常夜燈索引 

                    

 阿片王二反長音蔵と製薬王星一
      (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)10月15日第369号) 

▼貿易不均衡を印度阿片で賄おうとする英国に抗し清が阿片輸入禁止策を採った結果、一八四〇年から二年に及ぶ阿片戦争が勃発する。この戦争の経緯を考証した幕府は安政五年(一八五八)の日米及び日英修好通商条約中に厳しい阿片禁輸条約を組み込む。維新後の新政府も阿片には敏感で早くも明治元年には阿片厳禁の令達が出され、明治一一年と一三年には一段と厳しい法改正を施行し特別認可が下りた薬学医学関係者だけに阿片製造が許された。然し奇妙な話だが明治七、八年の二回、政府は芥子栽培の全国実態調査を実施、栽培法、精製法だけでなく阿片見本の提出まで行なわせている。一部で暗黙の了解の下に無届で栽培精製が行なわれていたことが透けて見える。
 芥子は足利義満の時代に印度から運ばれ津軽で栽培されていた。このため隠語では芥子を津軽と呼ぶが、これが戦国期に摂津に伝わり山間で白い花を咲かせていた。芥子は初夏に満開となるが一面の芥子畑は見事な雪景色の趣。明治八年に摂津国三島郡に生まれた川端音次郎の少年期の記憶にこの雪景色があった。日清戦争勝利により台湾が割譲され、台湾阿片の今後は日本産のみを扱うべきだとの主張が高まる。その記事を読んだ二一歳の青年川端音次郎は行動に出た。国内での芥子栽培許可を得るべく内閣府宛の建白書を認め、東海道を乗り継ぎ単身上京、苦労の末衛生局長後藤新平に直接手渡すことに成功する。生まれ落ちた以上世のため国のために全力を尽くす。川端音次郎の熱意は、台湾阿片患者漸減政策と専売局による阿片一元管理を提唱していた後藤新平の心中に共振現象を引き起こし、一気に摂津三島郡での芥子栽培に認可が下りる。
▼貧農川端家の四男坊音次郎は馬車馬の如く働き続けたが、なぜか隣家の箱入り娘を夢中にさせる。豪農二反長(にたんちよう)家は三代続いて女子しか生まれず婿養子が家督を嗣いだが、当代の娘は近隣に鳴り響く色白美人。大金持ちか名家の息子が養子に入るとの近隣の予想を裏切り、当の箱入り娘本人が垣根一つ隔てた不細工な貧農の四男でなければ厭だと駄々をこね祝言を挙げてしまう。すでに三島郡福井村で芥子試験栽培を五年も繰り返し、台湾への阿片供給を開始していた明治三四年に川端音次郎は二反長家に婿養子に入り、名も音蔵に改めることになった。
 その三年後、着物姿の村人男女が行き交う福井村の芥子畑に場違いな背広姿の紳士が現れた。この男こそ、後に製薬王と呼ばれ波瀾万丈の人生を駆け抜けた星一である。
▼福島県磐城郡生まれの星一は(ほしはじめ)渡米を目指し明治二三年に東京商業高校夜間部に入学、同じ志を持つ安田作也と親密になり二人で渡米する。安田は当時「政界の黒幕」と呼ばれた杉山茂丸の甥で、その縁により星一は杉山茂丸の知遇を得る。もっとも、星一の父は村長や県議を務めた人物で、杉山茂丸とは旧知の間柄であり安田の介在がなくても二人は繋がったと思われる。余談になるが杉山茂丸の長男が怪奇幻想作家で知られる夢野久作である。
 明治三四年といえば日英同盟締結の前年であり、音次郎が二反長家に婿養子に入った年だが、この年、職を転々と変え苦学の末にコロンビア大に入学した星はニューヨークで杉山茂丸と再会を果たし元老伊藤博文を紹介される。伊藤、杉山の訪米は日露戦争に向けた水面下交渉が目的だったと推測できるが、この出会いで伊藤博文は星一を高く評価し、明治三八年に初代総監として韓国に赴く際に星を同行させている。伊藤の狙いは星を韓国総督府官吏にすることだったが、すでに阿片事業に手を染めていた星は伊藤の熱心な誘いを断り、三ヶ月で韓国から日本に戻ってしまった。
▼これより前、明治三五年に資金調達のために米国から一時帰国した星一は伊藤博文に後藤新平を紹介され、台湾阿片漸減政策と専売制を教わり、二反長音蔵に引き合わされる。後藤新平、星一の当初の目論見は台湾に流入する違法阿片の摘発後の処理にあった。粗悪品も多かったが押収した密輸阿片からモルヒネを抽出する事業は旨味に溢れていた。更に星はその後、三井物産を抑えて台湾への日本産生阿片納入の権利を手に入れ、風雲児の異名を戴くほどになる。明治四四年に製薬所を星製薬株式会社に発展させた星一は大正に入るとモルヒネ国産化に成功。革命動乱の支那では英国製を抑え星印モルヒネが飛ぶように売れ、星製薬は米国に支店を南米ペルーにコカ栽培を目的とする広大な薬草園を購入し、星一は世界を目指す製薬王と称される。しかし人生山を越えれば谷に差し掛かる。
 大正一三年に後藤新平と対立する憲政会加藤高明との政争が勃発。後藤の資金源と見做された星一は競合の製薬会社武田、田辺からの追撃も受け台湾阿片令違反で起訴される。二年の法廷闘争の後、星は無罪となるがこの間に星製薬は業績悪化、資金難に陥り星一は昭和七年破産、税金滞納で刑務所に収監される。復帰した星を再度輝かしたのは朝鮮・満洲・蒙古での二反長音蔵の芥子栽培だった。 (黄不動)