常夜燈索引 

                    

 阿片王二反長音蔵と台湾阿片 
      (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)10月1日第368号) 


▼日本書紀欽明元年に「秦人(はたひと)漢人(あやひと)等諸蕃より投化せる者を招集して国群に安置し戸籍に編貫す」と既に六世紀に戸籍の記述がある。大化二年(六四六)には全階層に戸籍が付与され氏姓を持たぬ者は天皇皇族と奴婢のみとなる。姓と苗字は別物で、本来の形は姓、苗字、名と続く。源朝臣徳川次郎三郎家康の場合、源が姓で徳川が苗字、次郎三郎は通称、家康が本名(諱)(いみな)である。中世近世を通して日本人の九割前後は姓を持ち苗字を持つ庶民もいた。
 明治維新直後には国民須らく姓を録せと通達が出されたが九割近くが源平藤橘となり、戸籍の意義希薄と早々に廃止され、明治四年の「姓尸(せいし)不称令」発布により姓を名乗ることが禁止される。明治八年「平民苗字必称義務令」で全国民が苗字を持つこととなった。今日では本来の姓は消え苗字を以て姓としている。
 公卿貴族武家のように旧くから苗字のある者は兎も角、庶民は自由に苗字を付けられるというので地主から授かる者もいれば地名や住居を名乗る者、あるいは所有地の広さを誇らしげに苗字にする者もいた。反畑とは一反即ち一〇畝(三〇〇坪)の畑を所有するとの苗字であり、知人で広島の二反田、栃木の三反田は共に豪農だったようだ。変わったところで二反長(にたんちよう)という苗字がある。二反よりは広いが三反迄は届かない。恐らくそのような事情で斯様な苗字となったと推測される。
▼摂津国三島郡福井村(現茨木市福井)に二反長(にたんちよう)音蔵(おとぞう)という男がいた。明治四四年『福井村沿革誌』の記録によると「二反長音蔵、川端七郎氏ノ四男ニシテ二反長家ヲ嗣ギ農ニ心ヲ注ギ本郡耕地ノ冬作ハケシ栽培阿片製造ノ有利ナルヲ確知シ、臺湾総督府ニ阿片買上ヲ願シ、明治三八年総督府ヨリケシ栽培試作センコトヲ命ジラレル」。二反長音蔵は芥子(けし)栽培を行ない、後に全国の新聞各紙は阿片王と称した。
 阿片王といえば里見甫が有名で、従軍記者だった里見は昭和六年の満洲事変以降は奉天特務機関で甘粕正彦と共に諜報活動に従事し、支那の秘密結社青幇(チンパン)や紅幇(ホンパン)と関係を構築。陸軍特務機関の影佐(かげさ)禎昭(さだあき)中佐(最終階級は中将)に命じられて上海に里見機関を設立。阿片を売り捌いて日本の戦費を賄ったとされる。里見は大戦中に大陸で岸信介、佐藤栄作、笹川良一、児玉誉士夫らと濃密な関係を構築していた。
 里見甫は阿片売買の王だったが二反長音蔵は阿片生産の王だった。「農ニ心ヲ注ギ」と記された通り正に実直な農民そのものの姿勢で芥子栽培に心血を注いだ。音蔵は若い頃には行商で稼いだ金で教材等を買い集めて小学校に寄付するなど、生まれた以上は世のため国のために全力を尽くすことを信条としており、芥子栽培阿片精製はその延長にあった。
▼日清戦争講和条約は明治二八年四月に下関で締結された。清の全権公使李鴻章に対し伊藤博文が台湾割譲を迫ったところ李は日本の愚鈍さを鼻で嗤ったという。台湾を入手しても阿片患者に手を焼き結局は放り出すに決まっているというのだ。実際明治三〇年の帝国議会では台湾を仏国に売り飛ばす提案が出されている。台湾の阿片患者は膨大で一九世紀末の台湾巡撫(地方官)徐宗幹は『治台必告録』の中で「台湾にては貴賎貧農良秀男女の殆どが喫煙、その数少なく見ても四、五〇万は突破している」と記している。
 台湾割譲を受け明治二八年五月に初代総督樺島資紀が乗り込もうとする時「断辮髪禁阿片解纏足夜不可閉門」(辮髪を切れ、阿片は禁止、纏足禁止、夜に門を閉めるな)という統治政策の噂が流された。実際は斯様な法令が出された事実はないが確かに当初の日本は台湾に対し強硬政策を実施した。阿片中毒患者から阿片を取り上げると、嘔吐下痢精神錯乱の末に悶絶悶転し干からび息絶え、骨と皮だけの死体と化す。どうせ死ぬならと清国敗残将や匪賊と共に決死の蜂起を敢行した島民に総督府は応戦一方だった。
 明治三一年、児玉源太郎が第四代総督となり後藤新平を民政長官に任命したところで内地法を超越した特別統治法が採られ、阿片漸減政策が実行に移される。中毒患者には阿片を与えるが新たな患者は作らない。台湾の阿片は全てが劣悪な輸入品だったが一切を内地製に切り替え専売制を実施した。
▼台湾の阿片は戎克(ジヤンク)船により大陸やジャワ島等から密輸されていた。阿片純度五〇%なら良質のほうで八割九割が小麦粉といった劣悪品も多く、輸入量も密輸のため不明、台湾から流出する銀の量も不明という出鱈目さだった。これを全て内地産に切り替えるのだ。寝る間も惜しみ食事は立った儘握り飯を喰らう音蔵の芥子栽培は明治三一年から一気に本格化する。音蔵の地元三島郡産の芥子も当初は品質が安定せずモルヒネ含有量が〇~二五%までと不安定だったが、改良を重ね終に一〇~一一%に安定する芥子育成に成功する。因みに現在日本で試験栽培されている芥子は全て音蔵が作った三島種である。また現在国際法が認める阿片輸出可能国は印度・中国・北朝鮮そして日本の僅か四ヶ国しかない。(黄不動)