三年に帰国潜伏。昭和二五年に戦犯指定外が確定した途端に姿を現した辻政信との関係からも楢崎皐月が旧軍との関係を続けていたのは明らかだ。(黄不動)